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諦めがもたらしたのは納得だった

10秒台で走る選手が隣のレーンにいて、私は絶望した。


伸びないタイム

私は中高6年間を陸上競技部で過ごした。今振り返ると、そこには悔しかったり辛かったりした場面が多いように思う。もちろん地区大会さえも突破するのが難しい、並以下の選手ではあったが、自分なりに辛さは味わったと思っている。もちろん、一番つらかったのはタイムが伸びなかったことだ。

私は4年かけて100mのタイムが0.8秒しか縮まらなかった。中2の終わりに12秒97を出して、高1で12秒54、ただ最終的に高3では12秒13で終わってしまった。高3でこのタイムはちょっと足の速い野球部やサッカー部の選手に平気で負けてしまうタイムである。

高1の頃は先輩や顧問の皆が「ちゃんとやっていれば11秒は順当に出るやろ」と言っていた。ただ、結論から言えば出ないもの出なかった。

負けっぱなしの高校時代

高校陸上の試合の組み分けは残酷である。小さなの記録会はタイムが似た者同士で一緒に走り、タイムの早い選手から早い組で出走する。高1の時は組全体の真ん中くらいだったのに、高2くらいから気が付いたらだいぶ後ろの組になって、年下の選手たちが同じレースに居たのである。文字通り、私は当時選手としては負け組だった。

自分で言うのも変だが、中高ともに部長を務めていたので「ちゃんと」はやっていたと思う。また当時はずっと陸上を中心に物事が回っていたのも事実である。だからこそ、タイムが伸びないのは本当に辛いことだった。挙句、数か月練習を休むようなヒザのケガもした。

そのせいか、ケガから回復した後は特に焦っていたように思う。このままでは負けたまま高校生活が終わってしまう。そんな気持ちが毎日頭の中であった。

10秒の化け物

引退のかかる地区予選の少し前の記録会、100mを10秒台で走る選手と同じ組になった。この記録会は珍しく遅い選手も早い選手もごたまぜで走るシステムだった。

レースが始まると10秒台の選手は、2歩目で私よりはるか前にいた。当時の私からすれば、次元が違うのである。本当に「パキッ」と音がしたんじゃないかというくらいに、心が折れた。当たり前だが勝てないのである。そして、今後どれだけ努力しても勝てる気がしないのである。

「誰かに勝とうとするのは諦めよう」

心からそう思った。また同時に

「勝つとか負けるとかじゃなくて、自己ベストを出して引退しよう」

とも思った。

諦めと納得

最終的に引退試合で記録した12秒13は自分として満足のいくタイムではなかった。ただ6年の陸上生活の終わりとして納得のいくタイムであったことも確かだ。

それは他人との勝負ではなくて、しっかりと自分と向き合ったからだと思っている。また心が折れてからの陸上競技は個人的にとても楽しかった。勝ち負けを争う競技者としての心持ちとしては低いレベルなのかもしれないが、陸上競技を楽しい思い出として終えられたのは今となってはよかったのかもしれない。

自分に自分でプレッシャーをかけないために

のちの人生で分かったが、私は恐ろしく本番やプレッシャーに弱い。センター試験でずっこけ、就活試験で回答欄を間違え、英語の資格試験で時計を見間違えて。挙げるときりがないくらいにプレッシャーに敗北している。

今思うと私のタイムが伸び悩んだのは、自分で自分にプレッシャーをかけすぎたからのような気がしている。「負けたくない」「勝たなければ」といった風に。

諦めがもたらしたのは「納得」のいくパフォーマンスをするという視点だった。勝ち負け、そしてタイムはあくまで単なるパフォーマンスの結果だったのだ。

これまで人生で私はいろいろなことを諦めていると思う。ただそうすることで楽しめることが増えたのも確かだ。譲れないものは確かにあるけれど、全部が全部こだわっていては息が詰まって、プレッシャーに押しつぶされてしまう。

だからこそ、ときには「諦める」。それが今の私を支えている。

ーーー

結果を求めるのもいいけれど、結果はあくまで結果なのかなと思っています。結果を出そうとした姿勢を評価できる人間でありたいなと。

こんな考え方なので、反面ずっと結果を出し続ける「プロ」のスポーツ選手や楽器奏者、棋士etcは尊敬せずにはいられません。

というわけで、本日はこれにて。
ご清読ありがとうございました。

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