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天王山の語源:天王山は、明智光秀から始まったはず! (地図や歴史の視点で言葉遊びをしてみる) 

1か月前

"戦"に学ぶ!No.3~山崎の戦い~

【読書感想】『筒井順慶の悩める六月』(著・中南元伸)

2週間前

天正10年(1582)6月13日は羽柴秀吉が山崎の戦いで明智光秀を破った日。光秀が信長を討った本能寺の変からわずか11日後のこと。短い間権力を握ったり地位を得ることを「三日天下」といい。勝敗を決める正念場や分かれ目を「天王山」と表現することがある。どちらもこの戦いにまつわる言葉。

大山崎山荘美術館2

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史実に残っている戦国時代に一発逆転した戦い

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【つの版】度量衡比較・貨幣77

天王山は天王山じゃないよという話

念願の天王山登山達成!

2年前

天正10年(1582)の今日6月13日は羽柴秀吉が明智光秀を山崎の戦いで破った日。三日天下と言いますが6月2日の本能寺の変から11日。光秀は謀反人と言われるけど、秀吉もこのあと織田家乗っ取りを進める。結果と見せ方なんですよね。

+4

茶会千夜一夜 「姫路城の吉凶」

明智光秀で考える🤔~新説!山崎の戦い!「人生を賭けた計画が大滑りした時」~

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「ここぞの局面」でトップに求められるもの

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明智光秀の敗因

筒井順慶の辞世 戦国百人一首㊼

戦国時代カレンダー 今日は何の日? 【6月7日~13日】

一方に良い顔をすれば

天海は明智光秀だったのか

豊臣秀吉が明智光秀を討ち天王山を制する話

天正10年(1582)6月16日は秀吉に敗れ落ち延びる途中で亡くなった明智光秀の首が晒された日。本能寺そして粟田口に晒されたという。最期は諸説あり小栗栖で落武者狩りに討たれたとも百姓の竹槍に刺されたのち自害したとも。一度埋められたものが見つけられて織田信孝の元に届けられたという。