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喋りのプロの私が喋れなくなった日の話②~新大久保の串揚げ~

はじめに
当たり前に外食ができたり、飲みに行けたりしたあの日々がもはや懐かしいですね。
このエッセイの出来事はすべてコロナウイルス流行の前の出来事です。
また町のグルメとの素敵な出会いができる日が1日も早く戻ってくることを祈りつつ、今共にもどかしい思いをしているみなさんと、お店の方々への応援の意をささやかに込めて公開します。
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本郷三丁目の手話が公用語のスープ屋さんを後にし、とりあえず本郷三丁目駅へと向かう。

やはり家に帰る気は沸かない。
時間は午後8時。
今度はどこへ向かったらいいのだろう。やっと涙を流せた私の頭の中は、少し冷静になり
失態とは別のことが頭の中に旋回していた。

唯一自分の武器であった喋り。
全国大会の場で失態を犯し、言葉を発することが難しくなった私は、手話で意思疏通ができることに救われた。それを冷静に思い返すと、それは喋りたくても喋れないろう者の人たちに失礼なのではないか、と思い始めた。

しかも手話は喋ることの代替行為ではなく、一つの特有の言語であり、文化だ。
手話を学んだからこそ、それがわかる。
私が手話を始めて学んだのは小学生の頃だった。
実家の叔父は、重い障害のために喋ることができなかった。
幼馴染みにも重い障害を持った子がいて、障害がある人に一切の差別意識なく育った私はボランティアに興味を持ち始め、小学校にボランティアクラブを立ち上げた。そこで手話の本を読み始めた。
叔父は手話を使っていなかったが、私は喋ることができない人と喋れる手段である手話に魅力を感じ、まずは自分の名前を指文字でできるようにした。

今までいた手話カフェは、その存在をたまたま知っていたが、他にろう者のやっているお店なんてあるんだろうか?
私は最低限しか家に帰らないために充電もわずかなスマホを取り出し、「ろう者 店 東京」と検索をかけてみた。
すると、大久保にある、ろう者が経営する居酒屋がヒットした。
メディアにも取り上げられていて、その界隈では結構有名なお店らしい。
新宿から歩いて行くこともできるようで、そうすると今いる本郷三丁目から電車で1本で向かうことができる。
私は迷わず電車に飛び乗った。
正直、喋らずすむお店に行こうだとか、そういう考えは浅ましいからやめようだとか、そんな難しい葛藤などしていなかった。家に帰らずどこかに行けるならどこでもよかった。
そのきっかけでしか、なかった。

新宿に到着する。
私は泣き張らした瞼を冷たい空気に当てながら、西新宿の飲み屋街を大久保目指してすり抜ける。
相変わらず平日夜の西新宿は呑みに向かうサラリーマンでごった返している。
こんなにも溢れる人の中に、もちろん私を心配する人は、一人もいない。

15分ほど歩き、大保の細い路地の中に、その居酒屋を発見した。
店の中を覗き込む。
上品な和製のカウンターがあり、その後ろにはテーブル席がいくつかある。落ち着いた和居酒屋といった感じだ。
私は何も躊躇せずドアを開ける。
こんな時だからというのは関係なく、初めての居酒屋やバーに一人で入るのは慣れたものなのだ。
カラカラと戸を開けると、中から勢いのいい女性たちの笑い声が聞こえた。
店内は静かだとばかり思っていたから驚いた。
テーブル席に女性が3人いて、大将らしき男性と喋っている。手話も用いているのが見えるが、女性たちは言葉でも喋っている。大将らしき、頭に黒いバンダナを巻いたおじさんと目が合う。
女将さんらしきおかっばの女性にカウンターに案内された。女将さんにメニュー表を渡される。
もう少し高いと思っていたが、値段はとてもリーズナブルだ。
私はビンビールと、生姜の串揚げを、メニューを指差して注文した。私は店内にあるテレビで、字幕つきで流れている世界仰天ニュースをぼーっと見ていた。
ビンビールがくる。一口のむ。
美味い。
こんな時でも、カウンターで一人で飲むビンビールは美味くて安心した。
カウンターの大将とまた目が合う。

そしてその人は、手話でこう私に問いかけた。

「口話(声のお喋り)と手話、どっち?」

私は手話で

「どっちでも大丈夫」

と答えた。
大将はにこーっと笑いながら

「それはすてきだね!」

と答えてくれた。
私が店に入ってから喋る素振りをみせていなかったことと、事情のない20才そこそこの女性が初見でここに入ってくるなんて少ないだろうから、私を手話の人と踏んだのではないかと思う。
(私はどこでも一人で飲みに行くので、普通に通りかかってもふらっと入っていたと思う。そして手話で話しかけられ驚いたんじゃなかろうか)
そして「はじめて来たの?」「なんの仕事してるの?」「家はこの辺?」
など話しかけられお話していると、大将が隣にいた若い男性の店員さんに手話で話しかけた。

「初めてきてくれたんだって。手話も、口話もどっちでもいいってよ」

するとその若い男性は、手話で返答しながら、「へぇ」と小さく声を出した。
この人はしゃべれるらしい。
聞いてみると、大将と女将さんはご夫婦でろう者、若い男性はその息子さんで聴者(聞こえる人)で、お店を手伝っているのだという。手話もできて、喋れるというわけだ。

3人で喋っていると、はっきりとした女性の”声”で

「お姉さん、ここは初めてですか?」

そう元気に声をかけられた。
後ろのテーブルで賑やかにしていた女性たちが私を興味深そうに見ている。

「あ、初めてです」

私は若干気圧されながら答える。

「そうなの!手話上手だね~!」

50代くらいの女性は、真っ赤な顔でガッハッハと笑った。見ている方が気持ちよくなるほど酔っている。
テーブルにいたのは、この景気のいい50代くらいの女性、もうちょっと控えめな同じく50代くらいの女性、そして私と同じくらいの歳に見える女性だった。

「いや~、あなたみたいな若い人がこんなところに一人でこようと思う勇気がスゴイ!お姉さんもこっちきて!」

そう女性に言われると、女性たちの言われるがまま、私は瞬く間にそのテーブルに座らされていた。
そして大将も一緒に座り、みんなで賑やかな「手話べり」が始まった。

意に反してなんとも賑やかなことになってしまった。常連だというその3人は、豪快なマサ子さん、その妹ヨウ子さん、若い女性はヨウコさんの娘で、レイナちゃんというらしい。
マサ子さんは私や大将にも景気よく日本酒をいれてくれた。
私もありがたーく頂戴しながら、大将の美味しい串揚げをいただいた。
気になって注文したのは、生姜の串揚げだ。どういう形でくるのかもわからないまま注文してみたが、それはなんと赤くて平べったくて、手のひらほどの大きさの見たことない姿をしていた。
熱々にかじりつくと、軽い衣のサクッという食感と、紅生姜のシャキッとした小気味のいい音が同時に押し寄せるのが面白い。
本来箸休めである生姜を丸ごと大胆に揚げたことで、酸っぱさと生姜の風味が油のまったり感で包まれて、大きいのにぺろっといけてしまう、クセになる一品だった。
「紅生姜は口直しなんだから、串揚げにしちゃだめでしょ!」
そんな固定観念を打ち砕いている。
だってこんなにも美味しいんだもの!

さて頬張りながらも続けている手話べりはというと。
大将の手話を、ヨウ子さんとレイナちゃんが通訳するように口に出してなぞっていく。読み取りも実際の手話も相当流暢だ。
口に出しているのは、マサ子さんがあまり手話をあまり読み取れないかららしい。
でもマサ子は積極的に、というかほぼ絶え間なく大将に手話で話しかけ、絡みまくっていた。手話も正確ではないが、伝えたいという熱意がとにかくすごい。ジェスチャーにも近い。
その度妹のヨウ子さんが

「違う!これは指の向きこっち!」
「それは違う意味になっちゃうから!」
「正確にやってよ、手話は言語なんだから!」

と訂正している。ボケとつっこみの軽妙なコントのようだった。
大将もマサ子さんに気を害したりすることなく、むしろたくさんたくさん分かりやすい手話を繰り返ししながら、楽しそうに答えている。
そして何度も言った。

「伝わればいい、その気持ちが大事」と。

私もヘタクソな手話で、それを直してもらったりしながらワイワイ会話をする。
なんだか、全然声を出していないのに、あんなにしたくなかった会話のあの楽しさを思い出している自分がいた。

もしこれが口話だったらどうだろう。

今まで演劇や弁論で全国の舞台や著名人の前に立ったり、ボイストレーナーとして教えてきた私は、その発する一文字の言葉の発音をどれだけ重要視してきただろうか。それが命取りだったのだ。私はずっと、「喋りが超上手い人」でなければいけないといかに思ってきたのだろうか。
それが今、下手くそな恥ずかしい手話を露呈しながらする適当な会話が、とても、楽しい。
今まで自分がいつのまにか技術に固執してきたことを思い知りながら、私は肩の力を抜いていった。

レイナちゃんはというと、積極的に、でも誰より冷静に会話に参加していた。
年齢も正確には判断がつかないし、今時っぽい雰囲気がしない、独特な雰囲気の子だと思った。
ヨウ子さんは言った。

「レイナねぇ、発達障害があって」

そして色々教えてくれた。
レイナちゃんはダンスを習っていて、今の団体を見つけるまではその障害ゆえに門前払いにされたり、いろんな苦労をしてきたこと。今はちゃんと働いていてえらいこと。
そのダンス団体でこの居酒屋を知り、常連になったこと。
私の周りには多くの発達障害の知人がいるが、そんな私も彼女に発達障害があるのは気がつかなかった。喋っていても普通だし、初めて会う私とも普通にコミュニケーションを取ってくれている。
かなり軽度の発達障害ではあるのだろう。
そんな彼女がなぜ手話を?
喋れなかった時代もあるのかな。
そう思って聞いているとヨウ子さんは言った。

「この子、数字や地名を覚えるのがちょっと苦手で、外に出るときも苦労してきたのね。でもなぜか手話だと言えたり、覚えられたりするの。むしろ一発で覚えちゃって、イキイキするんだから!だからこの子と家族はみんな手話も使うんだよ。」

私はそれを聞いて、持っていた日本酒のおちょこをふるりと震わせてしまった。
晴天に霹靂が差したよう、とはこんな感じだろうか。

私は手話は「喋れない人のもの」「片方の人が聞こえない時に初めて発動されるツール」だと思っていた。「喋れる私が手話を使うのは、喋れない人に失礼なのではないか」
そう思っていた。
でもそれは違ったのだ。

喋れても、手話、使っていいんだ!

ぱーっと曇っていた視界が拓けたようだった。
それは生姜の串揚げにかじりついた時と同じだ。
小気味のいい食感と生姜のジューシーさと油がじゅわっと口の中に溢れた瞬間、
紅生姜は刻まれているものでちょっとした口直し、という概念が気持ちよく崩壊していくのを感じた。

そのものを、その文化を尊重する気持ちや愛すらあれば、紅生姜を揚げても、喋れる人が手話を言語として使ったっていいんだ。

そうすれば、新しい紅生姜の魅力に気づき、より生姜を美味しくいただける手段が増える。

そうすれば、新しい自分の表現方法でより自分らしいコミュニケーションができるかもしれない。そして手話を理解する人が増え、聞こえる聞こえないに関わらずみんなで手話を発展させていくことができるかもしれない。

唯一本物のろう者である大将はそのやり取りを聞きながら穏やかに微笑んでいる。
きっと大将は、串揚げに関しても手話に関しても、とても寛容な考えでこのお店をやっているんだと思う。
「伝わればいい。間違っていたって。気持ちが大事」そう言いながら我々聴者を受け入れ、手話を教えてくれるのだから。

そうしみじみ目の前の大将のことを考えていたら、生姜の串揚げがあとちょっとになった。
なんだか大きな口を開けるのも恥ずかしいなと思い、焼き鳥よろしく残った生姜を箸でつまむと、大将が勢いよく制してきた。

そして今までで一番力のこもった手話で言った。

「手話はいい間違っていたって伝われば。ただ串揚げは絶対串から外さずに食べて。これだけは絶対!」
 
 






~ありがとう、コロナに負けないで~
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~前作です。まだ読んでない方は是非♥️~

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