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石川達三「風にそよぐ葦」
この本を初めて読んだのは高校1年か2年の頃。50年以上もたつ。
昭和33年の発行とあるから、出版されて間もなく高校の図書館で読んだのだろう。
「生きている兵隊」を取り上げた関係で、石川のことを調べ出したが、この本だけは是非もう一度読みたいと思っていた。上下組で498頁になる大著であったが、4日間で読み終えた。読書の感動を久しぶりに味わった。
基本的なテーマは、個人の自由の大切さ、思想よりも愛情、
「生きている兵隊」(5)
作品のポイント;
ここでは、昭和13年の裁判を通して「生きている兵隊」のもつ歴史的意味を掘り下げていきたい。
起訴理由は二つあった(新聞紙法違反)。
① 虚構の事実をあたかも事実の如く空想して執筆した。
白石喜彦「石川達三の戦争小説」によれば、判決書に判断の記載がないので、争点
として回避されたのではないかと推測している。
② (そういう行為は)安寧秩序を乱すもの。
石川と、発行人
「生きている兵隊」(4)
以上概要を示したが、内容的に整理すると次の通り。
① 日本兵の残虐行為の記述
女狩りを示唆する兵士の嵌めてきた銀の指輪。「生肉」の隠語。
「捕虜は捕えたら殺せ」。「命令ではなかったがそういう方針が上部から示された」。
下関における逃げ去ろうとする中国兵への攻撃の描写。両岸からの機銃攻撃。止めを刺す駆逐艦。
② 被害者としての中国人の記述
水牛や馬の徴発に抗議する年老いた農婦。抗日中
石川達三「生きてる兵隊」(3)
本作品は、上記のように当局の忌避に触れ、敗戦までは出版が許されなかった。何故忌避に触れたのか。
それは戦争に伴う罪悪行為を石川が書いたからである。
又、主役と思われる4人の将兵の、軍人ではなく、人間としての心の動きを描写する中で、戦争に対する嫌悪や平和への願いなどが示唆されており、軍の目指す戦意高揚とは相反するからである(詳しくは後述)。
石川は、昭和12年12月から3週間にわたり南京を含む中支
小泉八雲「小泉八雲「明治日本の面影」(講談社学術文庫)
小泉八雲「小泉八雲「明治日本の面影」(講談社学術文庫)読み終える。大変興味深い。明治期に日本を訪れた西洋人の中では全く異色。もし妻子がいなければ、本来の紀行記作家として日本を去っていったことであろう。日本の江戸期までの文化的・道徳的遺産にほれ込み、この本を書き世界に紹介したが、その後文明を進める日本に嫌気を感じたことが随所に率直に書かれている。
本書は、以下の内容から構成されている。
「ニコライの日記」(2)
中巻
・ 明治25年から34年まで
・ 日本国民は、仏教、儒教、神道という3人の宗教的養育者ともう一人の
教師である厳格な日本政府によって、この世に生きるための称賛に値す
る良いしつけを身に着けた。このしつけは、東京、盛岡、鹿児島等外国
のものを喜んで取り入れている地方では崩れている。
・ 三国干渉の余波として「異教徒が正教徒に攻撃を仕掛けている」との記
述。
アドルフ・フィッシャー「明治日本印象記」
興味深い内容が随所にあるので以下、幾つか取り上げておこう。
著者(1856-1914)はオーストリアの美術研究家。特に東アジへの関心が強い。 近代化の教師として招聘した外国人とは異なり、自らの関心で何回も日本を訪れ、日清戦争前後の日本の状況をよく観察し、記録したものが本書である。
1869年の、アメリカ横断鉄道全線開通、スエズ運河完成が「世界周遊ブーム」を引き起こし、その波が日本にも押し寄せた