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お金の話。お金にまつわるイメージだとか、ギャラ交渉だとか。

本日はお金の話。というか、お金についての印象と考え方の話。

演劇業界、役者・スタッフのギャラ交渉についてなどが話題になると、「お金の話がどうにも苦手」「ギャラは不満だけど交渉するのもちょっと……」という声を耳にすることがあります。

以前は私もお金にまつわる話にネガティブな印象を持っていました。が、少し変わってきたところなので今思うことを言葉にしてみようと思います。

お金の話がとっても苦手

金額の交渉にためらうスタッフ・役者と同様、私もギャラなどの値上げ交渉に抵抗がありました。それが今、相変わらず言い出し難くはあるけれど「資格・権利として当然」と考え、ある程度は主張できるようになりました。

なぜ変わってきたのか

きっかけは、デザインを仕事として生活費が稼げるようになったという環境の変化。自分のスキルで生活費が稼げるようになったという自信と誇り、技術および私という人間に支払われるお金、仕事に対する責任感。

ユニットの活動や、宣伝美術として環境を整えるための準備など、お金を稼ぎ使いたい道が明確になったという背景もあります。

それらを鑑みたときに、提示された金額に対して「ここまではできる」「これはできない」「これはサービス」という線引きができるようになったということも大きいと思います。クオリティを落とさないで済むラインだとか、同業者の地位や単価・ギャラを下げないラインだとかを探りながら。

交渉するために必要なこと

もちろん、交渉が許されるのは仕事として請け負うだけの品質や責任があってこそ。経験もないのに努力もしないだとか、そんな状態で交渉すれば「力量をわきまえず欲深い奴」「身の程知らずの面倒臭い奴」「もう付き合わないでおこう。今回限りにしよう。」という結果になりかねない。

お金の話にネガティブな印象を抱いたり交渉に戸惑う人たちは「これっきりになったらどうしよう」「次のチャンスがなかったら困る」「次の仕事に繋がらなかったらと思うとこわい」「仕事が取りにくくなるかもしれない」などと不安に思い、切り出すこともなくモヤモヤしたまま飲み込むのかもしれません。

だけどさ、ここには考え方というのもあるよね。「この程度で切れる縁ならいらない」「ポジティブで建設的な人達と仕事をしていく」「全力で臨んでも評価されなければそれが今の自分の実力」「技術に対して敬意を表せる人たちと仕事をしていく」という具合。交渉して駄目と言われたところで、お互いの事情というのもあるワケで。却下されたって、自分が否定されたというわけではないのだし、それはそれとして「ではもっと頑張っていつか希望を通させていただこうじゃないか」って。言葉にしなければ、行動しなければ、いつまで経っても変わらないのでね。

おごることなく謙虚に、真摯に、自分の技術や人間力と向き合う。それを絶え間なく繰り返してゆく。ただそれだけのこと。

この思考を身に付けた背景

この感覚や考え方を身に付けたのは企業の営業部門に身を置き、そこでお金を生む方法や循環についての話を間接的とはいえ見聞きしながらデザイン仕事をしてきたから。

やればやるほど持ち出しが増え、拘束時間も長くなる状況でスタッフワークが継続できず、挫折して演劇から離れ、ブランク。紆余曲折あり、演劇に戻りつつある今。

きっかけは半ば強制的な形ではあったけれど、会社勤めの経験と知識は有用。もしも、演劇関係の場所を離れることなくずっと衣裳仕事なり宣美仕事をしていたらきっと、抑圧とどこへ向けたらいいかわからない憤りの間で卑屈になったままであっただろうし、お金に対してのコンプレックスが払拭できなかっただろうと思う。

なんなら演劇関係者、特に役者は一度、3~4年くらい営業部門に在籍してみたらいいのに!とさえ思う。一時的に二足のわらじ、とか。役者としての基礎体力、めちゃくちゃ育つと思うもん。

とはいえですよ。

とはいえ、この「民間企業の営業部門」感覚のまま演劇業界に向かって交渉したら玉砕するのよ。門前払い、仕事なんて取れやしない。

そりゃ当然。演劇業界用にリサイズしないと駄目という。たぶん、一般的な料金の……1/10~1/5くらいなんじゃないかな……。純情な感情より遥かにコンパクト……。

風習と文化と環境と体質。何かいい方法ないかなぁ。新しいやり方で切り開けないかなぁ。開拓の苦労は厭わないから。新しいモデルが作れたらいいなぁなんて思う日々です。

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