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何度も読み返したい素敵な文章の数々 vol.4

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もう一度あなたに勘違いできるだろうか

もう一度あなたに勘違いできるだろうか

恋は勘違いのようなもの。

こんな言葉を耳にしたことがあるのだけれど、一体どこで耳にしたのだったか、そもそも耳にしたのではなく目にしたのだったか、それは定かではない。定かではないのだけれど、確かにその言葉はわたしの中にある。

確かにそうなのだろうなあ、なんて思う。誰かを好きになるきっかけなんて、たいていほんのささいなことで、そこからのめり込むようにして想いを募らせていきました。

ひとりで(あー

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飲みこもうとするそいつに、わたしは全力で抵抗する

飲みこもうとするそいつに、わたしは全力で抵抗する

それはいつでもわたしの周りに漂っていて、気を緩めていると突然ふわりとわたしを包みこむ。

ぞわっとした寒気のような感覚のあと、襲ってくるのは強い吸引力。洞穴から風が吸いこむようにして、わたしのことを引き寄せようとする。

わたしはいつでもその風から逃げ出そうともがいて、必死に抗いつづけている。

……たとえるならば、こんなイメージ。

わたしのメンタルががくりと不安定に傾くときの印象です。

これ

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言い切るときの主語は誰ですか

言い切るときの主語は誰ですか

曖昧な発言は、良しとされないことが多い。

自信がなさそうに捉えられてしまい、それが信頼感の欠如にも繋がるからだろう。

方向性をずばり指し示してくれる、言い方は悪いけれど「口が上手い人」は、多くの支持を得ることが多いように思う。

昔でいえば、小泉元首相だとか。政治家でも起業家でも、「言い切る」ことができる人は、周りに安心感を与えるのか、人気に火がつくことが多いように感じる。堂々とした様子に、「

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「結果がすべて 」なんて大嘘

「結果がすべて 」なんて大嘘

放課後 同級生はどこかへ遊びに行ったり、勉強を頑張っていたり、教室にいつまでも残って青春っぽいことをしたりしていました。そんな光景を横目に、町クラブの練習に行くために一人 誰よりも早く家に帰るのが 僕の中学校の思い出です。

辛いなんて感じたことは一度もなかったけど「自分はなぜサッカーをしているのだろう」と思い始めたのは確かこの頃だった気がします。

この原体験が自分にスポーツの意味を考えさせるよ

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わたしの浅瀬は誰かの深みかもしれない

わたしの浅瀬は誰かの深みかもしれない

人との関係性において、わたしはひとりで空回ることが多々ある。

相手の態度が何となく冷たく感じたり、連絡が途絶え気味になったりすると、「何かやらかしちゃったかな」と考え込むクセがある。

たいがい、それはわたしの勘違いであることが多い。突然解決をして、「あ、また考えすぎだったんだな」という結論に至るのがほとんどだ。

高校生のとき、大好きな友人との仲が1年半こじれたのも、結局はわたしの考えすぎが原

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情報ではないもの

情報ではないもの

情報化社会と呼ばれるように、今は濁流のような情報が毎日ひっきりなしに溢れている時代だなあと思う。

好きではない言葉のひとつに“情弱”があるのだけれど、そうした言葉が生まれるくらい、今は多くの情報があり、知る人と知らない人の差が激しいのだろうなということがわかる。

「人生は、知るか知らないかだけだ」……というコピーがあったのは、デスノートだったっけ。まあ、そういう側面があるのは否定できないひ

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数に惑わされない目がほしい

数に惑わされない目がほしい

今は、とかく簡単に数で判断基準が示されてしまう。

Twitterでは、フォロワー数で大人気ないやりとりが発生しているところを見かけるし、実際にフォロワー数にこだわりを持っているアカウントを運営している人だっているでしょう。

リツイートが増えたら「バズった」と言われ、内容によっては時の人のようになることだってあります。

このnoteだって、フォロワー数はTwitterに比べて読み手側に与える印

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