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歩き方革命 お家万歩(ウォーク)のすすめ 目次
はじめに
第一章 脳梗塞からのスタート
第二章 進化する万歩ウォーク
第三章 万歩ウォークさまざま
第4章 一万歩の向こうに
第5章 万歩ウォークに取り組んで
あとがき
410 生活文書を捌く
洪水のように押し寄せる生活文書に飲み込まれそうです。いや、完全に飲み込まれています。
とりあえず入れておく引き出しも何時しか満杯状態となり、余りの雑多さに整理する気も起こりません。それが積み重なって、やる気を失う結果となっています。
生活する限り、これからもこの状態が続くことは必然で、何とかうまく交通整理をしなければ、混雑し停滞することから解放されません。
生活の淀みに積もるコレステロール
409 美化と改善は怠りなく
一人住まいをするに当たって、家を美しく保つことは何を置いても優先されなくてはなりません。
少しくらい埃ぽくっても、少々散らかっていても、生活するのに支障をきたす事はありませんが、日常を気持ち良く維持するためには、暮らす場所が綺麗で、整然とまとまっていて、かつ機能的でなくては駄目なのです。
そこの所を怠るとどうなると思いますか。
黴(かび)が生えるのです。生活にも、身体にも、気持ちにも・・・
408 書いて、歩いて、整えて
何事においても、最初からクライマックスが訪れるなんて事はあり得ません。そして、好調を維持したいと誰もが願っています。
それだけに、事に当たって、導入方法や取り組み方が果たす役割は大きな意味を持ってくると言えるでしょう。どれだけ目的の方向へ無理なく移行できるかが問われます。
私にとって「書く」「歩く」という行為がその役割を果たしてくれているのです。
準備運動的な役割の「書く」は主に書写を、「
407 晩年の人生を生かす三つのキーワード
「一日一生」「人生、百年の計」「石の上にも三年」の三つの言葉をキーワードとして組み合わせ、これからの人生を構築してみました。
人生、百年の計を立てると言っても、あと三十年足らずとなりました。しかし、生まれてからの三十年を振り返る時、かなりの時間であるとも言えます。長い修学期間を経て、就職、結婚までの時間が残されている訳ですから、とても長く、また有意義に感じられます。
そう考えると、七十一歳の
406 再生のよろこび
用済みになったはずの物が、工夫することで再生できた時には大きな喜びが伴います。 私にとって、その最たる物が「紙」でした。
使用済みとなった半紙の裏は未使用のまま処分される事が多く、長い間私の心に引っかかっていました。表面は、その時々に携わった事柄の資料コピーや着想原稿として活用し、記載された用紙が着実に増えていき、業績となって蓄積されていきます。
時の流れに合わせて内容も変化し、やがてそれ
405 今なら、変えられる
脳梗塞を発症してから、四年の月日が流れました。
歩く事も儘ならない状態から、徐々に普通の歩きに近づきつつあります。ただ、見た目には発症以前の頃の歩きに戻って来てはいるものの、自由に振る舞うには程遠く、不規則な動きには付いて行けません。それに、少し歩き続けると左腰部に痛みと疲労感が伴います。 歯がゆい気持ちを抑えて、何食わぬ顔を装うのも一苦労です。
一時は精神的にも他人に依存する気持ちが強くな
404 自分を生きる
七〇歳を超えた時点で、改めて「自分を生きる」という言葉に意義を感じています。
これまでの生き方と言えば、自分の実力をつける・社会に貢献する・自分の評価を高める・・・・・等、未熟な自分を成長させることに重点が置かれていました。
周りを取り巻く環境の中で、少しでも自分をアピールし、認められようとする当時の姿勢を否定する気は毛頭ありません。
しかし、その姿勢に無理があったり、自分と遊離していては
403 神様からの贈り物
神様は私に素敵な二つの贈り物をしてくれました。それは「数学」と「汗」
数学と言っても、真理を解明するというような大それた内容のものではなく、大学の入試問題を解いたり、解説したり出来る程度のものなのですが、数学に取り組む事が私を寂しさから救い出してくれましたし、数学を教える事で生活を成り立たせる事もできました。
高校一年の時、数学の幾何の分野で図形の問題を解く事から得た快感は強く心に響き、私の
402 私の「読み、書き、そろばん」
「読み、書き、そろばん」は昔から学習の基本とされてきました。私も自分流の「読み、書き、そろばん」を日々の学習の軸として組み立てています。
私にとっての「読み」とは、もちろん読書なのですが、意識的に「黙読」と「音読」を使い分けています。
音読は、ただ声を出して読むというのではなく、ICレコーダーに吹き込みます。つまり音読録音です。略して「音録」と称しています。実際にやってみると、音録はかなりの
401 一〇〇〇曲の録音を終えて
私には、退職後に取り組んだ事柄の中で信じてもらえない事が三つあります。
1 自著が中国語に翻訳され、中国で販売されていること。
2 毎日の一万歩ウォークが連続して五〇〇日以上続いていること。
3 カラオケを一〇〇〇曲、自分の声でミキシング録音したこと。
一つ目については、私自身が信じられない想いに満たされました。自費出版した「四季の高野山町石道」をインターネット配信していたものが中国
310 歌は思い出を連れて
最近、インターネットの YOUTUBE に投稿されている歌にアクセスして、楽しい思い出に浸り込んでいます。印象に残っている歌をたどってみて、我ながら、その数の多さに驚きました。七〇年以上の人生の歩みの中で、自分の周りを通過していった歌が、一曲、一曲、その時々の思い出を伴って懐かしく蘇ってきます。こんなに多くの歌を知ることが出来たなんて、歳を取ったことを感じると共に、平和な時代に生きてきたんだなぁ
もっとみる309 コレクションの思い出
振り返ってみると、小さい頃から今までに色々な物を集めました。どれもこれも、他人にとっては、あまり意味のない物ばかりだったように思えますが、もともとコレクションとはそんなものなのでしょうね。
物を集める事は人間本来が持つ習性のようなところがあり、形あるもの、無いもの、人により様々です。物に執着するな、と主張する人でも、せっせと自分の専門に関する知識を集め、その道では一流となっていくのですから・・
308 教えるは健康への誘い
定年退職後、個人指導による数学教室を開設して、今年で十年を越えました。職務を満了したら、一人ひとりの能力に応じた数学を教えようと計画していただけに、夢を実行に移せたことに満足しています。
この十年間の経験を振り返って気付いたことがたくさんあります。その中の一つは、数学教室のあり方が直接私の体調に反映していると言うことです。気持ち良く教えられた時は私の体調も良く、気分的にも軽く感じられ、次の日に
307 守護霊のご加護を受けながら
皆さんは守護霊の存在を信じますか。
私には、間違いなく守護霊が付いていて、私が苦境に陥った時、予期せぬ方法で守ってくれています。
それは、私をこよなく愛しながらも、命を絶った母の霊に違いありません。
私は不幸にも、二人の愛しい女性に先立たれました。一人は育ての母親、もう一人は愛妻の二人です。
娘も嫁ぎ、定年後の私は一人暮らしを余儀なくされました。その上、脳梗塞や白内障が追い打ちをかけて、
306 折り返し点で想うこと
毎日、「一万歩ウォーク」をスタートして五〇〇日を経過しました。
脳梗塞の後遺症克服のために一〇〇〇日間の万歩ウォークを決意して、今日で折り返し点に達した事になります。しかし、改めて一〇〇〇日って遠いな、と思います。苦戦の連続でしたが、この五〇〇日間で経験した事は、それを上回る学びに満ちたものでした。
「お家万歩」という手法も考え付きました。歩きとカラオケのコラボレーションも果たすことが出来ま