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中南米

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記事一覧

中米諸国のトルティーヤ巡り

中米諸国のトルティーヤ巡り

 せっかくトルティーヤをつくったから、中米諸国で撮影した写真を見返してみた。
 メキシコやグアテマラ、とくに都市部のものはうすくて小さい。
 石灰水でゆがいたトウモロコシをメタテと呼ばれる石臼のようなものですりつぶし、それを両手で器用に円盤状にして鉄板の上で焼く。
 メタテで手作業ですりつぶすのが女性には大変だから、マヤのコミュニティにトウモロコシをすりつぶす機械を導入するという活動にかかわったこ

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本物のボヘミアンがつどう宿 ニカラグア「マンゴー荘」の青春譚①

本物のボヘミアンがつどう宿 ニカラグア「マンゴー荘」の青春譚①

 京大のアウトドアサークル「ボヘミアン」で沖縄をのぞく日本全国をヒッチハイクでまわり、チベットなどでは少数民族のムラをたずねた。次は「戦争」を自分の目でみたくなった。当時は中東のイラン・イラク戦争と、中米ニカラグアとエルサルバドルの内戦が耳目をあつめていた。中東はイスラムだから女の子と仲よくなれそうにない。だったら1979年の革命で独裁政権をたおしたニカラグアにいこう。

 大学3回生をおえて休学

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グアテマラの虐殺を魔術的にえがく「ラ・ヨローナ〜彷徨う女」<ハイロ・ブスタマンテ監督>

グアテマラの虐殺を魔術的にえがく「ラ・ヨローナ〜彷徨う女」<ハイロ・ブスタマンテ監督>

 国立民族学博物館の上映会で鑑賞した。
 ラ・ヨローナ(泣く女)とは、夫に捨てられた女が、子どもを溺死させて自らも自殺し、ずぶ濡れの白い服をまとう亡霊となってあらわれる、という中南米では有名な伝説だ。ガルシア・マルケスの魔術的な世界にもつながるこの伝説をベースに、グアテマラの独裁者の孤独をえがく。
 グアテマラは1960年から96年までつづいた内戦、というより、軍と準軍事組織による暴力で約25万人

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「ラテンアメリカの民衆芸術」は多元社会へのヒントか

「ラテンアメリカの民衆芸術」は多元社会へのヒントか

「民衆芸術(Arte Popular)」ってなんだろう? 玩具や装飾品、儀礼用品、装飾品など、「民衆がつくる洗練された手工芸品」だという。
 あまりに幅広い「民衆芸術」をいったいどうまとめて、なにをつたえるのか興味をおぼえて国立民族学博物館(大阪府吹田市)の特別展を見に行った。
 中南米を歩くと、民族衣装や陶芸など、ユニークなものに次々にであう。でもそれらがどんな意味や由来をもつのかはあまり考えた

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トドス・サントスに何が起こった グアテマラ日本人襲撃の背景(週刊金曜日2000年10月27日)

トドス・サントスに何が起こった グアテマラ日本人襲撃の背景(週刊金曜日2000年10月27日)

 世界の秘境をもとめる旅行者に人気のある中米グアテマラで、日本人旅行者がリンチにあい殺害されたという衝撃的なニュースが飛びこんだのは今年(2000年)の4月だった。悲劇の舞台となったトドス・サントス・クチュマタンでいったいなにがおこっていたのか。

 中米グアテマラで4月、日本人ツアーが数百人という群衆に襲われ、ツアー客1人と運転手が殺された。「写真を撮ろうとしたから」「子どもに不用意にちかづいた

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「ミスター・ランズベルギス」と中米内戦の思い出

「ミスター・ランズベルギス」と中米内戦の思い出

 ソ連崩壊前後のリトアニア独立闘争の経緯を、独立運動のリーダーで初代最高会議議長をつとめたランズベルギス氏のインタビューと、当時の膨大な映像で描く4時間の大作ドキュメンタリー。
 ピアニストのランズベルギスは言葉のひとつひとつに豊かな感性がかんじられる。だれかに似ている。「世界一貧しい大統領」とよばれたウルグアイのホセ・ムヒカだ。労働運動などで何度も投獄された経験をもつ彼もひょうひょうとしていて魅

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丸石は縄文信仰のなごり? 熊野・四国・コスタリカ・山梨の備忘録

丸石は縄文信仰のなごり? 熊野・四国・コスタリカ・山梨の備忘録

熊野の森にころがるこけ蒸した「大地の卵」

熊野古道中辺路の「雲取越え」(和歌山県)は、那智の滝のある那智大社から2日間かけて山の尾根をたどって本宮大社にむかう山道だ。江戸時代には、伊勢参りのあとに西国三十三所を歩く巡礼が、那智大社の隣の西国一番札所、青岸渡寺(せいがんとじ)からこの道をたどり、二番札所の紀三井寺(和歌山市)をめざした。
 2015年秋、小雨にけぶる青岸渡寺を参拝してこの道にはいっ

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女性ゲリラ、「生活改善」のリーダーに

女性ゲリラ、「生活改善」のリーダーに

依存心を生んだ国際援助
 「社会開発投資基金(FISDL)」で生活改善の普及を担当するアルヘンティーナ・トレッホは、激戦地だったモラサン県出身で、政府軍の迫害を避けるため1981年に15歳で首都に出てきた。ホンジュラス人の父は幼いころに国家警備隊に殺されていた。
 大学に入り、社会の不正とたたかうため学生運動に参加した。ファラブンド・マルチ民族解放戦線線(FMLN)に加わり、ピストルなどの武器を運

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自らの悩みに具体的に向き合うーエルサルバドルの生活改善普及員研修

自らの悩みに具体的に向き合うーエルサルバドルの生活改善普及員研修

「会話を増やしたい」最初の一歩は?

 日本の生活改善は、農業技術の指導と異なり、日々の生活をいかによくするかを農村女性たちが考え実践するサークル活動だった。その手法を国際協力機構(JICA)が中米諸国に紹介し、エルサルバドルではモラサン県などの貧しい農村を中心に21自治体約300家族が参加している(2017年現在)。
 2017年5月、モラサン県の中心都市サンフランシスコ・ゴテラで開かれた普及員

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知恵と工夫で生活改善ーエルサルバドルの旧激戦地②

知恵と工夫で生活改善ーエルサルバドルの旧激戦地②

戦争による傷と「孤立」を克服 30歳代の生活改善普及員アンニバルのバイクに乗って、チランガ市の郊外にある集落を訪ねた。遠くまで山並みを見渡せる山上にある。
 集会所には14,5人の女性と20人近い子どもが集まり、チーズや肉をトルティーヤの生地で挟んだエルサルバドル名物「ププサ」を庭で焼いている。材料のトウモロコシやチーズ、キャベツ、ニンジンはみんなで持ち寄った。
 2016年1月にサークル活動をは

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知恵と工夫で生活改善ーエルサルバドルの旧激戦地①

知恵と工夫で生活改善ーエルサルバドルの旧激戦地①

野菜自給で貯金、家を改善

 モラサン県では「生活改善」の現場をいくつか訪問した。
 ホンジュラスとの国境に近いトロラの山の集落に住む女性グレンダ(26歳)は2年ほど前、外国から援助があると期待して「生活改善」の説明会に参加した。「能力開発だけで、金銭の援助はありません」と聞いて最初はがっかりしたが、15人のサークルの例会には欠かさず通った。
 例会では、生活の現状を把握して、どんな暮らしをめざし

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「ゲリラの首都」の自立の歩みーエルサルバドル

「ゲリラの首都」の自立の歩みーエルサルバドル

 かつて「ゲリラの首都」と呼ばれたモラサン県ペルキン市には今、ファラブンド・マルチ民族解放戦線(FMLN)の元ゲリラがつくった「革命博物館」や、難民を支援してきた米国人が経営するペルキン・レンカという快適なホテルがある。内戦の歴史に興味をもつ外国人観光客が訪れ、独特の体験旅行の拠点になっている。

虐殺と破壊の跡

 10分も歩けば反対側に抜けてしまう標高1200メートルの小さな町は、農民の生活を

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エルサルバドル 帰還難民と元ゲリラの町づくり

エルサルバドル 帰還難民と元ゲリラの町づくり

 1980年代、エルサルバドル北東部のモラサン県は左翼ゲリラのファラブンド・マルチ民族解放戦線(FMLN)が強い影響力をもつ激戦地だった。1988年、学生だった私はゲリラの解放区に入りたくて、南のサンミゲルからバスに乗ったが、当然ながら検問で軍に捕まった。そこで翌89年1月、国境を越えてホンジュラス側にあるコロモンカグア難民キャンプを訪ねた。難民ならばゲリラとコンタクトをもっているはずだと思ったか

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帰還難民がつくったマンゴーの里 グアテマラ

帰還難民がつくったマンゴーの里 グアテマラ

 グアテマラの主な都市は標高1000メートルを超える高地にあるから涼しくて過ごしやすい。そんな高地から南の太平洋に向けて路線バスで2時間も走ると、広大な平地がつづき、エアコンのない車内は蒸し風呂になる。サトウキビ農園と製糖工場、アブラヤシ、バナナのプランテーション(大農場)が広がり、緑のバナナを満載したトラックが行き交っている。

樹木も生えないやせた大地に入植 青い袋をかぶせられたバナナを横目に

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