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受験戦争のための知識ではなく、「生きること」を学ぶモンテッソーリ・エレメンタリー ①見学ツアー 「全体から」「想像しながら」「原理から」学ぶということ

2024年3月11日、福岡県北九州市のMEK(Montessori Elementary school Kitakyushu モンテッソーリ・エレメンタリー スクール北九州)の見学をさせて頂いた。

MEKは、今年2月にオープンした、開校して間もないモンテッソーリ・エレメンタリーである。子どもの学ぶ力や知的好奇心、また「宇宙の中の自分」というアイデンティティを大切にした教育を行っている。
(在籍は地元の校区の小学校であるが、前回の記事で紹介したわかくさの広場とは異なり、子どもたちは毎日通っている)

ここにはテストも通知表もない。受験戦争を勝ち抜くことではなく、自分の環境への感謝、「生きている」ということについて学ぶこと。また特定の教科に縛られず自分の興味の赴くまま、思う存分に智識・智慧を追求すること。それこそが、ここMEKの子どもたちが体験していくことなのだ。

数時間の訪問ではあったけれど、非常に濃い体験をしたので、数本の記事に分けてお伝えする。今回はMEKシリーズ第一回。見学ツアーで見聞きしたこと、感じたことをお伝えしたい。


見学ツアー

見学ツアーとして、教具や教科の内容等を教えていただいた。

地球について知る(Geography 地理学)

地球はすべて宝石でできている

「地球はすべて宝石でできている」、そう知ると地学がわくわくする学問になる。

「地球から学ぶ」、これもモンテッソーリの特色である。一般的な公立小学校では、「自分の住む地域」から学んでいくことが多いが、モンテッソーリはより広い視野、「全体」から学びをスタートさせる。

「地理といえば実験」という言葉もとても印象深かった。私が公立小中学校の教育を受けた中でできていったイメージは「地理といえば暗記」で、それは多くの人にとってもそうなのだろう。このような教育を受けていれば、私は地理を悦びとともに学べたことだろう。

古生物学の本など
標本
化学の元素記号

社会の仕組みについて「なぜ」を考える(Social Science 社会科学)

公民では、「自分の使っている製品はどのような人のおかげでここにあるのか」を考えることで、見も知らぬ人々との社会的な繋がりや「相互依存性」を学んでいく。
税金も、「払わなければならないもの」という前提のもとにシステムばかりを学ぶのではなく、何故その存在が必要なのか、そこから考える。

公民は暗記ではなく考える教科

宇宙や人類の長い歴史(History 歴史学)

最初に黒いリボンで地球の誕生から人類の誕生まで話す。黒い長いリボンの先に白くとても短いリボンがあり、この白い部分が人類の歴史になっている。

つまり、46億年の地球の歴史からすると、人間の歴史がいかに短いか、そしてその短い歴史の中でどれだけのことが起こったのかを子どもたちに視覚的に訴えるものになっている。

その後、人類にフォーカスし、手の歴史についてフェルトのタイムラインで紹介する。

地球の歴史からするととても短かった人類の歴史。人類にフォーカスすると、先史時代と有史時代に分けられる。

人間のスペシャルギフトである「手」を使い、文字を使い記録を残すことを人類は発明した。

文字が発明される以前は、出土品や地層などを通してしか知ることができなかった歴史を、文字によってより詳細に把握することができるようになった。

文字が人類に与えた影響の大きさ、そして当たり前に使っている書き言葉も人類の歴史から見たら発明されて間もないということを心で実感しながら学んでいく。

黒いリボンはこの中に収まっている

数字の成り立ち(ギリシャ語由来)や言語の仕組みを学ぶこともある。

ここでは、それぞれの品詞をオブジェクトで表している。例えば、動詞は球体。なぜかといえば、動詞は
エネルギーを持っている
ほとんど「動き」がある
という特徴が止まらない球体に重ね合わせられるからだ。

それぞれが品詞を表す
言葉の役割で分類する引き出し
この箱の中に先ほどの品詞のオブジェクトを入れて、文法の分析をする
読み物を読むときはこのシートを使い、5W1Hをつかむ。

英語の文法の教具は世界中のモンテッソーリに導入されているものがあるが、日本語は独自開発中である。だが、漢字をどう教材にするかという問題だけでなく、日本語は英語のように論理的にできていないことが多いので、これがまた難しい。

画期的な教材が誕生することを楽しみに思う。

まとめと次回予告

モンテッソーリは、一般的な公立小学校とは対照的な「全体から」「疑問を発する」「想像する」「原理から学ぶ」といったアプローチで教育を行っているということを、今見ていただいたと思う。

このような学びの中で、モンテッソーリ教育を受ける子どもたちは、公教育では身につけることが難しい「生きる力」を獲得していく。自分の存在する宇宙へ、あるいは長い人類の歴史を経た結果として自分が「今、ここ」にいることへの畏敬・畏怖の念、そして驚きと感謝。用語の暗記と試験勉強では得られることのない「学ぶ悦び」がここにはある。

次回はこの記事の続きとして、算数、音楽、またMEKの考え方、ポリシーについてお伝えする予定だ。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

(MEKのウェブサイトは以下のリンクからご覧いただけます。)
https://scuoladeibambini.jp/mek_start/

(MEKのnoteは、以下のリンクからお読みいただけます。)
https://note.com/scuoladeibambini/

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