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バビバビバビロンの胡座をかきながら談議する胡座談「奉仕とはなんぞや編」
私の配偶者だったりする女性の方のお話しでもしようかなと思うのですが、とても文章に書き記すのは難しい繊細な関係性というか、私は彼女の心優しきところに一番好感を持ってはいるのですが、彼女は自分を犠牲にしてそれをする人でもありました。
要するに幼少期ならば彼女は盲目的に自分が嫌なことすら我慢して、体調が悪くなっても誰かのために何かをしようとしたりとかですね。
最初に断言しておくとそれは優しさではなく
頼りにされ過ぎてそれが当たり前になってくると結構しんどいですね。
何かあった時は誠心誠意の謝罪などはあっても、それは次には何も活かすという頭すらない悪気はないであろう相手に手を焼かされる。
次第に遠慮がなくなってくる。
我が子に対しても普通にそう思う。
幼い頃ならまだしもね。
バビバビバビロンの胡座をかきながらする談議で胡座談「子育てとはなんぞや編」
我が子のお話しでもたまにはしようかなと思ったのですが、私は世間一般的には子宝に恵まれていると思うのですが、幼少期はともかく成長した彼らを私が一人前にというよりは一人前にしようと扱うと腑抜けきった私の配偶者も義理の父親も友人たちの多くも厳しいと口を揃えて喚き立てるのです。
そして我が子たちは一様に自分が困難にぶち当たれば自分は父親である私のようには上手くいかないだとかほざくわけです。
特に二人の
相談することを自分がこちらにこうして欲しいとか何かを察して欲しいことを主張するものだと思い込んでる人間の多いこと多いこと。
面倒臭いですね。
たぶん私は編集室ごっこがしたいだけなのかもしれないことに気が付いた。
とりあえずやってみるか。
バビバビバビロンの胡座をかきながらする談議で胡座談「バズるとはなんぞや編」
なんとなく善人の振りを続けるのも飽きてきたのでなにかお手軽に創作活動とかしようかなと思ったのですが、最初はアダルト内容ではない同人活動でもしようかと思ったのですがイラストと文章を考えるのが怠いなと思って止めました。
次に絵本でも書くかと思ったのですが絵本だと物語性というか文章が短くなりすぎる気がして気が乗らないなとなりました。
その次は私はこれでも昔そこそこ演技の勉強というか大したものではあり
バビバビバビロンの胡座をかきながらする談議で胡座談「親とはなんぞや編」
親というのは何というか、その存在の役割とか生物的に産んでもらったからなんだとかを全部引くるめたらとても哲学的な何かを発見できそうな気もしなくもないのですが、今回は私が抱える問題児三人集の小僧を話題にします。
彼は両親にも恵まれていたように思えます。
友人にも恵まれてもいたと思いますし、私もそれなりに目をかけてもいました。
しかし、彼はある幼少期の極度のストレス体験から自分の心を守るために別人
バビバビバビロンの胡座をかきながらする談議で胡座談「友情とはなんぞや編」
自己喪失という言葉は英語ではアイデンティティクライシスと訳されたりします。
自己やアイデンティティはつまり自分らしさとした時にそれが喪失すること、そして危機的状況に陥ることをクライシスといいます。
自分の存在意義を見失ってしまい心理的な危機に陥る状況のことを指してそう表現するわけなのですが、それが何故起きるのかをこれから説明します。
たとえば、親からの虐待などによって親と築き上げてきたそれま
バビバビバビロンの胡座をかきながらする談議で胡座談「普通とはなんぞや編」
普通という言葉の意味は「ごくありふれたもの」「当たり前のこと」「特に変わったところがないこと」という意味合いがあって、私はかつてこの言葉は嫌いでした。
理由はその普通の基準は誰が定めたかわからないからです。
今になって思えば私はまだ若く、子供だったからそう思っていた自覚があります。
私が生まれ育った家庭では、酒を飲んでは管を巻いて暴力や暴言というものではなく威圧的な態度で私に振る舞う父と、ヒ
バビバビバビロンの胡座をかきながらする談議で胡座談「甘えとはなんぞや編」
甘えた人間というのは大まかに二種類あると思います。
甘えさせてきた人間と甘やかされてきた人間とです。
前者は人間の成長には必要不可欠です。
まだ幼少の段階で親から受ける愛情というのは心が満たされて人格形成の大きな部分を担うからです。
甘えさせてきたという表現なので、これは周囲からの好意として信頼関係が築けている状態です。
後者は間違いなく愚図な人間が産み出されますね。
こいつは幼少期の
バビバビバビロンの胡座をかきながらする談議で胡座談「CTuberとはなんぞや編」
たまたまネット上でCTuberという単語を目にしました。
なんだろうかと興味が湧いて調べてみるとキャラクターという意味でのCでCTuberらしいです。
このCTuberとVTuberのなにが違うのかですが、VTuberというのは中身の方といわゆるガワというキャラクターが同一の存在であるというか、中身の方の実生活が色濃く反映されているらしいです。
最近だとVTuberさんへの誹謗中傷が認められ
バビバビバビロンの胡座をかきながらする談議で胡座談「強さとはなんぞや編」
弱いよりは当然ながら強い方が自分にとって良いことなのはわかりきったことでありますが、一言で強くなると言っても具体的にどうしたらいいのかが問題となってきます。
そうした時に自分を客観的に見詰めて評価できる人間なのならば苦労はしません。
なので今回の記事は強さに密接する優しさや愛情深さについても書いていきます。
このお話しにおける強さとは物理的な肉体のことではなくて心の強さです。
具体例を挙げ
バビバビバビロンの胡座をかきながらする談議で胡座談「あらすじとはなんぞや編」
創作大賞というものがnoteで催されるらしいのですが、私個人としては応募する気はさらさらなくて適当に応募している方の記事でも数が揃ったら楽しみたいな程度のものなのですが、「あらすじ」というものを理解してない人が多いみたいですね。
これは別に苦言ではなくて助言みたいなものですね。
「あらすじ」つまり漢字にすると「粗筋」となります。
荒くていいので筋書きを書いてくださいということです。
筋とは
バビバビバビロンの胡座をかきながらする談議で胡座談「負とは悪とはなんぞや編」
「負」という言葉にはですね抱える、被る、敗北するという意味合いが含まれていてあまり良いものではありませんね。
ただ、抱負だとか自負などの頼みとするなどの意味としての言葉もあるのですが、具体的には否定の意味合いの言葉によく使われるようです。
そこで私は「負」という言葉の意味を調べました。
「人」の下に「貝(古の財貨の意)」があるということで価値のあるものという予想外の意味合いで、それが語源とし
バビバビバビロンの胡座をかきながらする談議で胡座談「感動とはなんぞや編」
私はというより、人間誰しもあるものだと思うのですが賢く思われたいだとか賢く振る舞いたいのような自己肯定感などを満たしたい欲のようなものがあると思います。
だからこそオタクという言葉が浸透してきて、マイルドな意味合いでも広い意味でオタク趣味が受け入れられてきたのかなと。
もともとオタクという言葉の意味は自分の興味がある事柄以外にはまるで無関心で興味あるものだと饒舌になるという社会性において問題の
バビバビバビロンの胡座をかきながらする談議で胡座談「遊びとはなんぞや編」
私には友人が数多くいます。
しかしながら友人とは言ってもいろんな形の友人がいて、一緒にいて心地好い人、楽しい人、尊重できる人いろんな形の友人です。
正直言って彼らを一人一人をピックアップして記事にするなんてことは不可能だろうなと思うくらいに私は友人に恵まれていると思っています。
その人数はもちろんのことながら彼らの人間性とかも含めてですね。
その時に投稿する記事内容に関連する友人以外で敢え