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【ユーラシア旅行記】はじめまして。ABBです。【子供達】

ご挨拶

みなさんはじめまして。
昭和末期生まれ、30代中盤の無職男性ABB(エービービー)と言います。
このnoteなるものでは、これまで長きに渡り障がい者の就労支援と、障がい児の通所支援に携わってきた私が2023年7月に勤めた会社を辞め、起業・独立を目指す傍らユーラシア大陸の18ヵ国を廻り、この目で見た来た各国の子供達、若者が置かれている状況、その他文化、社会、グルメ等、日本との違いなどを好き勝手に書いていく旅行記です。

昨今の円安、物価高、増税。
非常に厳しい経済状態が続く日本。この国は子供達、そのパパとママたち。これから国を支えていく若者達に対してあまりにも冷たいと感じます。

国家の中枢に居座る権力者の偉いおじいちゃん達をdisりつつ、「実際に他の国ってどうなの?」「ちょっとこのままだとまずいんじゃないの」「〇〇した方が良いんじゃないの」ということをコミカル且つシニカルに伝えたいと思っています。

みんな本当に頑張ってるのにかなり疲弊されている方が多いと思います。私の書くしょうもない文章に触れ、少しでも前向きになって「自分の頭で考える」「楽しく暮らす」きっかけになっていただけたら幸いです。
それでは宜しくお願いします。

マレーシアのペナン島で砂遊びをする少年

ABBのいままで

私は東北地方の山形市という都会でもなければド田舎ともいえないスタバができたら行列ができる微妙な街に生まれました。
父は公務員、母は専業主婦。実家に爺や(セバスチャン)はいないけれども食べることには困らない至って普通の4人兄弟の長男として家庭に生まれました。
小学生の時にはポケモンの収集に励み、ドラゴンボールの単行本を色盲寸前になるまで読み漁りました。
中学生の時にはDRAGON ASHに憧れてダボダボのズボンを履いて、レぺゼン山形。バイブスを高めつつ悪そうな奴らは大体友達な感じに憧れている少年時代を過ごしているさなか、ある大きな事件が起こります。

9.11と少年

2001年9月11日。私は当時中学生。
風呂から上がると父がリビングのテレビに釘付けになっています。

そのブラウン管のTVはハイジャックされた2機目の旅客機がニューヨークの世界貿易センタービルに激突するその瞬間を捉えていました。
その衝撃たるや。

私はその頃から「世界ではなぜ争いが絶えないのか」「自分よりも幼いストリートチルドレンがいるのか」「アフリカなどでは清潔な水や食べ物が手に入らないのか」を考えていくようになります。

もし私の実家がセバスチャン擁する富豪の家庭であったならな「パパ!僕アメリカに入学に行きたい!」などとのたまっていたことでしょう。
ですがその頃には既に私には物心がついていました。

自分の家は地方在住のドメスティックで保守的な家庭。
ましてや4人兄弟。まさかアメリカに留学など夢にも思いません。

興味を持ちつつも何もアクションを起こすことはなく、外国なんて遠い存在でした。

そして地元の男子校に進学、モテたいからバンド始めたり、髪を染めたら警告なしに教師から頭髪をひきちぎられたり理不尽な暴力を受け、議論を持ち掛けても無視されたり等の理由で大人や権力に対するロックでアナーキーな思想を醸成させていくことになります。


ベトナムのハノイにて。ABBは地元のサッカークラブJ2所属のモンテディオ山形のファン。

ABB立志編

そして私は当時付き合っていた女の子を追うように激烈な受験勉強を始めて東京の私立大学に進学することになります。

そして壁の中で暮らしていた少年は壁外の世界を知ることになります。

初めて日本を離れ、10か国以上を旅し、余りにも日本は全てが整っていて清潔なオーガナイズドされた国であることを知りつつ、発展途上国の若いぐちゃぐちゃのエネルギーに触れて頭がスパークすることになります。

インドで詐欺師に騙されたり、ベトナムで鉄パイプでこちらを激しく威嚇する男性と一触即発になったり、中国でマフィアにカラオケバーの個室で軟禁されて恐喝されたり。

そんな経験の中で「地球ってマジでおもろいな。」と思うようになっていきます。

そして私に強烈なインパクトを与えた出来事。

20歳そこそこの頃、私はインドのニューデリーで人と待ち合わせをしていました。

インドは今でも世界でもトップクラスにカオスな国なのですが15年前はもっとカオスです。
大抵の場合、人が集まる広場では子供達が物乞いをしています。
「おい東洋人!(中国人)金くれよ!」と。

そのストリートチルドレンの中の一人の男の子。

小学校低学年位の彼には両足が有りません。

動揺している私がその子から離れても離れても彼は両足代わりの両腕を使って固いコンクリートを這いつくばって私に近づいてきます。
幾度も幾度も。

「どうしたら良いんだ。」若輩者の私は頭がおかしくなりそうな感覚を覚えつつ、その奇妙な鬼ごっこを20分程続けることになります。
恐らく私が3時間その場に居続けたならば、彼は3時間私を追い続けてきたことでしょう。

「だって彼はまだ子供であって、恐らく大人にそうするように教えられているから。」

私は彼に対して何も施すことはできせんでした。
何が正解なのかわからなかったから。
インドで強烈なインパクトを受けて世界の貧困や児童の問題に思いを馳せつつも、「就職活動」というカルマは日に日に私に近づいてきます。

現実から逃げるABB仏の道に進むのか
当時私は大学で国際開発協力のゼミに所属していました。
我ながらどうしようもないアホな学生だったのですが、その活動の中で民間企業のビジネスが世界の不自由、貧困の問題の解決の為の手段の一つであるということを知り、大手商社やゼネコンを志望していました。

ですが、時はリーマンブラザーズが破綻し、大不況の時代。
新卒の求人が絞られる冬の時代が到来していました。

ですがそれは関係無く「シンプルに自分が無能でポンコツであったため」何もかもが上手くいかず、私は逃げるようにインドにて仏教僧として暮らそうと考え始めます。

一応日本人なので敬虔深くはありませんが仏教徒なわけです、神様なんていないでしょと思いつつも、お墓やお地蔵様を蹴ったりはできない典型的な日本人仏教徒なわけですが、当時インドのブッタガヤという都市にあるお寺で私は修行僧として第二の人生を模索していました。(第一の人生も始まってないのに。)

なぜなら朝に寺の境内と敷地の掃除をこなし、念仏を唱えることによって食事(薄っすい豆のカレーと米)が支給されるからです。
要はタダ飯喰らいを続けることができるということ。

このまま仏の道を究めるか、もしくはヒッピーになって愛と平和を唄うか。悩みに悩みましたが全てが中途半端な自分は、解脱の道を諦め世俗社会、コンクリートジャングルTOKYOに戻るという選択をします。

ABB遂に就職す、そして伝説へ
そして無事に大学を5年で卒業し、人の縁もあり、ついこの間まで籍を置いていた、障がい者・児の就労支援、通所支援を行う社員数一桁の仙台にあるスタートアップの企業に就職をすることになります。

元々ルーティンな定型の仕事をするのがとても苦手な私にはそのゴリゴリベンチャーな環境が合っていたのでしょう。
次から次へと降られる意味のわからない理不尽な業務をこなし、北は岩手から南は大阪まで色んな所に住み、仕事をしました。

福祉の仕事の意義、面白さと難しさ、社会の酸いも甘いも経験しました。そして気付くとその会社の従業員数は三桁にまでなっていました。

「もうここではやりきったかな。」「新しいチャレンジをしたいな。」私は辞表を出し、退職した翌日にはバックパックを背負い、成田空港にいたのでした。

バングラデシュの地方都市クミッラにて。ホームステイ先での一枚。

ABBのこれから

グローバル資本主義経済の発展と拡大によって、世界の貧困と不均衡は、たとえ遅々としていたとしても確実に解消されていっています。

私が15年前に旅していた国は驚くべき発展を遂げて、無秩序が秩序へ、不衛生が衛生へ。先進国に片足を突っ込んでいるような国もあります。

一方でそれに取り残される人達も多くいます。

やはり今回の旅でも物乞いの子供達にたくさん触れることになりました。当時の私は何もできませんでしたが、今の私には最適解ではかもしれないけれど「こうするのが悪くない選択だろう」という一つの考えを持っています。

それは一緒に商店に行って彼らが食べたい物を買って一緒に食べること。
彼らは大抵のケースでお菓子やアイスを選び、そしてそれを食べながら簡単な英語で会話をします。(私は物乞いの子達の写真はアップしません。アップされている子達は保護者の了承を得ています。なぜなら彼らは子供だから。)

何が本当かはわかりませんが、裏に悪い大人たちがいて組織的に子供に物乞いをさせており、同情を引くため孤児の肢体を切り落とすケースもあるそうです。
答え合わせをする術はありませんが、当時のインドのあの子もそうだったのかもしれません。
彼らにお金を渡すとそれは悪い大人に渡ってしまうかしれません。
ですが食べ物であればその場で必ず子供たちの胃袋にサプライすることができます。

色んな意見があるとことでしょう。
ですが大人になった私はそれが良いと思っています。何が正解かはまだわかりません。
ですがこれからも自分は自分のできることをして行こうと思います。

ABB大志を抱く。俺達の戦いはこれからだ!

気付けばもう30代も中盤。
これからプロサッカー選手になることはできないし、ロックスターを目指すことも無理でしょう。
色んな選択肢が狭まっていきます。

若い頃に思い描いていたような国際舞台で活躍するような人になることはできませんでしたし、もうなりたいとも思っていません。

私は戦争を止めることはできないし、物乞い人達の雇用を創出することもできません。
ですが身の回りで困っている人に手を差し伸べることはできます。
それだけの経験はしてきたつもりです。
ビジネスで地域の社会問題を解決を図る。私はこれから子供や若者が、これから日本という沈み行く国で置いてきぼりになることの無いように、彼らの居場所を生まれ育った街に創り、楽しく生きる術と自分の経験を伝えていけたらと思っています。

偉い政治家のおじいちゃん達。これで良いと思ってる?だいじょぶそ?

最後に

繰り返しにはなりますが、このnoteでは地方都市で起業を志す30代のおっさんが世界中を旅して現地の子供達や若者に触れ、感じたことを好き勝手につらつらとコミカルかつフランクに書いていくブログです。
不定期更新で記事を上げていきます。「こんなアホな奴がいるんだな」位のテンションで気楽に読んでいただけたら幸いです。
それではよろしくお願いします。

※本noteの筆者は政治団体及びその傘下の団体、宗教団体等とは一切関係ございません。ABBはただの無所属の無職です。





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