マガジンのカバー画像

短編

15
運営しているクリエイター

記事一覧

おはようの森、さようならの海

この深い森に、出口はないのかもしれない。一匹のきつねはそう思った。ここでは滅多に他の生き物と出逢わない。ただ、日々、生き物とも呼べぬような虫や鼠を見かけたら殺して食べて、果実があったら齧ってみる。川や水たまりを見つけたら水を飲む。日が沈んだらどこかで眠る。なぜそうするの?と、かつては考えてみたこともなかったが。思えばすごく単純なことだ。おなかが空いたから。のどが渇いたから。眠いから。生きるためのこ

もっとみる

大きな鳥と生活している。大きな、というのは、大型の鸚鵡とか、梟とか、そういうことではなくて、例えばわたしは夜は彼のふんわりとした白いおなかに包まれて眠る。人間のベッドになるほど大きな鳥。彼は元は人間らしいのだけど、魔女の怒りをかったとかで呪われて、鳥になったらしい。御伽噺だったら愛をみつけて呪いが解けるなんてこともあるでしょうが、現実なかなかそうはいかないみたいだ。それとも、わたしと、鳥とのあいだ

もっとみる

femme fatale

「誰とでも、こういうことするの?」

深夜と呼べる時刻。カチカチと値段を刻むメーターが光るタクシーの後部座席。運転手に聞かれたら不味いぞ、というような判断ができない、が、そのこと自体は何故か自覚できる。酩酊感が気持ち悪い、と心地良い、の間をメトロノームのように行ったり来たりする。都会の光が窓を掠めていくのが妙に綺麗。膝のうえに頭をのっけて目を瞑る、初対面のはずの女の子、のうすい肩を撫でながら問うて

もっとみる
夜についての詩

夜についての詩

 ひとのひふ、に触れたときの感覚は独特で、すべすべ、というよりはぬるぬる、とかぬめぬめ、とか。もちろん実際は、なめくじとかなめことかみたいに、ほんとにしめっているわけではないのだけどなぜだかそんな形容詞がしっくりくるような気がする。二人の天使が両端を掴んで司っている夜の帳は、まるでわたしたちが裸のままでねむろうとしている、川沿いの小さなマンションの周りだけをぐるりと囲んでいるみたいだった。もしわた

もっとみる

いつからこの男は珈琲なんて飲むようになったのだろう。日曜日の日中、いちばん暑い時間帯だというのに、都会の中心地にあるその喫茶店には運良く並ばずして入店できた。こぢんまりとした空間に所狭しと木製のテーブルが並べられており、ご婦人方のガヤガヤとした話し声が響き渡っている。目の前の久方ぶりに会った弟はグラスの氷をストローでカラカラと鳴らしながらなにやら考え深げな表情をしていた。もっとも、そういう顔をして

もっとみる

愛犬家

モシッ
帰宅し鍵を閉めた瞬間耳に障る、人間の声に似た低音が目前の暗闇から鳴って身体を硬くした。飼い犬(以下リチャードと名前で記す)以外は誰もいないはずの空間である。泥棒。不審者。強姦魔。質素な暮らしの独身男性(プラス1匹)の安マンションに?肉声にしては随分とザラついたその音に更なる疑念と不安が腹に広がるのを感じる。宇宙人。幽霊。そうだ、この盆は墓参りに行かなかった。化けで出る元気のあるような婆さん

もっとみる

本棚と抜け殻 後編

以上の記述は僕がだらだらと本の内容を繋げて書いたものだが、実際は日記と化学実験のレポートの間のような文体と形式で書かれている。「彼女」を破滅させる過程でどのような薬をどの程度の量与えたか、「彼女」に診察室や、診察室の外でそれぞれどんな類の言葉をかけたか、つまびらかに、必要量書かれている。実験レポートと同じで、読んだ人に再現ができる(かの)ように書かれているのだ。それでもやはり、本の内容が全て真実だ

もっとみる

本棚と抜け殻 中編

実際にはこの小説がどこまで事実に即して書かれているのかわからない。けれども「彼女」の身体的特徴、例えば左右の耳のピアスホールの個数から、親密な関係の人間にしか知りようがない場所にある黒子の配置に至るまで、これらは完全にアリスのものと一致していた。一方で美化した記憶と妄想の、ギリギリの境界を縫うような場面もところどころ存在する。創造物にしては現実に近すぎる。日記にしては装飾が過ぎる。とにかくこの本の

もっとみる

本棚と抜け殻 前編

アリスは酒を好まず、電子機器の扱いに疎い。料理ができない。生き物や植物を死なせてしまう。いつ抱きしめても匂いがしない。僕が働きに出ている間のことはよくわからないが、知っている限りでは食事中でも入浴中でも、絶えず何らかの本を読んでいた。海外作家の小説から流行りの自己啓発本まで、あらゆる種類のものを読むようだった。彼女の纏う空気には俗っぽさや生活感の影がなく、その分だけ人間味、あるいは現実感が薄かった

もっとみる

魚の子

「子の一人でもできていればな」と言った王の言葉はもっともで、そのため姫は真っ当に傷つくこととなった。

姫や王をはじめ、竜宮城に住む者の中には人間と同じ姿形をした者もあったが、生まれたときには魚の姿、成長するにつれ手足が生え、目に意思が宿り尻尾は引っ込む。生物学的に言えば魚の方に近く、人間の浦島と子を成すことが無かったのはそのせいだったのかもしれない。

「それにしても、あんな男。運が悪かったので

もっとみる

iについて

一般的な単行本よりはひと回り小さいその本を眺める。薄い水色の表紙は撫でると硬く、ひんやりとしている。自費出版なので装丁にもこだわることができるのだろう。タイトルが金色の文字で入っている。著者名は英小文字の"i"一文字のみ。本名が"愛"なのだ。
「"i"ってやっぱり虚しいもの?」
初対面で僕が理系だと知ったiは尋ねた。虚数iと一般名詞の愛と、そして自分の名前をかけたジョークだったのだろう。
「たとえ

もっとみる

天国と自殺

「よっ」
天国.comにアクセスし登録時に渡されたIDとパスワードを入力すると、自室のパソコンの画面に見慣れぬアバターが出現した。事前に登録だけしてあったものの、やはり葬儀の準備などで時間がとれず、結局このサイトに訪問するのはこれがはじめて、式やらなにやらすべて済んだあとになってしまった。叔父とは直接会うことはあっても、スカイプはもちろん、電話すらしたことがなかった(やりとりはいつも手紙が主だった

もっとみる

悲嘆に暮れる

本来僕が最寄駅に到着するあたりで稼働しはじめるはずの冷房はもちろん、部屋の明かりすら点いておらず、帰宅間も無くおかしいなと思うと同時に、居間にうつ伏せで倒れている彼女の姿を発見した。
故障かしら。
そう思った。動いているときは人間同然だが、電源を切ってしまうと機械にしか見えないから不思議だ。四肢から力が抜けた様は猫の死骸というよりは障害物に引っかかったまま力尽きたルンバを連想させる。それゆえ、倒れ

もっとみる

知能/情報

「人工知能は恋をしないってほんと?」
僕はこいつに意地悪をするのが好き。質問に反応して、正面の真っ黒な瞳がこちらを見据える。十五度顎を傾げ前髪をさらりと揺らす。眉をひそめて何か言おうと口を開く。一度つぐんで、また開く。その動きはすべて計算されているものだ。有機的な美しさというよりは、幾何学の美しさ。一瞬ため息をついてから彼女は答えた。
「仮にも恋人の私にする質問かしら」
高すぎないのに透き通る声。

もっとみる