Hiroyuki Kikawa

20年ほど福岡市でフリーの映像ディレクターをしていました。映画とマンガと不思議な話が好…

Hiroyuki Kikawa

20年ほど福岡市でフリーの映像ディレクターをしていました。映画とマンガと不思議な話が好きで、そういう趣味のあう友達が欲しいと思っています。2021年の初めまでは熊本市でお弁当の配達の仕事をしながら暮らしていましたが、現在は郵便物の回収の仕事をしています。

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記事一覧

私の自分史 1996~2024

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Hiroyuki  Kikawa
7時間前
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手塚治虫の低迷期

手塚治虫のキャリアのうち、 1968年から1973年は、 衰退期、スランプ期、暗黒期などと 呼ばれている。 劇画の人気が高まり、 手塚治虫の丸っこい線は 古いと言われ、 正統…

Hiroyuki  Kikawa
12時間前
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僕とフイチンさん

僕とフイチンさん 第1回 僕が小学生の低学年の頃、 母方の実家が石川県の金沢市にあって、 まだ祖母が健在で暮らしていた。 ある夏休みに金沢の祖母の家に行き、 数日滞…

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7年前に書いた「げんしけん」に関する記事

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呪詛の矢

さて、ちょっと前に投稿した、 倉庫の話の続きですが、 奥さんとパスタを食べながら、 倉庫に何かがいるという話をしていたら、 奥さんが突然、首のあたりを押さえて、 「…

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複雑な人間関係

5年前にうちの奥さんと居酒屋でしていた話、 この話の登場人物が複雑でわかりにくいので整理してみました。 最初に書いた時は仮名でしたがわかりやすくするために できる…

Hiroyuki  Kikawa
10日前
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倉庫に何かいたらしい

6年ほど前、僕は、 「合志マンガミュージアム」というところで働いていた。 その時の話。 「倉庫に何かいるらしい」 最近の僕の仕事は、 合志マンガミュージアムという…

Hiroyuki  Kikawa
10日前
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「熊本には発展しない呪いがかかっている」のか?

これは3年ほど前、うちの奥さんが言い出した「説」です。 僕もこの「説」には非常に共感しています。 実際に数年住んでみなければ実感できないのですが、 熊本の街やそこ…

Hiroyuki  Kikawa
12日前
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追悼 マイケルジャクソン

私がレコードセールスで 過去の記録を全て破った次の瞬間から、 つまり、私がエルビスの記録を、 ビートルズの記録を破った瞬間から、 ギネスブックの歴史上、 史上最…

Hiroyuki  Kikawa
2週間前
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僕のマンガ道 第7回 最終回 1997年~2019年

1997年にねこぢるさんがお亡くなりになって、 心にポッカリ穴が空きガックリと力が抜けた。 しかしその後も少なくとも2019年までは 生きる運命にあった僕は、 日常のルー…

Hiroyuki  Kikawa
2週間前
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僕のマンガ道 第6回 山野一とねこぢる

僕が「ガロ」をリアルタイムで読み始めた頃、 毎月のように精力的に作品を発表していたのが 山野一さんだ。 そして1985年7月号から一年間、 「四丁目の夕日」が連載され、…

Hiroyuki  Kikawa
2週間前
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僕のマンガ道 第5回 杉浦日向子

「ガロ」にはガロ三人娘と呼ばれている作家たちがいた。 やまだ紫と杉浦日向子と近藤ようこの三人である。 僕はこの三人の中では杉浦日向子が一番好きだった。 杉浦日向子…

Hiroyuki  Kikawa
2週間前
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僕のマンガ道 第4回 つげ義春とつげ忠男

僕が18歳くらいの頃、 色々な趣味嗜好がこじれて、 結局好きなマンガ雑誌は「ガロ」、 というところに落ち着いた。 僕は1966年生まれなので、1984年頃のことである。 「…

Hiroyuki  Kikawa
2週間前
2

僕のマンガ道 第3回 大島弓子

僕がマンガを読み始めた頃は昭和40年代の後半、 ちょうど貸本屋が衰退して、 閉店や廃業が相次いでいた頃の再末期だ。 その頃住んでいたのは島根県の松江市で、 まだ近所…

Hiroyuki  Kikawa
2週間前
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僕のマンガ道 第2回 白戸三平

手塚治虫の次に僕が夢中になったマンガ家は 白戸三平である。 マンガの単行本はもちろん、 マンガ雑誌も家では買って読むことができなかったので、 書店の棚で見つけた、…

Hiroyuki  Kikawa
2週間前
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私の自分史 1996~2024

私の自分史 1996~2024

 1966年(昭和41年)生まれの自分の人生において、特記すべき出来事は1996年の山村道子さんとの出会いであった。山村さんは1933年(昭和8年)生まれで、お会いした時には63歳であった。

 当時の私は福岡市在住でフリーランスの映像ディレクターをしており、以前からの知人であった美容師さんから紹介されて、福岡市薬院に住んでいた山村さんのお宅をお訪ねした。

 山村さんは「人の前世がわかる方」であ

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手塚治虫の低迷期

手塚治虫の低迷期

手塚治虫のキャリアのうち、
1968年から1973年は、
衰退期、スランプ期、暗黒期などと
呼ばれている。

劇画の人気が高まり、
手塚治虫の丸っこい線は
古いと言われ、
正統派の勧善懲悪のストーリーも
優等生過ぎると評価されていた。

まず少年サンデーに
1967年の8月から
1年間連載された「どろろ」は、
水木しげるの妖怪ものと
白戸三平の時代ものに
大きな影響を受けて書かれた作品だ。

そし

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僕とフイチンさん

僕とフイチンさん

僕とフイチンさん 第1回

僕が小学生の低学年の頃、
母方の実家が石川県の金沢市にあって、
まだ祖母が健在で暮らしていた。
ある夏休みに金沢の祖母の家に行き、
数日滞在したことがあった。

特に金沢の実家の近所には
知り合いなどはおらず、
僕は1日目から退屈した。

それで実家の近所の、
多分貸本屋だったと思うのだが、
そこの本屋で何か読む本はないかと、
探しに行った。

そこはおそらく閉店前の貸

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地震の神様との会話

地震の神様との会話

これは8年前にFacebookに書いた記事

熊本地震が起きて一週間くらいした頃、
毎日何回も大きめの余震が来ていて、
今度もまた本震クラスの揺れが来るんじゃないかと、
気が気ではなかった頃、
お義母さんと妹は毎晩車の中で寝ていました。

僕と奥さんは部屋で寝ていましたが、
寝る前に奥さんが布団の中で、
「ねえ、ちょっと、
地震の神様に聞いてみてよ」
と突然言い出しました。

「はあ、何言ってんだ

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7年前に書いた「げんしけん」に関する記事

7年前に書いた「げんしけん」に関する記事

7年前に読んだ「げんしけん 二代目」21巻についての記事。

「げんしけん」というのは、現代視覚文化研究会という、
大学のサークルを舞台に、ここに集まるオタクの日常を描いたマンガです。2002年から「アフタヌーン」で連載が開始され、
2016年に連載が完結しました。

僕はなんとなく気にしながら、
時々新刊を見かけたら買っていました。

オタクというのがどういうものか、定義するのは難しいですが、

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呪詛の矢

呪詛の矢

さて、ちょっと前に投稿した、
倉庫の話の続きですが、
奥さんとパスタを食べながら、
倉庫に何かがいるという話をしていたら、
奥さんが突然、首のあたりを押さえて、
「あいたたた」と言い始めました。

何かエネルギーの矢のようなものが飛んできて、
首のあたりに刺さったような感覚があったそうです。

それで奥さんはその矢を抜くしぐさをして、
「エイッ」と僕の方向に投げました。
「おいおい、俺の方に投げる

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複雑な人間関係

複雑な人間関係

5年前にうちの奥さんと居酒屋でしていた話、
この話の登場人物が複雑でわかりにくいので整理してみました。
最初に書いた時は仮名でしたがわかりやすくするために
できるだけ実名に戻して書き直します。

どのくらい複雑だったかというと、僕の前の奥さん「アサコ」の、
高校時代の同級生の「チヨ」が、
精神病院に入院していた時に知り合った「タカエちゃん」、
この人が昨日いらっしゃっていた生霊さんだったようです。

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倉庫に何かいたらしい

倉庫に何かいたらしい

6年ほど前、僕は、
「合志マンガミュージアム」というところで働いていた。
その時の話。

「倉庫に何かいるらしい」

最近の僕の仕事は、
合志マンガミュージアムという施設の、
バックヤードの本の整理がメインです。

朝、およそ1時間かけて、
マンガミュージアムまで出勤し、
お昼過ぎまでバックヤードの整理をし、
コンテナに詰めた本を
公用車に積んで、
午後2時頃から倉庫に運びます。

この倉庫が割と

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「熊本には発展しない呪いがかかっている」のか?

「熊本には発展しない呪いがかかっている」のか?

これは3年ほど前、うちの奥さんが言い出した「説」です。
僕もこの「説」には非常に共感しています。

実際に数年住んでみなければ実感できないのですが、
熊本の街やそこで暮らしている人はどこか変です。
たんに田舎だからというのではなく、
何か明確な意図のようなものがあって、
あえて「変」なふうに整えられているのではと感じます。
戦国時代とか、江戸時代とか、
もしかしたらもっと前の石器時代くらいからか、

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追悼 マイケルジャクソン

追悼 マイケルジャクソン

私がレコードセールスで

過去の記録を全て破った次の瞬間から、

つまり、私がエルビスの記録を、

ビートルズの記録を破った瞬間から、

ギネスブックの歴史上、

史上最高に売れているアルバムとして認知された瞬間から、

一夜明けたら、彼等は私を変人、ホモセクシュアル、

児童虐待者と呼び始めたんだ。

私が自分の皮膚を漂白しようとしているとも言った。

彼等は世間の人が私に背を向けるようにする

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僕のマンガ道 第7回 最終回 1997年~2019年

僕のマンガ道 第7回 最終回 1997年~2019年

1997年にねこぢるさんがお亡くなりになって、
心にポッカリ穴が空きガックリと力が抜けた。

しかしその後も少なくとも2019年までは
生きる運命にあった僕は、
日常のルーティーンをこなしながら、
時々マンガを読んだりして生きて来た。

その前から、そしてその後にも、
僕の心を支えてくれていた作家は、例えば、
ちばてつや、本宮ひろ志、楳図かずお、
倉多江美、古川益三、蛭子能収、古屋兎丸、
諸星大二

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僕のマンガ道 第6回 山野一とねこぢる

僕のマンガ道 第6回 山野一とねこぢる

僕が「ガロ」をリアルタイムで読み始めた頃、
毎月のように精力的に作品を発表していたのが
山野一さんだ。

そして1985年7月号から一年間、
「四丁目の夕日」が連載され、
僕は毎日を次号が発売されるのを待って暮らし、
次の回を貪るようにして読んでいた。

後に山野さんは「鬼畜系漫画家」、
というジャンルに分類されているが、
そのマンガには高度な哲学が
メッセージとして隠されている。

その後山野さ

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僕のマンガ道 第5回 杉浦日向子

僕のマンガ道 第5回 杉浦日向子

「ガロ」にはガロ三人娘と呼ばれている作家たちがいた。
やまだ紫と杉浦日向子と近藤ようこの三人である。
僕はこの三人の中では杉浦日向子が一番好きだった。

杉浦日向子は1980年に「ガロ」でデビューして、
その後、マンガ家、エッセイスト、時代考証家として
大活躍したが、2005年に46歳でお亡くなりになった。

その間、希代の怪物、
荒俣宏と結婚していた時期もあった。

1993年には「百物語」の終

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僕のマンガ道 第4回 つげ義春とつげ忠男

僕のマンガ道 第4回 つげ義春とつげ忠男

僕が18歳くらいの頃、
色々な趣味嗜好がこじれて、
結局好きなマンガ雑誌は「ガロ」、
というところに落ち着いた。

僕は1966年生まれなので、1984年頃のことである。

「ガロ」は青林堂の長井勝一が、
白戸三平に「カムイ伝」を書かせるために
1964年に創刊した雑誌だが、
「カムイ伝」第一部は1971年に終了し、
その後は「ガロ」では再開していない。

「カムイ伝」終了後、
「ガロ」はマニアッ

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僕のマンガ道 第3回 大島弓子

僕のマンガ道 第3回 大島弓子

僕がマンガを読み始めた頃は昭和40年代の後半、
ちょうど貸本屋が衰退して、
閉店や廃業が相次いでいた頃の再末期だ。

その頃住んでいたのは島根県の松江市で、
まだ近所には貸本屋があった。
しかし僕は貸本屋に通ってマンガを借りた、
という記憶はない。

当時はまだマンガを置いている
図書館というのもほとんどなく、
〇〇という図書館にはマンガが置いてあるらしいぞ
と聞いて行ってみると「サザエさん」が

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僕のマンガ道 第2回 白戸三平

僕のマンガ道 第2回 白戸三平

手塚治虫の次に僕が夢中になったマンガ家は
白戸三平である。

マンガの単行本はもちろん、
マンガ雑誌も家では買って読むことができなかったので、
書店の棚で見つけた、白戸三平の「サスケ」を、
表紙の絵柄のみで選んで買ってこっそり読んだ。

それは主人公のサスケが、
僕と同じくらいの年齢の子供だったからである。

「サスケ」は複数の出版社から単行本が出ているのだが、
僕が買って持っていたのは、
講談社

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