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「母性の怪物~田中沙羅(紗花)の半生~」『ハンチバック』オマージュ・スピンオフ小説<中>

 私はその夜、少し前に行ったハプニングバーでの出来事を夢に見た。ハプバの常連というミキオという男性の同伴として行ったそこのプレイルームはまるで受精の瞬間を再現するような部屋だった。互いに同意し、選ばれしカップルたちしかそこには辿り着けない。その密室で私は商社マンと性交していた。ミキオは商社マンの同伴女性と性交していた。四人のみが許された空間でとっかえひっかえ乱交した。私たちの性交の様子を、ガラス越しに群がっていた男性たちは手淫しながら指を咥えて見つめていた。まるで受精した卵子にはじかれ、相手にされることのない無数の精子たちのように…。ガラスという隔たりに邪魔された彼らは、私たちに触れることも、同じ空気を吸うことさえできない憐れな存在だった。プレイルームでプレイしていた私たちはまるでただの二対の選ばれし精子と卵子だった。プレイルームは真っ赤なマットが敷かれていて、私が働くお店には真っ赤なカーテンがあった。性交するのにふさわしい場所はなぜか赤色をまとっていることが多い。性的な行為には血と血を通わせ合う必要があるからだと思うけど。勃起するにも血が必要だし、受精し命を育むにも血液が必須で、命も性行為も両者の血が交わってこそ成立すると言っても過言ではないと思うから。そう言えば、赤色は仏教だと清く正しい正直な色って本で読んだことがあったな。ハプバや風俗店が清らかで正しい場所とは思えないけど、性欲を解放するという点では正直な場所ではあるかもしれない。だから赤色が似合うのかもしれない…。そしてハプバではゴムを使ったから、可能性は低いけれど、ミニオより、ミキオか商社マンの精子で妊娠していればいいのにと願ってしまった。
 
 ミニオたちの精子を受け止めてから1週間後…基礎体温が上がり、胸が張って乳首が痛くなった。少し早いけど、生理前のいつもの症状が出ているのだろうと思った。いつものことだと自分に言い聞かせた。その症状は2週間で治まることなく、3週間以上続いた。だるさと眠気がひどく、仕事を休むことも増えてしまった。生理が来ない…。兄を虜にした女に勝つために、あんなに妊娠を望んでいたくせに、いざ妊娠の可能性が高まると怖気づいてしまった。
 
 無性にグレープフルーツが食べたくなった。コンビニへ走り、グレープフルーツジュースを買った。スーパーではグレープフルーツゼリーも購入した。何となく、みそや和のだしが効いたものは食べたくなくなった。それから甘だるいチョコとかも身体が受けつけなくなっていた。梅干しのおにぎりは相変わらずおいしい。でもできれば冷たいままがいい。それからグレープフルーツジュースのお供に欠かせないのは、フライドポテト。マックはどうしてグレープフルーツジュースを置いてないんだろう。ポテトとセットにしてくれたらいいのにと思った。フライドポテトにありつけない時は、ファミマでハッシュドポテトを買った。とにかくグレープフルーツとじゃがいもさえあれば生きていける。そんな気分だった。実際は、サンドイッチとか、ピザとか、カレーパンも食べていたけれど…。

 グレープフルーツとレモンは似ているから、グレープフルーツのジュースやゼリーにありつけない時は、レモン系でもいっかと思い、口にしてみたけれど、酸っぱければいいというわけではなく、ほろ苦さと酸っぱさの両方をその時の私の舌は欲していた。結局、グレフルに敵うものはなかった。100%グレープフルーツじゃなくて、グレフルにマスカットなどがミックスされたジュースも飲んでみたものの、味覚があまり受けつけなかった。少しの甘さにも舌は敏感になっていた。
 
 妊娠するとグレープフルーツジュースとフライドポテトが恋しくなると聞いたことがあった…。まさかねと思いつつ、意を決して、妊娠検査薬を試してみた。尿をかけると待ち時間もなく、一瞬で陽性反応の青い縦線が現れた。本当に妊娠していた…望んでいたことのはずだから、喜ぶべきことのはずなのに、私は一気に力が抜けるのを感じた。ウソでしょ…どうしよう…。何かの間違いであってほしいと…。あの女に勝てた喜ばしい瞬間のはずなのに、戸惑いと不安しかなかった。
 
 そう言えば、ミニオたちと性交してから2週間後の夜、夜中にものすごくおなかが痛くなって、何度もトイレに通った。今思えば命が動き出した「しるし」だったのかもしれない。妊娠すると便秘になりやすいって聞いたことがあったけれど、私はその逆らしく、むしろ最近はお通じが良くなっていた。グレフルジュースを飲んでるせいだと思っていたけれど、全部妊娠の兆候だったのかもしれない。
 
 たしか子宮外妊娠だと、うまく育たないし、母体の命の危険もあるから、早いうちに堕ろさなきゃいけないらしい。それに気づかず放置していたら、大量出血して、入院することになったと仲間の風俗嬢からも聞いたことがあった。いざ妊娠してしまったら、妊娠願望しかなかった頃に思っていた一人でも産んでみせるという乙女の思いは完全に揺らいでいた。子宮外なら、仕方がないと諦められる…。そもそも本当に妊娠しているのかどうかもまだ確定したわけじゃない。検査薬で陽性反応が出た後、私は最寄りの小さな婦人科クリニックへ駆け込んだ。
 
 「おめでとう。子宮内に胎のうが見えますよ。ほら…赤ちゃんの心拍もピクピク動いてるのが分かるかな?お母さんの心拍よりだいぶテンポが速いでしょ?」
年老いたおじいちゃん先生が超音波でとらえた画像をモニターで見せながら一生懸命説明してくれた。こういう時、本当におめでとうって言われるものなんだ…。先生、当たり前のようにさらっと言うから、あやうく聞き逃すところだったけど、今、私のことをお母さんって言った…?私…いつの間にかお母さんになってしまっていたんだ…。医師の言葉を聞くと私は再度、力が抜けた気がした。
 
 そして医師が教えてくれた小さな白い点、ピコピコ動く赤ちゃんの心拍をみつめていた。私の心拍とはテンポが違うなんて知らなかった…。たしかに胎芽の心拍は私と違って、生き急ぐような速さだった。目まぐるしい速度で心拍を刻み続け、一生懸命細胞分裂を展開し、早く一人前の命になろうとしているようだった。一つしかない私の身体の中で二つの違う心臓が命を刻んでいる…。私の薄暗い胎内でその命は静かに輝き、生まれるために、ひた向きに生きていた。私とは違う命がいつの間にか始まっていたのだ。私が本当に妊娠していたらどうしようなんて不安で押しつぶされそうになっていた時も、知らん顔でただ必死に生きてくれていた…。点滅を繰り返す小さな明かりは、夜空で瞬く星のようだと思った。私はこんなに美しいものを見たことがない。この世にこれほど美しくて、尊いものが存在するのかと妙に感動してしまった。
 近年は推し活ブームもあって、「尊い」って言葉が軽はずみに使われ、乱用されているけれど、本当に尊いって言葉はこういう時に使うべきものだろうと、どんな星より宝石より美しいと思える命を見つめながら思った。
 
 「今は6週目に入ったばかりで、赤ちゃんはまだ2ミリ程度だから、そんなに食べ物は気にしなくても大丈夫ですよ。つわりはつらくないですか?産むと決めているなら、妊婦健診が受けられる病院で改めて診てもらってください。」
「つわりは…ひどくない方だと思います。吐き気はなくてわりと何でも食べられてますし。倦怠感と眠気はひどいですが…。先生…私…産めるかどうかまだ分からなくて…。」
一人の身体で二人分の命を抱えながら生きているのだから、身体がだるくなるのは仕方のないことだと思った。そして子宮外妊娠ではないと分かり、命の瞬きに感動したばかりだというのに、私は医師から手渡されたエコー写真をみつめながら、中絶もほのめかしていた。
「もし…産めないとしたら、母体の負担を考えるとなるべく早い方がいいです。いずれにしてもうちは手術を扱っていないので、お引き受けできませんが。個人的な意見にはなりますが、授かりたくても授かれない人も少なくないので、よく考えて大事にしてくださいね。若いから大丈夫ということはないけれど、高齢出産のお母さん方と比べたら、田中さんは体力があるはずだから。」
微笑みながらそんなことを言う医師は、私の中絶願望をデリートしようとしているらしかった。
 
 子宮で無事に育っているなら、中絶なんて考える必要はないはずなのに、もしもミミニオの子だとして、いつかALSを発症してしまったら…。まずは本人がかわいそうだし、母親として私がちゃんとこの子を支えられるだろうか。ALSに限らず、発達障害やダウン症の可能性だって否定できない。マイク、ムック、ジニオの子だとしても、何らかの障害をもって生まれる可能性はある。障害児が生まれない可能性はゼロにはできないんだ。だから悩んでしまう…。まだ存在感を感じられないおなかをさすりながら、不安を煽るようなことばかり考えながら、うつむき加減で歩いていた時、目の前に一筋の光が現れた。それは斜陽だった。
 
 そのやさしく眩い光に顔を上げると、いつもの道沿いの見慣れた景色のはずなのに、何もかもすべてが輝いて見えた。あれ…?ここってこんなに映える絶景スポットだったっけ?どうしてこんなに美しく見えるんだろう…。夕陽も街もいつもと変わらないはずなのにと不思議になった。でもすぐに気づいた。あぁこの感動は、おなかの中の子が教えてくれているんだと。さっき、懸命に命を刻む心拍を見せてくれたこの子は、完全に私の感動基準を変えてしまった。今までは見過ごしていた些細なことで感動できる性格に私は変えられてしまったのだ。街灯がともり出した街に響く行き交う人々の話し声、車の走行音、いつの間にか咲き始めていた名も知らぬ街路樹の花、コンビニの明かり…。すべてが愛おしく感じた。それは経験したことのない感情だった。いつの間に、私はこんなに感受性が強くなったんだろう。時には罵声やサイレンの音も聞こえてきた。でもそれらさえひっくるめて街の喧騒が愛しくなった。
 
 この子にもこの感動を教えたいと思った。早く暗くて何もない子宮から産んであげて、この世界のすべてを見せてあげたいと思った。不条理なこの世に生まれたら、別に楽しいことばかりじゃないし、無情だと思える場面に遭遇したり、不幸せなこともきっと避けられない。綺麗な景色や美しいものに触れられるのは、そう多くはなくて、生涯で数えられる程度しかないかもしれない。けれど、生まれたらきっと、綺麗で美しいものに触れられる瞬間は必ず訪れる。私があなたの命と出会って、感動を学んだように。人生で一番の幸せと感動を与えてくれたこの子に、私も幸せと感動を与えたいと思った。たとえこの子が不幸せだと嘆くことがあったとしても、私がこの子を幸せにすると。例えこの子が障害を抱えて生まれて、世界中の人から嫌われようとも、私だけは味方で、愛し続けると。だから産みたいと、消えゆく落陽の強くて儚い光を見つめながら願った。
 
 妊婦というのは不思議な生き物でおなかの子を思って、感動や幸せ、希望を感じたかと思えば、不安や不幸、絶望にも押しつぶされそうになった。感情のふり幅が常に大きく、疲労感が半端なかった。
 
 産んでこの子を育てるとなったら、お金が必要だから、稼げるうちに稼がなきゃと眠気やだるさがひどくない日はなるべく店で働くようにした。幸い、吐きつわりはほとんどなく、その気になれば毎日でも働けたと思う。けれど、本番ありのお店で、毎日何人もの客とやったら、流産してしまうかもしれない。お構いなしに奥に突っ込んでくる客もいるし。中絶だってまだ考えてしまうから、流産したらしたでいいと思えばいいのに、割り切れなかった。だから妊娠前と比べたら、客を取れなくなっていた。
 
 さらに厄介なことに、女性ホルモンの中で妊娠したら莫大に増えるヒト絨毛性ゴナドトロピンの仕業か、おなかの子の父親の可能性のあるミニオ、ジニオ、ムック、マイクの以外の男性に嫌悪感を抱くようになった。彼らのことは好きじゃないのに、彼らとしか性交したくないと思えた。せっかく大好きなはずのシュンから久しぶりにお誘いラインが入っても、会いたいとは思えなかった。いつの間にか母性が芽生えたせいか、大好きな人はおなかの子に変わり、その子の父親以外と性交することが耐えられなくなった。そう言えば昔、読んだ本に妊娠中の女性は子どもを守ろうとする本能から、子に危害を加える恐れのある男性、つまり子の父親以外の男性との接触を避ける傾向にあると書いてあった気がする。それは本当だったんだと、妊娠して初めて思い知らされた。
 
 不特定多数の男性と触れ合う今の仕事ができなくなったら、路頭に迷うのは目に見えていた。私一人ならなんとかなるとしても、子を養うことができなければ、産むことはできない…。またパパ活みたいなことをして、養ってもらう方法もあるけれど、相手からすれば自分の子でもない子どもがいたら、萎えるだろう。もしもその子が障害児だったら、なおさら嫌厭されてしまう…。男たちには頼れないからと言って、図書館の清掃業だけしていたのでは、子に食べさせてあげるだけの収入にはならない。かと言って、しゃべることが苦手な私ができる仕事は限られているし…。
 
 産んで、一緒に生きたいのは山々だった。生まれようと日々成長し続けるおなかの子の未来を奪いたくなかった。幸せと希望と感動を与えたい気持ちに変わりはなかった。けれど、幸せな人生にはどうしたってお金が要る。綺麗事でお金なんてなくても幸せという人もいるけれど、実際、経済的に厳しい家庭で育って、幸せだったかと尋ねられたら、はいと即答はできない。兄がいたから幸せだったかもしれないけれど、もう少しお金があったなら、母も病むことなくもっと生きられたかもしれない。兄もあの女にたぶらかされることなく、つまり罪を犯すこともなかったかもしれない。そもそも、兄があの女と出会わなければ、私たち家族は崩壊することなく三人で生き続けることができたかもしれないのに…。いや、出会う以前に、あの女さえ存在しなければ、兄は道を踏み外すことはなかったんだ。弱者で障害者の彼女さえ、存在しなければ…。マタニティブルーなのか何なのか知らないけれど、いつの間にか私は、兄がはまった障害者だった彼女に対する憎悪を募らせていた。
 
 つまり結局、障害者を否定するということは、障害者になる可能性のあるこの子を私は産みたくないということだろうか…。出生前診断で分かる疾患もあるけど、それを受けるにはお金がかかるし、そもそも命の選別をするってどうなのとも思う。けれど私が想像する幸せと希望ある未来は、おそらくこの子が健常者という前提の下に広がっていて、障害者と分かったら、幸せと希望は限りなく狭まり、絶望してしまうと思う。
 
 もしも子どもの父親が支えてくれるとしたら、話は違うけど。ちゃんとしたパートナー、できれば兄みたいな子どもにやさしい男で、シュンみたいに理想のタイプがこの子と私を精神的にも経済的にも支えてくれるというなら、たぶん障害児だとしても子育てしていく覚悟は持てると思う。今の私にはそんな頼れる相手は一人もいない…。一人きりで、シングルマザーとしてやっていく自信が私には欠けていたのだと思う。
 
 あの時、ミニオが発していた言葉が今頃、胸に刺さった。
「馬鹿なシングルマザーになって貧困再生産しないように気をつけるんだよ。」
その通りだと思う。お金もない女がシングルマザーになることは貧困を生産するだけだから馬鹿だと。でも…母親になるってことは、馬鹿になるってことなんじゃないかと最近つくづく思う。親馬鹿って言葉があるけど、親って子どものためなら馬鹿になれるんだと気づいた。子の命を守るためにお金もないのに産もうとしたり、生涯が分かり、子をかわいそうと思って自ら子を殺める親がいたり…。子どものことを褒められたらうれしいし、子どものことを悪く言われたら悔しい。シングルマザーなんて苦労するだけだよ、そんな相手がどこの馬の骨かも分からない相手の子を産んでどうするの?と心配されたら、余計なお世話って思う。私の子には違いないんだから、会いたいから産みたいんだよって開き直りたくなる。子どもを生かすためなら、きっと苦労も苦労のうちに入らない。
 
 子どもの身長が1センチを超えた7週と4日目になると、エコー写真には出産予定日まで記載されるようになった。その頃から私は、無意識のうちに、おなかの子に話しかけるようになっていた。朝5時くらいになると子宮が張って起こされるようになった。「おはよう」、「今日は何食べたい?」、「おいしかったね」、「おやすみ」…。そんな挨拶のような独り言を毎日繰り返していた。話しかける便宜上、「蓮(レン)」という名前も考えた。おなかの子は男の子の気がしたから…。蓮に生まれたら読み聞かせてあげたい絵本のリストも作った。これを親馬鹿と言わず、何と表現できるだろう。親の愛情表現は痛い。傍から見れば気持ち悪いし、恥ずかしい。なのにやめられない。それが親になるってことなんだと知った。母が自死したのも、馬鹿な母親なりの息子に対する愛情表現だったのかもしれないと気づいた。妊娠して母心を知ったら少しだけ、母のことが許せる気がした。
 
 「中絶したくなかったから。殺せるわけがないでしょ?お母さんは殺人なんてしたくなかったの。」と母から告げられた時、それなら私は別に生まれなくても良かったよと思った。一人で兄を育てたシングルマザーの母は二人目なんて産んだらさらに苦労することくらい分かっていたはずなのに、性懲りもなく妊娠して殺したくないとほざいて、母のエゴで勝手に私を存在させただけなのだからと。私なんて、間違ってこの世に生まれてしまったようなものだとずっと思っていた。でも…身ごもったら、この子と出会うために生まれたんじゃないかと思えた。この子に会えるなら、生まれて良かったと思えた。逆にこの子に会えないなら、やっぱり私なんて生まれたくなかったと…。つまり私も母と同じように、中絶したくないのだろう。8週目には二頭身の雪だるまのように見えるようになった、順調にすくすく育っているこの子の心拍を止めたくないのだ。まだ命を感じることしかできなくて、白黒画像で見ることしかできないこの子を産んで、ちゃんと会って触れたい、大好きだよ、お母さんの元へ来てくれてありがとうって私は抱きしめたいんだ。まだ白黒画像でしか見てないない子だというのに、どんな顔でどんな姿、どんな声かも分からないのに、会ったこともないのに無条件で大好きと愛してしまっていたから不思議だった。母性って恐ろしいと思った。
 
 だから兄が愛した釈華さん…。中絶ってそんな簡単に考えられるものじゃないと思うよ。私も、周りのみんなが簡単そうに中絶してるように見えたから、最悪、堕ろせばいいかとも思ってたけど、産むことを選ぶのと変わらないくらい、それ以上に堕胎は悩ましいよ。中絶前提で妊娠したいと考えたあなたは強い人なのかもしれないけど、母性っていう魔物を子どもは同時に連れてくるから、母親はそれに抗えなくなるの。子どもを殺したくない、子どもの命を守りたいって一心に考えてしまうの。自分の命と引き換えにしてもいいから、子どもの命は続きますようにと願ってしまう。あなたが命と引き換えに、兄と性交したように。だから釈華さんは妊娠する前に旅立って良かったんだと思う。妊娠して中絶することになったら、もっと苦しんだと思うから。あなたはその苦しみさえ、理解した上で、望んでいたのかもしれないけど、生まれられないことが確定している命ほど、悲しいものはないよ…。
 
 憎き仇だったはずの彼女に話しかけ、自分は産むんだと心に決めた瞬間、急に息苦しくなった。頼れる人もお金もないのに、ほんとに産めるの…?元気ならいいけど、風邪ひいた時とか、一人で子どもを守れるの?育児ノイローゼになって、虐待したり、ネグレクトしちゃったら、子どもがかわいそうだよ?この前、助産師から教えられたよね、今は気合いだけで乗り切れても、出産後、半年は眠れないからうつになるお母さんも少なくないし、そういうこともちゃんと考えた上で決めた方がいいって…。
 
 蓮、どうしよう、お母さん、息ができないよ。苦しいよ。今でさえこんな不安定なお母さんが一人で蓮が大きくなるまで、守り続けることができるかな。母親失格のお母さんに育てられるより、今のうちに命の灯火を吹き消してあげた方がもしかして蓮のためになる?蓮はお母さんの子だから、お母さんと同じように、別に生まれなくてもいいよ、産みたいのは親のエゴじゃんって笑うかな。でもお母さん…自分の心臓を止められるより、蓮の心拍を止めることの方が嫌だよ。蓮に会いたいよ…。
 
 私は過呼吸のような症状に襲われながら、走馬灯のように様々なことを考えていた。これってパニック障害ってやつかな…。たかが妊娠8週目でパニック障害を発症しちゃった私が40週までメンタル持ちこたえることなんてできるだろうか…。産んで終わりじゃなくて、そこから蓮の長い人生が始まるから、母親として良き伴走者にならなきゃいけないのに。
 
 妊娠するまでは、私は自分のことをタフな方だと思っていた。兄が殺人を犯しても、母が自死しても、一人ぼっちになっても、身体を売って客にヤなことされても、心を殺せば大抵のことは我慢できたから…。タフなはずだから、妊娠も出産も育児も一人で乗り切れる自信があった。けれど蓮を授かった途端、メンタルが弱くなってしまったのかもしれない。命の重みに気づいてしまったら、心を無視できなくなった。私は怖いもの知らずの強者どころか、臆病者の弱虫だと、過呼吸になってようやく身の程を知った。
 
 苦しいよ…怖いよ…順兄ちゃん、お母さん、釈華さん、誰でもいいから助けて…。変な宗教にハマってもいいから、こんな時、お母さんに生きていてほしかったよ。誰か私たち母子の味方になって…。蓮…あなたはどうしたい?こんなメンタルの弱いお母さんの元へ生まれたい?それとも生まれなくてもいい?過呼吸の発作に襲われ、急に心細くなった私は、やっぱり一人じゃ蓮のことは産めない、一人じゃ蓮の命は守れない、中絶しようと思った。そしたら少しずつ呼吸ができるようになった。
 
 本当は…母子手帳とかマタニティマークもほしかったけど、堕ろすと決めた女にそれらはふさわしくない。蓮と近々、お別れすると決めたから、蓮が生きている間にたくさん思い出を残そうと思った。蓮が私の胎内で生きた証を。中絶するということを伏せて、初めて訪れる産婦人科医院で3Dエコー写真を撮ってもらおうと試みた。けれどせめて12週くらいにならないと上手く写らないらしく意味がないんだよねと断られ、撮ってもらうことはできなかった。いつものように胎児の姿を超音波で投影した2D白黒のエコー写真をもらって、(と言ってももちろんタダではなく、まだ無料クーポンさえもらっていなかった私は保険適応外の受診にそこそこお金をかけていた。)その後は神社へ行ったり、ショッピングモールへ行ったりした。
 
 神社では「私の勝手でこの子を神さまの元へ近々お返しする予定です。この子は何も悪くなくて、とても良い子なので、どうか光のある居心地の良い場所で生まれ変わらせてあげてください。できればこの子を大事に育んでくれる、やさしい両親の元へ。蓮の命をこれからもよろしくお願いします。」とただでさえ情緒不安定だった私は、涙を流しながら神頼みしていた。

 そして近くのお寺の観音さまやお地蔵さまたちにも蓮の命を託した。お地蔵さまには「オン・カカカ・ビサンマエイ・ソワカ」という意味はよく分からないマントラを唱えながら…。割り切れない私はあらゆる神的存在に救いを求めていた。お地蔵さまの正式名称が地蔵菩薩であり、サンスクリット語では「クシティ(大地)ガルバ(胎内・子宮)」と知ったのはもう少し後になってからのことだった。大地の母のような大きな慈悲に、孤独な妊婦の私は包まれたかったのかもしれない。
 
 ショッピングモールでは書店へ行き、目に留まった絵本を買った。たぶん蓮が読みたいと思って、みつけてくれたんだと思った。それから蓮の代わりに育てるために、花を咲かせていた小さな多肉植物も購入した。丈夫そうな多肉植物なら、子どもを育てられない私の元でもきっと長生きしてくれるだろうと思って。
 
 蓮を連れて来たかった公園にも足を運んだ。一応妊婦のくせに、やっぱりつわりが軽かった私は、そこそこ動くことはできたため、時間が許す限り、蓮が生まれたら一緒に行きたい場所を巡っていた。蓮が私の胎内にいるうちなら、私が見たもの聞いたもの、感じたものをすべて蓮に届けることができるかもしれない。蓮に教えたかった綺麗な景色や美しいものをたくさん、蓮が生きているうちに伝えたい…。暴走する母性に突き動かされながら、私は短い猶予時間を懸命に生きていた。蓮と二人で…。
 
 妊娠9週と2日目…。中絶手術を受ける前日の昼間、病院に行った後、空を見上げると、小さな白い三日月がはぐれ雲のようにぽつんと浮かんでいるのに気づいた。蓮と一緒に見る月はこれが最後かもしれない。蓮が私の中からいなくなっても、蓮と一緒に見たこの月は絶対に忘れない。私はきっと月を見る度に蓮のことを思い出して泣いてしまうだろう。そんなことを考えながら、お月さまにも蓮の命がどこかで続くことを祈った。世界の時間が今日という日で止まって、このまま明日にならなければいいのに、本当は蓮がずっと私の胎内にいてほしいということも願ってしまった。
 
 手術前の最後の食事は前夜の8時までと決められていた。最後の晩餐のような食事をなるべくたくさん、蓮のためにとった。蓮を授かってからよく食べるようになった、カレーパン、サンドイッチ、ハッシュドポテトにグレープフルーツジュース…。それらは蓮が食べたがっているんだと思えた。ポテトとグレフルジュースの後に食べるバニラヨーグルトの味は格別だということも蓮が教えてくれたから、バニラヨーグルトも忘れずに用意した。それから私が昔から好きな母の味の梅干しのおにぎり。栄養バランスを考えて、ほうれん草とベーコンのバター炒めにたまごスープも食べた。私が食べたものがすべて蓮を生かすための栄養になる…。そう思うと、何でも食べられる気がした。けどきっとこの食事が蓮にあげられる最後の栄養になる…。
 
 ごめんね、蓮。今日もらったエコー写真では、はっきり手足まで見えるくらい成長してくれているのに。明日、あなたを殺そうとしているのに、何も知らないあなたはまだ、この瞬間も成長し続けてくれているよね。蓮はお母さんに命の尊さそのものを何度も見せてくれて、毎日いろんな気持ちを教えてくれたのに、お母さんは蓮に何もあげられなかったね…。蓮を授かってから知った、味覚も嗅覚も視覚も心も全部、産めたらお返ししたかったのに…。蓮がお母さんに与えてくれたものを全部、与えてあげたかったのに…。不甲斐ないお母さんでごめんね。神さまにお願いしてあるから、今度生まれ変われるなら、もっとちゃんとしたお母さんの元に生を授かってね。お母さんはもう二度と蓮と会う資格はないけど、いつでも蓮のことを思っているから。泣き続けることになったとしても、絶対忘れないから。蓮が生まれようとしてくれたことは、他の誰も歓迎してくれなくても、お母さんだけはうれしかったから、死ぬまで一生、忘れずに覚えているよ。お母さんはよぼよぼになって自分のことを忘れても、蓮のことだけはきっと忘れないから…。蓮の命はお母さんの命が覚えているから、大丈夫だよ。ごめんね…。ありがとう…。
 
 術後1週間はお風呂禁止らしいので、最後の晩餐の後、脚も伸ばせない小さなバスタブにお湯をはり、久しぶりに湯船に浸かった。一人の時はほとんどシャワーで済ませることが多かったけれど、蓮のことをお風呂に入れてあげたい一心で。そして風呂上がりの全裸のうちにまだ全然目立たないおなかの写真を撮った。いわゆるマタニティフォトのつもりだった。それから誰に見せるわけでもない、自分の膣口の写真も…。本当はここから蓮が生まれるはずだったんだ。自然分娩できたら、会陰が避けて縫われるってことくらいは知ってる。私はそれを経験することなく、明日ここから、蓮の命を守り続けていた胎のうごと、蓮を引きずり出して、蓮の心拍を止めようとしてるんだ。もう会えなくなるなら、今夜、自分で自分のおなかを切り裂いて、蓮のことをこの手で抱えてあげられたらいいのに…。12週前の中絶手術だと、胎児は病院が引き受けることになっていて、親は引き取れないと病院から教えられていた。せめて一度でいいから蓮を直に見たくて、遺骨なんて残るか分からないけど、ちゃんと火葬し、遺灰にして一生供養し続けたかったから、蓮のことを引き取れる12週まで手術を待とうかとも思った。けれど、週数が増えるごとに手術代はどんどん高額になる上に、12週以降は麻酔をかけて手短に終わる吸引法ではなく、陣痛促進剤を使って、出産と同じように産み落とす形式での中絶になると知った。それが怖くなった私は、中絶するならやっぱり初期のうちにしようと9週3日目の明日に決めたのだった。(当時はまだ薬による中絶が認可されていなかった。薬を使ってトイレ等で中絶できたら、私は堕胎した胎のうや血液ごと、蓮を掬って亡骸を大事にして、死ぬまで離さなかったと思う。)
 
 麻酔による吸引法だから、手術そのものに対する恐怖心はなかった。ただ、明日の昼で蓮とお別れしなければならないということだけ、この期に及んでまだ、受け止めきれずにいた。そんなに嫌ならやめるという手段もまだあった。おかしなメンタルでマタニティヌードを撮影した後は、どうにか眠ろうとベッドに潜った。けれどもちろん眠れるわけがなかった。自然と涙が溢れて止まらなくなった。悲しい…悔しい…苦しい…つらい…。安心できるパートナーとお金があったなら、蓮を手放すことはしないのに。弱者に勝つために妊娠して、一人で産んで育ててやると意気揚々としていた幼い強者の私はもうどこにもいなかった。シングルマザーになることがどんなに覚悟がいることか、シングルマザーの母に育てられたはずの私は知っているようで、全然分かっていなかった。母の覚悟なんて考えてこともなかった。母は選べた道だったのに、私は選べなかった…。私は自死を選んだ母より弱い人間だと思った。我が子の命より結局、自分の人生をかばう選択をしたから。かばったところで何にもならない人生なのに…。蓮を産む以上に素晴らしい人生なんて他にあり得ないと分かっているのに。
 
 どんなに高学歴で大きな企業に就職し、順風満帆な人生を歩む女性がいたとしても、学歴はなくても貧乏でも子どもを堕ろすことなく、産んで育てた女性には誰も敵わないと思った。母親になれた女はみんな妙に強くて、たくましい。妊娠だけ経験して、母親になり損ねた女は、落ちこぼれになるだけだと思う。私は明日の昼で、見せかけの強者から、本当の弱者に生まれ変わるだろう。蓮という尊い命を始末したら、それまでの強者の私は死んで、裁かれることのない疑似殺人のような胎児殺しをした罪深い、弱き女になる。中絶という行為は一見、自分の人生を守っているようだけど、中絶した方が、自分の人生を捨てることになるのも分かっていた。中絶したからって、心も妊娠前の心に戻れるとは思えなかった。もうとっくに母性というラスボスみたいな魔物に心は支配されていたから…。
 
 孤独な私は、産めないかもしれない子を「蓮」と名付け、おなかに向かって話しかけることを覚えてしまっていたけれど、それは間違いだったかもしれない。話しかけてはいけなかったのかもしれない。話しかけるほど母性が強まって、別れ難くなると今さら気付いたから。母性という怪物を目覚めさせてしまったのは、自分自身だったかもしれない。
 
 様々な思いが過り、眠れないまま、朝を迎えた。蓮のために最後の水分を摂った後、泣きはらした目でとぼとぼ重い足取りで病院へ向かった。もちろんキャンセルすることも可能だったけれど、当日キャンセルは、キャンセル料が発生すると聞いていた。風俗店で稼げなくなりお金に余裕のない私は、今日を逃したらきっと手術代を払えなくなると思った。パニック障害の発作に怯えながら妊娠期間を過ごした後は、睡眠不足に陥りながら子育てしなければならない…。それを一人で全うする自信と勇気と覚悟がメンタルの弱い私は持てなかった。どんなに蓮のことを愛していても、育児は愛だけで成立するものではないことを知っていた。自分の健康、お金も人脈も揃っていないと、蓮を幸せに育ててあげられないことを分かっていた。だから今日、蓮の命を神さまの元へ返すしかないんだと自分に言い聞かせた。
 
 病院に着くと、先払いの手術代を支払った。それは20万にも満たない金額だった。例えれば私がシュンのために貢ぐことの多かったアルマンドの中でも一番安い、アルマンド・グリーン程度の料金…。ホストに投資するお金と比べたら、ちっぽけなお金で蓮の命が始末されてしまうのかと思うと、虚しくなった。蓮の命はもっと価値があるはずなのに…。どんな高級シャンパンより何よりも。手術のために受けた性病チェックなどの血液検査や、前日までの受診料も含めれば、アルマンド・レッドに近い料金を医療費として支払ったかもしれない。保険適応外なのにエコー写真欲しさに複数の病院に通院したから…。最初に心拍を確認してもらった病院、3Dエコー目当てで訪れた病院、そして手術を受ける病院と…。けれどそれらすべてを含めたって、たかが知れていて、かけがえのない命の対価にしては安すぎると思った。だからと言って、それ以上の手術代を支払えそうにない落ちこぼれ嬢の私は、やっぱり母親失格だと思った。この程度の資金繰りで四苦八苦している経済力のない私が、金銭的に蓮に苦労かけることなく、蓮の面倒を見られるわけがなかった。
 
 手術着に着替え、麻酔をかけられる直前、「最後まで一緒にいるから大丈夫だよ。ごめんね、ありがとう、蓮。」と心の中で、別れを告げた。それから「お母さん、浅はかな娘が孕んだ命、あなたの孫である蓮のことをよろしくお願いします。」と、これからあの世へ一人で旅立たせてしまう蓮の命をすでに仏になっている亡き母に託した。
 
 「田中さん、田中さん、聞こえますか?起きてください。」と看護師に促され、目覚めると、子宮の辺りに脱力を感じた。さっきまで張っていたはずの主を失った子宮は、生気を失ったように力も失くしていた。空っぽになった子宮を抱えながら、点滴が終わるまで手術室の隣の部屋でベッドに横たわっていた。自分の命なんかより生涯で一番、大事だと思えた命を失った私はもはや人ではなく、ただの魂の抜け殻だった。点滴の薬のせいか、悲しいとかつらいという気持ちにさえなれなくて、感情まで空っぽになっていた。
 
 3週間近く、どうしたらいいんだろうとこれまでの人生で最も悩み、葛藤したというのに、あまりにもあっけない終焉だった。おそらく手術時間は5分足らずだったと思う。せっかちで早漏の客と一通りヤリ終える程度の短い時間で、命は処分されてしまった…。命って知らないうちに芽生えて、死ぬ時はあっという間なんだということを知った。出血だって生理とさほど変わらない。痛みも何も感じなかった。麻酔のおかげで、痛みや命の重みを感じることができなかった。もし…神経が通い始めていて、すでに痛覚があるなら、蓮の方は痛かったかもしれない。怖かったかもしれない。それなのに、私は蓮の痛みや恐怖を共有してあげることもできなかった。最後まで何もできない無力な母親だった…。
 
 点滴が終わると、主治医は手術直前の子宮内を写したエコー写真をくれた。「良ければご供養に使ってください」と…。私が胎児を引き取りたい意向を示したことがあったことを覚えていた主治医が配慮してくれたらしい。最後の写真は昨日の写真より、さらに手足がはっきり写っていて、一番人間らしい姿をしていた。人型の蓮を見た時、もう立派な一人の人間だと思った。私は一人の尊い人間を殺してしまったのだと改めて思った。ほとんど心臓の塊でしかなかった初めて心拍を見せてくれた6週目のわずか2ミリの命と比べたら、9週3日目の2センチ以上の命は紛れもなく人間だった。こんなに成長したよ、すごいでしょって堂々としているように見えたし、子宮から出たくないと怯えているようにも見えた。
 蓮はまだ子宮内でしか生きれなかったのに、追い出してしまってごめんね…。蓮の続くはずだった時間を止めて、未来を奪ってしまって、ごめん…。本当はちゃんと出産して、生まれてきてくれてありがとうって命を抱きしめたかったよ…。それなのに子宮から出して、大切な心拍を止めてしまった…。蓮は尊い命の始まりを見せてくれたのにね…。だから蓮のことは、これからは私の心の中で生かすと決めたよ。私の心の奥に蓮だけの場所があるから。どんなにつらくても忘れないから、私の中に蓮の居場所はあるよとエコー写真を見つめながら、蓮に伝えた。
 
 蓮の命は…自分の心身で感じることはできたけれど、結局一度も直に見られなかったし、ついに一度も手で触れられなかった。病院から専門業者に引き取られた後、蓮はたくさんの胎児とごちゃ混ぜにされて、焼却処分されるだけだろう。母体の血液や胎盤になりかけの組織は衛生的なものではないから、腐ってしまわないうちに。母に捨てられた儚い命の行く末を考えるといたたまれなくなった。無理してでも3Dエコーを頼んで、白黒ではないカラーの立体的な蓮を見せてもらえば良かった。欲を言えば、蓮の生きている命、動きのある鼓動も残したかった。白黒の2Dエコーでいいから、リアルタイムで蓮の心拍を見せてもらっている間に、動画撮影させてもらえば良かった。殺そうとしているのに残したがるなんて何考えているのって軽蔑されそうだと思って、結局言い出せなかったけど…。どう思われようとも、もっと蓮が生きた証を貪欲に欲しがれば良かった。どうせ愚かな母親で、母性のモンスターに操られていたんだから、なりふり構わず、生きている蓮の思い出を残せば良かった。もう二度と動き出すことのない静止画のエコー写真を見つめながら私は後悔した。中にはエコー写真一枚だって残せないまま、中絶する人もいるんだから、ひとつも思い出がない人と比べたら数枚のエコー写真を持っている私は恵まれているのかもしれない。けれど二度と会えない蓮の命ともっとちゃんと向き合いたかった。吸引され、ぐちゃぐちゃになって原型を留めていないとしても、蓮の姿をこの目で見て、私の手のひらで掬ってあげられたら良かった。母親のはずなのに、何一つ我が子にしてあげられなかった私は呵責に苛まれ、ただ懺悔するしかなかった。
 
 中絶手術を受けたから当然、しばらく性交なんてできるはずもなく、お店には出勤できなかった。翌日から、亡霊のように憑りついて消えてくれない母性は蓮を失った私に、蓮のことだけを考えるように仕向けた。窓のカーテンの隙間から射し込む朝日の光が、ベッド脇の壁に反射して、白い光が揺らめいているのを、寝ぼけ眼をこすりながらじっと見つめていた。その儚い光は蓮だと思った。エコー写真には影のようにしか写らなかった蓮は、魂だけになったから光になったんだと思い込んだ。そして涙が零れた。オカルトネタで時々聞く、オーブっていう魂の光みたいだと思った。オーブでも、幽霊でも何でもいいから、私の側にいてほしい。手放したのは私の方だし、もう会えなくても仕方ないと強がっていたけど、ほんとは会いたくてたまらない。できることなら、私がもう少しちゃんとした大人になれた時、また命を授かって、今度こそ蓮のことを産みたい…。授かれたとして、その命は蓮ではないと分かっているけれど、蓮といつか再会できるかもしれないと信じないと、私は死んでしまいそうだった。
 
 蓮が自分の命を最優先に母親に守ってもらうため、母子の絆を切っても切れないようにする強靭な、かすがいの役目を担わせるべく味方に連れてきた最強の母性という魔物は、私が蓮を殺めた直後から、蓮との再会を願わせた。蓮が消えても、消えてくれない母性の怪物になす術もない私はただ、ひれ伏していた。
 
 殺してしまったんだから、蓮とはもう二度と会えないと自覚する度に、過呼吸に襲われ、息ができなくなった。パニック障害の発作が怖くて中絶を選んだようなものなのに、結局、中絶しても時々、発作の症状が現れた。バチが当たったんだと思った。自分のメンタルばかり擁護して、我が子を殺してしまったから…。この息苦しさは罰だと言い聞かせ、一人で耐えていた。自分なんて死んでしまってもいいと思っていたし。ただ、過呼吸の発作で死ぬことはないことも知っていた。パニック障害の発作で死ぬことはないと精神科医が患者に呪文のように言い聞かせることは知っていたから、生きながらこの苦しみに耐えるしかないんだと自分に言い聞かせた。
 
 どうせ殺すなら…蓮と共に私も死んでも良かったのかもしれない。胎児殺しをしておきながら、のうのうと生き続けることは許されないはずだろう。母を同じように自死を選ぶこともできるはずだった。おなかの子と心中すれば良かった。けれど、私が死んでしまったら、蓮がこの世に命を授かったことを知っている人、覚えている人は誰もいなくなってしまう。せめて私が生きて、蓮という生まれようとして生きてくれた命があったことを覚えていなければ、蓮が存在したことさえなかったことになってしまいそうで、それが一番イヤだった。産めなかったけれど…授からなければ良かったなんて思えないし、なかったことにはしたくなかった。どうしても存在を否定したくはなかった。蓮が私に見せてくれた命、教えてくれた感動、与えてくれた喜び、希望、涙、悲しみ、苦しみ、絶望…すべてを忘れたくなかった。蓮が与え、教えてくれた気持ちと共に生きて、なるべく長く、蓮の存在を私の心の中で生かし続けるために、生きなきゃと思った。自分のためではなく、蓮のために生きていたかった。蓮を存在させる術はもはや、私の生の中にしかなかったから。
 
 兄や母を失うより、処女を失った時よりつらいと思えた人生最大の喪失体験からはそう簡単に抜け出せなかった。もう子宮に蓮はいないというのに、しばらくの間は身体がまだ母親になろうと足掻いて、胸の張りも続いた。蓮を授かってまだ9週だというのにEカップだった胸はFカップくらいまで大きくなっていた。浅い眠りで悪夢にうなされたし、食欲も落ちていた。妊娠中は蓮のためにたくさん食べなきゃと張り切ってもりもり食べていたけれど、我が子を殺しておきながら今さら自分だけ栄養とってどうするのという思いが強まり、一食につきおにぎり一個とか、そんな軽い食事しかとれなくなっていた。
 
 嬢仲間からは「私は流産したことあるけど、時間が経てば悲しみは和らぐよ。紗花ちゃんはまだ若いし、良い人と出会ってまた妊娠できるチャンスはこれからいくらでもあるよ。」と励まされた。「そうだね、ありがとう。」と私は物分かりの良いフリをしたけど、内心は違った。そもそも流産と中絶は似ているようで、全然違う。胎児自身の生きる力が弱くて、命が尽きてしまうのと、元気な胎児の心拍を止めて、殺すのを同レベルで考えられるわけがない。寿命で自然死したのと殺人は全く別物。どう考えたって、中絶の方が罪深いし、聞く方も不愉快な思いをすると思う。だから必要最低限の人たちにしか打ち明けられない。流産なら、かわいそうだねと同情してもらえるけど、中絶は基本的に同情してもらえるわけもない。孤立してしまう。
 
 妊娠や中絶は孤独になることなんだと知った。助産師は「いくらでも相談には乗れるけれど、最後はお母さん自身が決めること。産むか産まないか、どちらかしかない。お母さんの人生とおなかの赤ちゃんの人生と向き合って、決めてください。」とやさしく諭した。やさしそうに見えて、突き放しているようにも思えた。誰も本当の意味では助けてくれないし、産む時だって、最終的には赤ちゃんと母親の二人きりでがんばるしかないんだから。妊婦や母子は孤独な存在だと思った。どんなに救難信号を発信しても、救ってくれる人は誰もいないんだから。
 
 その点、男は羨ましかった。子種を女の中に出すだけ出して、性欲は満たされるんだから。その気になれば責任逃れできるんだから。命を孕み、命がけで命を育む母親だけが、全責任を負って、胎児と自分の命と向き合い続けなきゃいけないなんて無慈悲な世の中だと思った。つらいことかもしれないけれど、でもそれは幸せなことだとも思った。男は絶対体験できない、命を孕むことを、身をもって知ることのできる女の方が、つらくてもきっと幸せな存在だと…。
 
 私は何より、蓮のエコー写真が宝物になり、拠り所にしていた。食卓として使っていた大きくはないローテーブルを狭い部屋の壁ギリギリに密着させ、そのテーブルの上に原本からコピーしたエコー写真を入れた写真立てを置いた。まるでそれは遺影のようだった。100円ショップでみつけていた蓮華の造花を写真立ての両側に並べた。それから子どもが好きそうな駄菓子や蓮がみつけてくれた絵本を供えた。花時は終わってしまった「レン」と名付けた多肉植物も一緒に並べた。そんな風にいつの間にかローテーブルは仏壇に様変わりしていた。母の本物の小さな仏壇は置いていたけれど、それとは別に蓮だけを供養できる空間が私はほしかったのかもしれない。滅多に料理なんてしないけれど、蓮が好きだったカレーパンを思い出し、カレーライスを作って、それも陰膳のように供えた。赤ちゃんの蓮にはカレーなんてまだ早いと分かっていたけれど、食べさせてあげられなかった苦手な手料理を蓮にもふるまいたくて…。遺影や蓮華、多肉植物、本やお菓子、陰膳に占拠されたローテーブルは食卓として使えなくなり、自分の食事は部屋に敷いていた薄汚れた鼠色のカーペットの上に行儀悪く無造作に並べ、あぐらをかいて食べていた。蓮の仏壇を作り、陰膳を供えるようになったら、少しずつ食欲は回復した。妊娠中と同じように蓮と一緒に食べていると思えるだけで幸せだった。
 
 蓮の仏壇がある部屋にいる方が心地良くて、あまり出歩きたいとは思えなかったけれど、たまに街を歩くと、赤ちゃんの声や姿に反応してしまうようになった。赤ちゃんは覚束ない小さな手でママの指をぎゅっと握り締めていた。思わず私も、蓮の小さな手で指をぎゅっと握られる光景を思い浮かべてしまった。無意識のうちに勝手に視覚や聴覚が赤ちゃんを見つけてしまう感じだった。そしてすぐに涙で目が滲んだ。蓮が泣いていたら、あやしてあげたかったし、おっぱいもあげたかった…。笑わせてあげたかったし、絵本もたくさん読んであげたかったのに…。
 
 ショッピングモールへ行くと、ベビー用品コーナーにも吸い寄せられた。おしゃぶり、哺乳瓶、よだれかけ、おむつ、それから手のひらに乗るほど小さな靴下に、ガラガラなどカラフルでかわいいおもちゃたち…。本当は見たくもないし、どれを見ても泣けてしまうし、必要ないもののはずなのに、どうしてもベビー用品に興味を持たせようと仕向ける母性の怪物は、私に一着のロンパースとベビー枕を購入させた。それから一体のぬいぐるみも…。
 
 帰宅し、いつも洗濯物を干している窓のレーンに洗濯ハンガーをかけ、小さなロンパースをかけた。窓を開けると、風がロンパースと私の洗濯物のワンピースをゆらゆら揺らした。まるで二人で一緒に並んで生きているみたいだった。そんなささやかな光景にさえ私は幸せを感じ、そして虚しさも覚えた。
 
 いつも寝ているシングルベッドにはベビー枕を置き、その上にさっき購入したぬいぐるみをちょこんと乗せた。そのぬいぐるみは蓮が選んでくれた絵本に登場するキャラクターだった。母親と離れ離れで暮らしていて、とかげになりすまして生きている恐竜の子という設定の水色のキャラクターだったから、恐竜とは言え、ころんと丸いフォルムがかわいらしい水子地蔵のようなぬいぐるみだった。「とかげ」という名のそのぬいぐるみを胸に抱えて、蓮にしたかったように抱きしめながら一緒に眠ったら、不眠症気味だったのも少しずつ回復し、眠れるようになった。
 
 寝起きや体勢を変える時は、特に膝の関節がポキポキ鳴ることに気づいた。妊娠中からその症状は現れていたことに気づいた。室内を少し歩くだけでも、ポキポキと膝から音が聞こえた。骨が弱って折れる兆候なのではないかと心配になったけれど、どうやらそれはリラキシンという女性ホルモンのしわざだろうとネットで調べて分かった。リラキシンは出産に備えて特に骨盤など下半身の関節を緩めるホルモンらしい。身体はまだ出産を諦めていなくて、子宮にまだ胎児がいると勘違いしているのかと思うと涙が溢れた。
 
 私がどんなにめそめそしていても、勘違いし続けていた身体はちゃんと元に戻ろうともしていたらしく、子宮がリセットされ、中絶後、初めて生理が来た。初めての生理はいつもの生理より鮮血だった。いつもなら最初は茶色っぽい血が出るのに、最初から真っ赤だった。生理痛が子宮を疼かせて、妊娠中、張っていた子宮を思い出し、また蓮のことを考えてしまい、泣けた。子宮の鈍い痛みに耐えながら、手術前日の昼間、蓮と一緒に見た月を一人で見上げていた。蓮の魂がこの柔らかな月の光を感じられる場所にいるといいな…。そんなことを考えながら…。
 
 七夕の夜には短冊を書いて祈った。「蓮が望むなら、蓮にとって心地良い場所で、生まれ変われますように。蓮の命が続きますように。」と…。
 同じ夜、パチパチ弾ける粒やラムネ、バニラアイスもトッピングされたソーダ味のかき氷を食べた。口で花火が弾けるような楽しくておいしいかき氷を食べると、蓮にも食べさせてあげたかったという思いが募り、氷をプラスチックのスプーンで掬う手を止めてしまった。自分で食べるんじゃなくて、おいしいものは全部、蓮に食べさせてあげたかった…。カレーパンもフライドポテトも、バニラヨーグルトもグレープフルーツジュースも何もかもすべて…。グレープフルーツみたいにほろ苦い気持ちになっていると、ソーダかき氷やアイスは溶け、精液みたいな乳白色がぼやっと混じった水色の冷たい液体になっていた。私がそれを一気に飲み干すと、口の中で最後の花火がパチパチ鳴った。

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