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夢中になれて教養が身につく! 現代人のためのファミリーヒストリー入門

突然ですが、皆さんに質問です。ご両親の名前はご存知ですか?

恐らく、ほとんどの人が「はい」と答えるでしょう。それでは、その前の世代、あるいは、その前の前の世代ではどうでしょう。
自分のひいおじいさんや、ひいおばあさんの名前を知っているという人は、案外少ないかもしれません。

きっと、彼らがどのような仕事についていて、どのように生きてきたのかを知る人は、もっと少ないことでしょう。

こんにちは。ライターの北山です。
僕は大学院で歴史学、とくに日本近世史、村落史と呼ばれる分野を専門的に研究した後、いまはサラリーマンをしながら研究活動を続けています。

そんな僕には、中学生の頃、先祖調査に夢中になった過去があります。部活が終わってヘトヘトで家に帰ると、当時大好きだったBUMP OF CHICKENのCDを聴きながら、せっせと役所に提出するための書類を書くのが何よりの楽しみでした。
果ては父親に頼み込んで安くない旅費を捻出させては、飛行機に乗って、ひとりで全国を飛び回りました。先祖の勤めていた会社が現存していると知れば、人事課に電話をし、先祖のお墓があるお寺があると知れば、羊羹片手に挨拶に行きました。

高校時代に旅した先祖の地・亀田郷。なんにもない。

そうやって僕は、ゆっくりと時間をかけて、戦国時代生まれの先祖にまでたどり着くことができました。その過程は、役所や博物館などに散らばっていた先祖に関する記録のピースを拾い集める地道な調査であり、拾い集めたピースを使って先祖たちの生涯を推理する高度な謎解きゲームでした。
同時に自分の頭を使って(僕の場合は)日本の歴史をさかのぼる、時空を超えた遥かな旅だったのです。

ところで、先祖をたどることは、現代を生きる僕たちにとって、どういった風に役立つのでしょうか。
僕が考えるに、先祖調査の利点は2つあります。

まずひとつが、「歴史」を肌身に感じる力が身に着くことです。
当たり前のことですが、僕たちの先祖は、長く続く歴史のうえを生きてきました。そこでは、第二次世界大戦、戊辰戦争、本能寺の変、応仁の乱など、歴史の授業で習ったような大きな事件も沢山起きています。
先祖調査を始めてみると、自分の先祖がこうした出来事に直接関わって来たことを知ることになります。

僕の場合、調査を通して父系の「兼之助信定」という十六代前の先祖が、長篠の戦いに参加していたことを知りました。教科書の記載でしかなかった「長篠の戦い」が、僕のなかに入り込んだ瞬間、言うなれば本当に歴史を実感した瞬間でした。この瞬間、僕にとって「長篠の戦い」は単なる教科書の記載を超えたのです。
(こう書いてしまうと、僕の先祖が偉かったようですが、単に偉くなかった先祖の記録は残っていないだけです)

僕の先祖が400年前に建てた寺

世界を見てみると、いまでも各地で戦争が起きています。
過ちを繰り返さないために歴史を学んでいるのに、過ちが繰り返されるのは、きっと僕たちが「歴史」を肌身に感じることができていないからでしょう。かつて起きた戦争を「自分ごと」として感じ取ることができていないから、僕たちは過ちを繰り返すのです。
先祖調査を通して歴史に触れ直すことができれば、あなたの歴史を捉える視点は、限りなくシャープになるはずです。

僕は、旅のなかで沢山の先祖たちと出会いました。
先祖たちの人生は、僕が思っているよりも何倍も困難に満ち溢れたものでした。僕の祖父は、命がけで第二次世界大戦に学徒出陣しました。高祖父(ひいおじいさんのお父さん)は、着の身着のままで植民地から引き揚げてきました。戦争、飢饉、災害……。考え得るあらゆる困難を潜り抜け、先祖たちは僕に命をつないだのです。

何も僕の先祖が特別悲劇的だったわけではありません。長い歴史を生きてきた先祖たちは、多かれ少なかれこうした悲劇に直面しています。きっとあなたの先祖も同様です。そのなかには、眼をそむけたくなるほど悲惨な事実もあるはずです。
でも、そうした事実を知ることは、きっとこれからあなたが生きていくうえでの柱となります。あまりにも大きな困難に直面してきた先祖の生涯を知ることで、たいていのことは「何のこれしき」と思えるようになるのです。これが2つめの利点です。

亀田の民宿の夕飯が美味しかった

さて、旅には注意点もあります。
旅の途中で、あなたが知りたくなかったことを知る可能性もあります。それを気にしない覚悟を持つことが必要です。
自分は有名人の子孫だと聞いて勇んで調査を始めたはいいけれど、殺人犯の子孫であることを知ってしまった。貴族の子孫だと聞いていたのに、実は被差別民の子孫だった。こうした事例は十分に想定できます。
この旅では、そういった時に「自分は関係ない」と言い切る力が必要になるのです。

だってそうでしょう。もともと貴方は誰にも強制されていないのに、この旅を始めたのです。そんなことで傷つくなんて全くナンセンスではないですか。あなたは旅の中で手にした、自分の役にたつことだけ吸収すればいい。
そのために、ここで言い切っておきます。先祖調査を通して先祖と触れ合うことは素敵な行為ですが、あなたと先祖は無関係です。

逆に先祖の身分が高かったとしても同じことが言えます。
あなたの先祖が偉かったことは、あなたとは全く関係ありません。だから、この記事ではよくあるハウツー本のような、「藤のつく名字の人は藤原氏の子孫?」などと、あなたを気持ちよくすることは言いません。僕は歴史学のなかでも家系図や由緒書を研究対象としてきましたが、ほとんどの場合、藤のつく名字は藤原氏の末裔を「名乗りたい人」が新しく名乗ったものだと言い切ることができます。あなたの家に「藤原氏の子孫」という伝承があったとして、恐らくそれは「作られた物語」です。

江戸時代以前の先祖の話なんて、歴史学的にはまったく信頼できないのです。源氏だろうが橘氏だろうが同じです。下の画像は僕が中学生の時にたどり着いた自分の家の由緒書ですが、江戸時代以前の記述については、史料的な強度はまったくないと考えています。

祖父の生家にあった由緒(江戸時代、由緒を持つことで得られるメリットがたくさんあった)。

考えてもみてください。あなたの両親は2人いますね。おじいさんおばあさんは4人、その前の世代は8人です。このように、あなたの先祖はねずみ算式に増えていきます。この計算を繰り返すと、なんと27代前には、あなたの先祖は1億人を超えるのです。
こうして考えてみると、みんながみんな共通の先祖を持っていることが分かります。恐らく、あなたは凶悪な殺人犯の子孫であり、偉大な政治家の子孫でもあります。
ね? 先祖の身分にこだわりすぎることが馬鹿らしくなったでしょう? 

何度も言いますが、この旅は歴史を肌に染み込ませることを副産物とした、高度な謎解きゲームに過ぎないのです。
本当は、あんまり説教くさいことも言いたくありません。みなさん、歴史の授業はもう充分受講したでしょうからね。

前置きはこれくらいにしておきましょう。
旅の目的なんてものは、途中で変更したっていいのです(もちろん途中でやまてしまったって構いません)。そもそも僕が押し付けるべきものではないのです。
僕の役目は、あなたが困った時にできる限りのアドバイスをすること。とにかく早く荷造りをして、僕と一緒に長い歴史の旅を始めましょう。

※続編はコチラ。隠岐島にルーツを持つ友人のファミリーヒストリーを解明します!


北山:1994年生まれ。ライター・歴史研究者。一橋大学大学院社会学研究科修了。専門は日本近世史。「文春オンライン」、「プレジデントオンライン」、「歴史街道」などに寄稿。久しぶりに真面目な記事書いたから疲れた。署名は(円)。

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