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何に勝ちたいのだろう?何に負けたと思っているのだろう?何かに悩んでいる時、こんな心境になる。

自分の心が醜く感じる時がある。
何かに勝ちたいと思っている時。
何かに負けたと思っている時。
無駄に悩んでいる時にありがちな心境だ。
そんな時の自分の顔は、きっと醜いのではないかと思う。

苦虫を嚙み潰したような顔をして、私は一体、どこに向かおうとしているのか?
手放せばいいだけだ、本当は。
そんなよくわからない、エゴだらけの執着に縛られている場合じゃない。
そんなことわかっている。
なのに、なぜ?同じところでぐるぐると回る私。

ぐるぐるぐるぐると回りながら、めまいを起こし、倒れ込む。
倒れた後は、気を失う。
気を失った私は、悪夢の世界へと誘われる。
毎晩のように悪夢を見るようになる。
時に、声に出して叫ぶほどの悪夢を。

大抵、高速道を走りながら、降りるべきところで降りられなかった夢だ。
降りられなかった私は、焦り、必死の思いで次のインターを目指す。
一般道に戻り、ホッと胸をなでおろす。
そんな感じの場面で、目を覚ますことが多い。

なんでこんな夢を見るのか?
明らかに追い詰められている。
何に追われているというのだろうか?私は。
思考に追われているのだ、私が生み出した、思考という名の化け物に。

思考というと聞こえがいいが、私は考えすぎた先に、思考を化け物にしてしまう時がある。
自分を救うために考えたつもりが、その考えによって自分をいじめてしまうのだ。
こういうことを本末転倒というのだろう。

考えすぎた先に、思考がクリアになり、山頂から、広大な景色を見渡しているようなほどの、爽快な気分になる時もあるというのに。
いつもいつも、考えすぎた先に、クリアな世界が待っているわけではないのだ。

私の胃痛は、考えすぎた先に、思考を化け物にしてしまったことが起こしたものだと思われる。
すなわち、ストレスだ。
私はストレスを甘く見ていた。
自分が持病をたくさん持っているだけに、自分が父の延命治療という重いテーマと向かい合っている時期なだけに、ある程度の考えすぎ、ある程度のストレスは仕方がないものと思っていた。

しかし、盲点があった。
私は、体を壊すほどのストレスだと思っていなかったが、去年からある悩みを抱えていた。
この悩みこそが、私を胃痛にした犯人だった。
ストレスとは、大きい出来事にばかり反応するものではないことを、初めて知った。

人間とは、日々、普通に生活するだけで、どれだけのストレスにさらされているのか?と、改めて考えてしまった。
自分のストレスに気付けるようになるには、自分の心を日頃から感じる習慣が必要だと思った。
このぐらい大丈夫、このぐらい平気、そうやって自分をごまかし続けてきた結果、ある日突然、限界がやってくるのだ。

そうなる前に気付きたい、(誰かが倒れる前に)気付いてあげたい、そんなことを思った、(記事更新をお休みした)一週間だった。


本文とは関係ない選曲です(*´σー`)エヘヘ


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