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こっちは理詰め 向こうは罵倒
バイト先(学童)でみんなとお昼ごはんを食べてたら、1人の小学生が机の上にお茶をこぼした。
ぐえーーという顔をして「さいあく…」って言った後、こぼれたお茶を見ながら、「まあでもおしっここぼれてるわけじゃないしいっか!」と言い呑気に水筒からお茶を飲んでた。びっくりした。思考が私と全く同じだったので。
そうなんだよ。おしっこじゃなきゃ何も焦ること無いんだよね。なんたって、おしっこじゃないんだから。
水
❤︎2023❤︎愛をこめて
号泣は発声練習だ、と常々思っている。
嬉し涙は右目から出て悲し涙は左目から出るという通説があるけれど、わたしの場合はそれぞれ逆の目から涙がこぼれるらしい。
せまくるしい四畳半の自部屋で発声練習をし、まともに読むこともできないマップを開いたiPhoneを片手にライブハウスへ行き、ライブをする、旅をする、歩く、人と喋る、会う、生きることを続けていく。
どうにか踏ん張ったからなのか、ただの怠惰なのか
永遠に乾かない夜と。
「ほんまにね、悲しいことってたくさんありますよ。生きてりゃそりゃ。で、まあ、じゃあ死んだら悲しいこと無くなるのかっていったらそんなのも分かんないじゃないですか。死んでた頃のこと忘れちゃったし。でも、そんなの全部置いといてね、わたしは今どうなのか。そうです。わたしは今、悲しい。家にあるバスタオルが全部、すべて湿ってて悲しい。濡れたバスタオルで濡れた体を拭いても、何も変わんないから。濡れたバスタオルで
もっとみる代官山に犬がいなかった日
真面目に道を歩いてたら前から歩いてきた男の人に避けられない感じでぶつかってこられて痛かったけど、「ポケモンGOしていて、ごめんなさい」と言われ、「ポケモンGOしてるのは別に良いんですけど」としか返せずその場が終了してしまった。
なんか謝罪をなあなあにされた気がする。
代官山に行った。ここは代官山なのに全く犬がいなくて不気味だなと思ったところで記憶が途切れていて、次に意識を取り戻したとき目の前に立
考察:松ぼっくりについて
お葬式から同居人が帰ってきた。
前日に「あした葬式だから帰ってきたら塩かけてくれ」と言われていたので、もうすぐ帰るよという同居人からの連絡を合図に塩を食器棚から取り出して袋ごと持ち、玄関で待ちかまえていた。
がちゃりとドアが開いた瞬間、ひとつまみした塩を豆まきと同じ投球ホームで同居人にふっかけた。
そのあと、おかえりとただいまを言い合いながら2人でいっしょに家の中に入った。
人は、死ぬらしい
22:00以降の水道水は美味い
自分が手に持っているたべっ子どうぶつがどの動物なのかを確認する前にすべて口に入れてしまっているときは、ちょっと心が限界になってきている証拠だという自分専用の基準があるんだけど、最近それになりつつあるのでどうすればいいんだよと思っている。
YouTubeで「落ち着く」とか検索して出てきた、他人の名言を他人が朗読している音声を垂れ流してみたりもしたけれど、マジで1ミリも何も刺さらなかった。ていうかこれ
記録 2023.07.02
大丈夫になったことなんて無いけど、大丈夫になるかもしれないと思えるいつかに期待してもいいんだと感じる瞬間があることについて、とてもしあわせだと思う。
実際にいつか大丈夫になるかどうかはわからないけど、それはいいことだと思う。
数ヶ月前までの、東京に来ることが決まる前のわたしは、頑張りたいとは思っているもののできればあまり頑張りたくはないよとも思っていたし、生きるのもしぬのもどうせ痛くて苦しいなら
くいとめて、トゥエンティ
『そこでずっと何してるの?』
「わかんないよ。こっちが聞きたい。」
はたちを過ぎたあたりから繰り返しつづけているこんな答えも、そろそろ期限切れだなと情けなくなる。
部屋の角っちょで不健康に青い光を浴び、ちっちゃい液晶の中で完結する理想にふけるわたしの手を、濁った青がすり抜けていったりする。
『なにこれ?』
「あーそれ、たぶん涙。」
『涙?』
「うん。さっきここで。」
『泣いたの?』
旅路と雑記(5月下~6月上)
さいきんは、福岡に行ったと思ったら大阪に行き、束の間の茨城訪問かと思ったら気づいたころには沖縄にギュイーんと飛んでいて、家らしきところに帰ってきたはいいものの本当のところわたしの家はどこなんだろうかと思っているうちに今度は仙台へ発つなどして、水槽とクレマチスというアイドルグループに身を置きながら、みんなといっしょに旅やライブをすすめている。
今週は北海道に行く。
この一連の旅のすごいところは、こ