見出し画像

副業Webライター、SEO記事が若者の主体性を奪っているかもしれないと書籍を通じて考えさせられた話

こんにちは、水無瀬あずさです。急に寒くなり乾燥がひどくなった気がするけど、加湿器を付けると部屋が暑くなるからどうするべきか悩む今日この頃、皆さまいかがお過ごしでしょうか。

先日めでたく(?)誕生日を迎えまして、誕生日なのに仕事に関するnote記事を投稿する仕事バカな私です。コメントをいただいた皆様、ありがとうございました。

で、そんな誕生日にはショッピングモールの本屋にも行っていて、たまたま手に取った本が大変面白そうだったので購入しました。『いい子症候群の若者たち~先生、どうか皆の前でほめないで下さい』というなかなか挑戦的なタイトルで、「え、なんで褒められたくないの?誇らしいことやん」と、まんまと執筆者や編集者の手の上で踊らされる形で手に取ったものです。

※Amazonアソシエイトです

で帰ってから読み進めてみたところ、たまたま手に取ったにもかかわらず想像以上に良書でした。いろいろと考えさせられたし、子どもたちと学校生活について話すきっかけにもなり、「これで1本記事が書けるな」と感じました。しめしめ。

そこで今回は、本のご紹介とともに、私が若者や我が子に対して考えたこと、我が子たちに望むことをまとめていきます。子育てに正解はないけれど、親が我が子に望むのはいつだって「幸せであれ」ってこと。子どもたちの幸せな未来のために、今私たちにできることはなにかを考えるきっかけになればいいなと思います。よろしくどうぞ!


『いい子症候群の若者たち』

誕生日に本屋でビジネス書を見ていたら、気になるタイトルの本が目に入りました。それが『いい子症候群の若者たち~先生、どうか皆の前でほめないで下さい』という本。何気なくパラっと開いてみると、とても気になる質問が目に入ります。

『いい子症候群の若者たち』表紙をめくったところ

たとえばリンゴを公正に分配する場合、どう配るのが「自分にとって『公正』と感じるか」という質問です。①平等分配は、すべての人の属性や事情を全く考慮せず平等に配ること。②必要性分配は、本当に必要としている人に対して平等に配ること。③実績に応じた分配は、成果を出した人から優劣をつけて配ること。成果主義ってやつですね。で④努力に応じた分配は、文字通り努力した人で優劣をつける方法です。結果ではなく、過程が大事ってことですね。

1995年に行われた全国調査では、④が最も多く、男性51.2%、女性62.2%という結果。二番目に多いのが③で、男性30.4%、女性16.6%でした。皆さんはどれが一番公正だと思いましたか?ちなみに私は③です。

話を戻し、これが現在の大学生ならどうかを筆者が検証したところ、なんと①がダントツの1位となったというから驚きです。男性49.0%、女性53.2%。次いで④、③、②という結果。イマドキの大学生は、わずかな優劣をつけることさえ「公正ではない」と感じるってことです。非常に興味深い調査結果だと思いません?

こんな感じで、読者である私たち大人(30代~40代想定らしい)と大学生の考え方の違いをユーモラスにシニカルにまとめてくれているのが本書です。

イマドキの若者といえば「Z世代」ですが、Z世代って「1990年~1997年から2012年生まれ」(Wikipediaより)とのことで、ちょっとまとめるには幅広すぎない?と思うわけですよ。世代なんて数年単位で切り替わるのに、そんなひとくくりにしたって正しい認識って出来ないでしょうに。だからかな、Z世代関係の本って何冊か読んでいるんだけど、いまいちしっくりこないことがあったんです。でもこの本は「大学生」というくくりなので、とても限定的で分かりやすい。社会に出ていなくて、揉まれていないからこそ生ぬるい(自分もそうでした)、そんな感覚を思い起こさせてくれます。

非常に概要だけまとめるなら、最近の大学生の特徴は以下のとおり。

「目立ちたくない」
大勢の中の空気でいたい。だからけなされるのはもちろん、褒められるのもイヤ。褒めるなら個別にお願いしたい。
「競争したくない」
ゆとり教育と少子化の影響で、そもそも競争する場面がない。優劣が付いて浮くのが嫌だから、常に平均点を取りに行く。若者にとって最初の競争の場面こそが就職活動。
「判断したくない」
自分の考えを主張して目立ちたくない。だから誰かが判断してくれるのを待つ。分からなければ検索する。
「交友関係が狭い」
ネット上にはたくさん知り合いがいても、交友関係はあくまでリアルに身近な人たちで完結している。バイトテロをする若者だって身近な友人に笑ってほしかっただけで、その先の広い世界が視界に入っていないだけ。
「素の自分を隠しキャラを演じている」
お互いの関係性を乱さないように日常的に演技していて、ほんのわずかな意見のすれ違いや対立があってもうまく躱してなかったことにしてしまう。
「社会貢献が好き」
競争がなく、優劣が付かず、評価されないけどやったら褒められる社会貢献が大好き。でもあくまで「目に見える身近な人のために」活動するだけだから、献血とかボランティア活動には消極的。
「自己肯定感は低いけど有能感は持っている」
成績や積極性、責任感などあらゆることに自信がないが、なぜか「優しさ・思いやり」「忍耐力」に関しては自信を持っている人が多い。

ディスっているつもりはなく、あくまで本の内容の要約ですよ。

私も含め同世代諸君は「今の若者どうなっとんねん?」と言いたくなるかもしれませんが、これが現実。我が子(中2と小6)とこの話をしましたが、「だいたい合ってる」と言っていたので、大学生というかZ世代の傾向と言えるのかもしれません。いわく、とにかく周りの目が気になるんですって。「友達だって他人でしょ?本心なんて言っても、どうせ分かってもらえない」だそうですよ。「どうせ、どうせ」ってよく言っています。

今の子ってなんか、24時間365日あらゆるところと繋がっているっていうのに、なんて孤独なんだろうと思ってしまいました。これがデジタルネイティブ。

私が若者の考え方に興味を持つ理由

今回の本だけでなく、Z世代の考え方とか、若者の思考についてとか、子どもたちがスマホをどう使っているとか、私は若者がどう考え、なぜそう考えるのかがとても気になるんです。だからその手の本をたくさん読みます。

それってもちろん子どものため、育児の参考になればというのが大きいんですが、何より自分が子どものころ親に対して「何も知らないくせに」「分かろうともしてくれないくせに」とよく感じていたからだと思います。

というのも私が子どものころは、「子どもはとにかく親の言うことを聞いていればいい」「口答えはするな」が両親の基本的な考え方であり、まあ押さえ付けられてきました。それが良かった面ももちろんありますけどね。

大学で一人暮らしを始めた時、私が当時付き合っていた彼氏のことを両親、とくに母が気に入らなくて、今すぐ別れろと言われたことがあります。「口答えするなら学費を止める」「親子の縁を切る」とまで言われました。意地でも別れなかったら母が折れてきたので、この件は事なきを得ました。

私も確かに若かったので、思考が未熟だったことは認めます。が、こちらの言い分を一切聞こうとせず、力づくで言うことを聞かせようとするのが本当に嫌いだったんですよね。あそこで反抗した私、結構偉かったと思う。大学の彼氏事件以降は頻繁に反抗してやったので、「ちゃんと育てたのに何でこんな子になってしまったの!」と母に泣きながらキレられましたが、いやそれもこれもあんたたちのせいだよと思うわけでね。

だから私は、正解はないにしても、ちゃんと話を聞く親でありたいと思うのです。若者の考え方を本で読んだから我が子を理解できるわけではないけど、せめて同じ土俵で話がしたいし、話し合う間口は広げておきたいよねってことで。まあ自己満足なんですけどね。たぶんこれからも私はこの手の本を読み続けると思います。

本を通じて考えさせられたこと

前置きがすごい長くなってしまったのですが、『いい子症候群の若者たち』を読んで、我が子のことも含めて考えたことをまとめてみます。あくまで私の意見として「ふーん」と呼んでいただければと思います。

「主体性を大切にする」教育がかえって主体性を奪っている

コエテコ」「みらぴか」など教育系のサイトで執筆をしているので、小学校から高校、大学までの教育に関しては結構いろいろ調べているんです、私。学習指導要領なんかはお手の物で、もはや文部科学省のサイトはマブダチの気分で参照しています。

で、昨今の学習指導要領って、「3つの柱」とか掲げちゃってるわけですよ。すなわち
「基礎的・基本的な知識・技能の習得」
「思考力・判断力・表現力」
「主体的に学習に取り組む態度」
の3つです。子どもたちの成績表に書かれているので、就学児のいる家庭ではおなじみの3項目じゃないでしょうか。

で本の中では、この主体性の教育に問題あるんじゃないのってことが書かれています。

壮大なゆとり教育を実装する上で、巨大な課題として立ちはだかったのが、主体的な学びの基礎となる「思考力、判断力、表現力、技能」や「関心・意欲・態度」をいかに測定・評価するかだった。
私たちは、ある人の思考力や表現力が優れているかどうかは「何となく」わかる。評価対象が複数人となった場合でも、(僅差じゃない限り)「何となく」順位を付けられる。
(中略)
しかし「何となく」では、義務教育の最も重要な公平性が担保できない。したがって、何らかの客観性が求められる。
(中略)
そこで、思考力や判断力、意欲や態度の一部が行動として(誰もが計測可能な状態として)わかりやすく表出した際に、それをカウントするしかない。例えば、授業中に質問した回数や、自ら課外活動に取り組んだ回数といったことだ。

『いい子症候群の若者たち』第4章より一部抜粋
(太字は私の判断で付けたものです)

つまり何かって話ですが、大事だけど評価が難しい「主体性」なんてものを学校教育に詰め込んだ結果、それを画一的に評価する仕組みが生まれ、子どもたちはそれに順応して点数を取ることを覚えたってことです。主体性を評価してもらえるようなテクニックを学校教育で覚えたということ。ノットイコール「主体性を持っている」、です。これ、ものすっごい皮肉だと思いませんか。

文部科学省のドキュメントに間違ったことは何一つないんですけど。真面目な現代っ子たちは、この過程に順応した結果、かえって主体性を失うという悲しい状況に陥っているのではないか、と感じました。

ITが「自分の世界」と「視界」をかえって狭めている

世界中のあらゆる国と人と繋がれる現代だというのに、子どもたちが見ているのはスマホという小さな箱。テクノロジーが生活を広く豊かにするはずが、どんどん視界が狭く、世界が狭くなってしまっている気がするんです。

長男が中学生になったばかりころ、たとえばどこか関節が痛いってなったとき、検索したら「〇〇病の可能性がある」と出てきてパニック!みたいなことがありました。ただの成長痛だっつーの。さすがに最近はこういうことはありませんが、スマホという小さな世界で見えたものがすべてっていう、ここにすべてが凝縮されている気がします。そんなのから一度目を離して、顔を上げてごらんって言いたい。

おそらく友達関係はもっと閉鎖的で(うちは男子だけど女子はもっとすごいらしいし)、SNSやLINEのつながりで少しでも波風が立ったら終わりって感じちゃうのかも。世界はそんなに狭くないんだけどな。

誰もが「素の自分」をどこへも出せない息苦しさを抱えている

私が子どものころといえば、親友って言えばどんなことでも話せる相手だったし、仲がいい子には私の感情すべてを受け止めてほしいって思ったものです。が、今の子は仲良しの友達にも「素の自分」を出せないっていうから世知辛い。

「じゃあ本心はいつ出すの?」って長男に聞いたら、「本心は外に出さないから本心なんだよ」とよく分からないけど哲学的なことを言われて「??」となりました。友達に悩み事を打ち明けたりはするけど、完全に胸の内を話したりはしない。なぜなら、そんなことをしたら輪を乱してしまうからだ。

仲良しの友達同士でそれ、必要?と思うんですが、今はそうらしいです。輪を乱して対立や波風が起こると、「圧」と感じるんだとか。そりゃ学校も息苦しいわな・・・って思わざるを得ません。

指示待ち人間は将来AIに淘汰される

目立ちたくない、競争したくない、判断したくないと考える若者は、「安定」した会社に入りたいと考える傾向が強いと書いてあります。ここでいう安定とは、潰れない、大企業と言った「安定」とともに、先輩や後輩がガツガツ来ない、ルーチンな感じという精神的「安定」も含まれます。そして、そんな安定志向の行きつく先は、いわゆる「指示待ち」です。

分からないことがあれば固まって相手が動くのを待つ、あるいは検索してWebに答えを探すのが常の人たちにとって、自ら判断して動くことは苦行でしかなく、とにかく安定的なルーチンワークを好むというんです。

でも考えてみて、それってきっとそのうちAIに仕事を奪われるよねって話でさ。Webライターも含めて「AIに代替されない仕事を!」って言われている世の中なのに、これってなんてアイロニカルなことでしょう。指示待ち人間だけが量産される世の中。今こそそこから脱却しなきゃダメなんじゃないの?って思いつつ、それって若者が悪いわけじゃなく、私も含め大人の責任ですね。このままではいけない。

SEO記事は読み手の「考える」機会を奪っているのかも

現代の若者は、分からないことがあれば何でもネットに答えを求めます。だってそこに答えがあるから。何も間違っていない。だから就職活動のエントリーシートの書き方、服装、面接の受け答え、説明会の質問に至るまで、あらゆることを検索して解決を求めるというのです。

でも社会に出て働いてみてつくづく思うのは、世の中には答えがないことの方が多いって事実です。家事も育児も働き方も、テンプレはあっても本当の答えなんてないことばかり。本当は、若いうちから「考える」機会を意識して作らなければいけないんだと思うんです。

でもこれに関してはWebライターの私も反省しなければと思ったのですが、若者が求める「正解」を我々がSEO記事によって量産しているのが現実なんですよね。最初に結論を書くとか、最たるものです。「手に職を」「市場価値を」「キャリアアップを」とか、答えを求める人に都合のいい素材を提供しているにすぎません。そしてそれでお金を貰っているという。本当に申し訳ない。

ただ自己弁護しておくと、道具や素材はそのものが悪ではなく、使い方が肝心なのであります。有用な情報をどう使うかはあなた次第。だから若者諸君も、そういうSEO記事を前に、そのまま「これが答えだ」と納得するのではなく、「考える」ための1つの燃料にしてほしいものですね。そんな願いを込めて、今日も1本納品しました。あざす。

未来を生きる我が子に願うこと

長々と展開してしまいましたが、『いい子症候群の若者たち』を読んで、未来を生きる我が子たちに改めて願うことを書き出してみようと思います。

1つ目、友達や内輪、SNSによるヨコだけのつながりでなく、タテのつながりも大切にしてほしいです。たとえば学校の先生、大人、社会とのつながり。これは我が子2人とも、NPO法人が主催する地域活動に参加していて、さまざまな大人や子どもと関わり合っているので、良い傾向かな。中学、高校とこれから何かと忙しくなるけど、たまにでいいから参加して、世界や視界を少しでも広げてほしいと思います。

2つ目、Web検索などで「正解」と提示された事象を疑い、自ら「考える」「判断する」ことをやめないでほしいです。世の中には答えのないことの方が多い。何が正解で何が不正解か、自ら判断できること、そして判断の根拠となる知識を養ってほしいと思います。大人にいくらでも頼ってくれていいから。

3つ目、失敗を恐れず、率先して手を挙げられる子であってほしいです。コミュニティのリーダー的な立場を経験したりして、成功体験だけではなく失敗体験も重ねて、厚みのある人生経験を養ってほしいと思います。若いうちほどいくらでも失敗していいんだから。

周りの空気を読むのではなく、自分の頭でちゃんと考えて、自分の意見を持ち、言語化して人前で発言できることが大切だと思います。それが当たり前にできる子であって欲しいな。そして私たち大人は、彼らがより成長できるように、いろいろな選択肢を与えてあげなければいけませんね。

我が子たちはいい感じに成長できているとは思っているので、今後はもっと前のめりにガツガツと!進んでいってほしいと思います。

結び

本の感想を書くはずが、7000字とかものすごく長くなってしまいました。だって良書だったんだもん。教育に関する執筆があり、また私も子どもが学校教育課程にあるもので、国の政策や方向性ってのは無関係ではいられません。小学生・中学生の我が子がこの先どんな成長を遂げ、どんな大学生や社会人になるのか、興味深く見守っていきたいと思います。そして、こういうことに課題感を感じるたびに、国政のあり方、国会議員のあり方とともに、ちゃんと選挙へ行くことの大切さを痛感します。みんなマジ選挙ちゃんと行こう。

『いい子症候群の若者たち』、興味を持たれた方はぜひAmazonでポチってください。読みやすくておすすめですよ!

※Amazonアソシエイトです

この記事が参加している募集

多様性を考える

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?