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倫敦1988-1989

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1988〜1989のロンドンへの旅をまとめました。
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倫敦1988-1989〈14〉夢で逢えたら

倫敦1988-1989〈14〉夢で逢えたら

翌朝目を覚ますと窓から大きな「◯に越」の看板が見えた。シンガポールにも三越があるのか。ああ、日本に帰るんだった。もう買い物の時間もないや。

そういえばロンドンで見かけたCDなるものを買って来れば良かったな。まだプレイヤーがないけど。トレイシー・チャップマンのファースト・カーっていい曲だった。もう日本で売ってるだろうか。

のろくさと荷造りをして空港へ向かう。テレビも空港の電子掲示板も日本の天皇崩

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倫敦1988-1989〈13〉シンガポール

倫敦1988-1989〈13〉シンガポール

翌日は間違えずに飛行機に乗れた。
Mちゃんには「デキの悪い子ほどかわいい」と喜んでいいのか悪いのかわからない言葉と共に抱きしめられ、エディとマイロには「オチョコチョイー、オチョコチョイー」と囃し立てられながら機上の人となった。冬のロンドンはずっと灰色の空で、古めかしい石造りの建物が並ぶ暗い街だったけれど、
移動遊園地の賑やかさや、顔馴染みになった近所の人の温かさが心に残った
。そしてMちゃんとエデ

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倫敦1988-1989〈12〉オチョコチョイ

倫敦1988-1989〈12〉オチョコチョイ

Mちゃんの引っ越しの手伝いに追われているうちにロンドン最後の夜が来た。Mちゃんの新しい家は庭付きの一軒家でとても可愛らしい。ものすごく古いのと中心地からはずれているので
家賃もまあまあ手頃。

私はおみやげ用にハロッズでクッキーを買ったのだが、それのジンジャー味にハマって全部食べてしまった。仕方なく近所の雑貨屋で駄菓子みたいなのをたんまり買い込んだのだが
Twixというチョコバーにハマり…結局おみ

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倫敦1988-1989〈11〉テート・ギャラリー

倫敦1988-1989〈11〉テート・ギャラリー

あと数日で日本か…と少し憂鬱になりながらも、ひとりで地下鉄に乗る。今や地下鉄やバスにも慣れ、タクシーも乗れる。ロンドンキャブを止める時には腕を真横に上げる。何故かは知らないがみんなそうするので真似をする。

ビクトリアラインに乗り、ピムリコ駅で降りる。車内の吊り玉につかまっていたので手が金属臭い。ピムリコ駅からしばらく歩くとテート・ギャラリーがある。今日ここでやっているディヴィッド・ホックニー展を

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倫敦1988-1989〈10〉人種差別をされちまったよの巻

倫敦1988-1989〈10〉人種差別をされちまったよの巻

年明けはロンドンの街をほっつき歩き、疲れ果てて家についた。マイロの家は寒いので何枚着ても凍死しそうな気がする。最終的にカーテンをはずして包まった。埃くさかったけれど、ビロードというのは中々暖かい。泥のように眠った。

目が覚めると時刻は昼を過ぎ、寒さと乾燥のせいかお顔がパリパリだった。どういうわけか湯はでるらしいので浴室へ行く。猫脚のバスタブがいい感じだ。蛇口をみると真鍮のクラシカルなのが2つある

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倫敦1988-1989 〈9〉家なき子

倫敦1988-1989 〈9〉家なき子

大晦日に家を追い出されるなんて最悪である。大家のルカクはそれまではやたら調子良く、家具はそのまま使っていいよとか、好きにリフォームしていいよ、とかMちゃんとの関係も良好だった。家賃もきちんと払っていたし、何でまた急に…とポカンとした。

どうやらルカクはチェコスロバキアの人で、母国で何かが起こったらしく、親類が移住してくるので家を空けてほしいようだ。チェコスロバキアという国は複雑な国でかつてはヒト

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倫敦1988-1989〈8〉ブライトン

倫敦1988-1989〈8〉ブライトン

1988年の大晦日。といってもロンドンの街はたいして変わらない。クリスマスはイルミネーションなどは華やかだったようだが、家族や親戚で集まるのが基本なので当時の日本の乱痴気騒ぎとは大違いだ。バブル期の日本では高いホテルを予約して、シャンパンあけてエッチしないといけないような雰囲気があり、完全にイカれていた。ほとんどがキリスト教徒でもないのに、当時の日本人というのは単なるお調子者の集まりであった。

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倫敦1988-1989〈7〉ポートベローでお買い物

倫敦1988-1989〈7〉ポートベローでお買い物

狂乱ライブの翌日、エディとマイロがポートベローのアンティークマーケットに行くというのでついて行く。エディとマイロは意外といい家の子らしく、金がなくなると親にもらった銀製品なんかを売り払っているらしい。本当にもらったのかどうかも疑わしい。

ノッティングヒルゲートの駅をでると、かなりの人混みだった。「ここはスリが多いから気をつけろよ。おまえなんか田舎者丸出しだから」とマイロに言われムカっ腹が立つ。マ

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倫敦1988-1989〈6〉モッシュinブリクストン

倫敦1988-1989〈6〉モッシュinブリクストン

その夜はライブハウスでフィッシュボーンのギグを観に行く予定だった。会場があるブリクストンは当時あまり治安の良い地域ではなく、とりあえずエディとマイロを連れて行くことになった。頼りないけどいないよりマシだ。

が、地下鉄の駅から会場までの間、2人はすでに迷いはじめた。仕方ないのでそのへんにいたドレッドヘアーの男性に尋ねると、親切にライブハウスの入り口までエスコートしてくれた。

ライブハウス…という

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倫敦1988-1989〈5〉大英博物館

倫敦1988-1989〈5〉大英博物館

倫敦の街並みは古い石積みの建物が多く、まるで映画の中にいるような美しさだ。中でも大英博物館は城のように重厚で大きく、一日で回れる気が全然しない。夜はまた遊びに行かないといけないので「巻いて行こう」と気合をいれる。ミイラコーナーは興味があったので少しゆっくり観察するがなかなか生でミイラを見る機会はないのでドキドキする。猫のミイラがあるのはエジプト人の猫好きを思えば理解できるが、魚のミイラまであるのは

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倫敦1988-1989〈4〉〜地下鉄に乗って

倫敦1988-1989〈4〉〜地下鉄に乗って

倫敦三日目。Mちゃんも仕事があるのにいつまでも金魚のフンでは迷惑だろうと地下鉄のフリーパスを手に入れて単独行動をはじめた。エディと隣のマイロはブラブラしていたのでガイドでも頼もうかと思ったが、あまりにも頼りないのでやめた。

エディはマイロんちとMちゃんちを行ったり来たりして生活していたが、ものすごく古くて汚いマイロの家はなんと空き家であった。空き家に勝手に住んでいるのである。当時のロンドンは景気

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倫敦1988-1989〈3〉

倫敦1988-1989〈3〉

宴の翌朝…というか翌昼。
起き出してきたMちゃんが「観光でもする?」と絶対的に行く気のない濁った目で聞く。わたしもノシイカみたいなぺらぺら具合で「無理…」と囁く。おそらくこの旅はロンドンブリッジやロンドンタワーやバッキンガム宮殿の
兵隊さんなどを見ることなく終わるのだろう。もともとたいして興味もないし、夜の部のほうが俄然面白いのでそれで良い。

そして夜が来ると私たちは人が変わったように元気になる

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倫敦1988-1989〈2〉

倫敦1988-1989〈2〉

ナゾの砂漠を離陸するとまたアホ面で寝た。ガッ!という着地の振動を尾骨に感じて目を覚ますと、そこはもうロンドンだった。

友人のMちゃんとボーイフレンドのエディがヒースロー空港まで迎えにきてくれた。ロンドンは夜の七時、腹も減ったし、喉も渇いた。さて、何食べる?と聞くと2人ともモゴモゴとインドカレーか中華…という。なんでロンドンまで来てカレーor中華なの?と聞いたら「他の店はだいたい不味い」とのこと。

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倫敦1988-1989〈1〉

倫敦1988-1989〈1〉

#わたしの旅行記

ずいぶん昔の話だけれど、ひとりでイギリスへ行ったことがある。ありきたりな失恋旅行で、ロンドンの友人を訪ねて南回りの旅であった。なんでわざわざ南回りなのかと言えば、そりゃあ安いからである。24時間以上かかるため利用者は余程の暇人か物好きに限られるが、最近ではロシアとウクライナの戦争のため、見直されつつある路線らしい。

成田から飛行機が飛び立ち、森と畑だらけの地上を見下ろすと、あ

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