かぜの帽子(INFJ×kindle作家)
記事一覧
INFJ(提唱者)のあなたへ「ドアスラム」のエピソードを教えてもらえませんか?
2024年1月12日からご協力いただいたINFJの方への19の質問ですが、こちら現在までに50名を超える方のご協力をいただきました。
一口にINFJといってもグラデーションがあり、各々の感性や捉え方の違いが非常に興味深かったです。
ご協力いただいたみなさまありがとうございました!
(※こちら引き続き、募集中でございます▼)
さて今回は、「ドアスラム」について教えていただけると嬉しいです。
HSPやINFJは「許せない」という生々しい感情を無理に消さない方がいい理由
長く生きていれば誰だって、ひとりやふたり「こいつだけは許せない」という人間がいる。「これは忘れようにも忘れられない」という出来事がある。
過去のnoteで何度も言及しているが、僕の場合、それらは歪な自己愛を持つ者、自己愛が肥大した者の存在と、彼らとの関わりだった。
「自分が許せないこと」を徹底して深堀した結果、一冊のkindle書籍が書けた。
ありがたいことに上記のkindle書籍を書きあげ
「学習の転移、転移学習」がHSP、INFJのバリエーション豊かな生き方のヒントになるかも? という話
先日、マルチポテンシャルライトについての記事を投稿した。
マルチポテンシャルライトは、好奇心旺盛なHSS型HSPと親和性が高い言葉である。
マルチポテンシャルライトという言葉を知らないまま、次々と未知の分野に飛び込んでいき様々なことを習得し引き出しを増やし続けている、マルチポテンシャルライトの方もきっとおられるはずだ。
さて学習の転移、転移学習という概念がある。
ちなみに患者が医師にポジテ
HSPやINFJは「自身の持つ解像度の高さ」が強みだと気づけると自信が生まれる理由
HSPやINFJの人と対話してると「この人は解像度が高い」と感じることが多い。
発言の内容で「この人は、対象の細かい部分まで認知している」とよく感じるのだ。
ちなみに解像度という言葉は、オタクの世界でよく用いられるらしい。
対象が細かく広く見えている状態を「解像度が高い」と表現するようだが、解像度の高い人との会話は楽しい。こちらが見えていないところに着眼していることが少なくないため、話してい
HSPやINFJには、定量化された数字では表せない「定性的な魅力」がある
定量化とは、質的にしか表わせないと考えられている物事を数値で表わすこと。
定性は、定量とほとんど正反対の意味で、物事の数値化できない要素のことを指す。
HSP、INFJの持つ魅力は数字のみにで言い表しづらい。つまり定性的なのだ。
そもそもではあるが「全てを数字に置き換えられる」と思い込むこと自体、誤りだ。
数値化できるものもあれば、できないものもある。
「コミュニケーションの主導は受け取
自己対話を重ねたHSPやINFJほど、多くの引き出しを持っている理由
思春期以降、ひとりで過ごす時間が多かったこともあり、たくさんの時間を自己対話に費やしてきた。
何か結論を出すときも、自分とじっくり対話することがよくある。
HSPやINFJで、自己対話が習慣づいている人が少なくない。
対話は誰かとだけするものに限らない。
あまり人に相談せず、自分自身で結論を出すタイプの人ほど、自己対話をよくするものだ。
自己対話とは、文字通り自分と向き合うこと。
この
5月4日は「スター・ウォーズの日」。
ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社が、日本で映画「スター・ウォーズ」を知ってもらおうと制定した記念日です。
スター・ウォーズが好きで、VHS時代から見ていました!
本日も、よろしくお願いいたします。
HSPやINFJは「世間が一方的に決めた正解」に、こだわらない方が生きやすくなる理由
無目的に誰かが決めた正解や効率的な方法を追い求めるのは、現代人の病かもしれない。
ライター講師など「人にやり方を伝える」という仕事に従事させてもらい、たどり着いた結論がある。
それは「絶対的な正解などなく、正解は各々の中にある」というものだ。
杓子定規で物事を推しはかると、必ず大切なものを見失う。
すでに日本の教育は「かなり形骸化している」と感じているが、それは教育を受ける対象者の心が見え
HSPやINFJは「少し成長できた」という実感があるだけで加速度的に人生が充実し始める理由
自身の成長をしっかり実感できるのは、成長を遂げられたかなりあとであることが多い。
渦中で必死にもがいていたり、血の滲むような思いをして頑張っていたり「少しでも状況を改善しよう」「今できることをしよう」と、あきらめることなく対応を続けたいたら、力がついていることはよくある。
HSPやINFJは謙虚で心優しい人が多いので、誰かにドヤったりマウントをとることは少ないだろう。
反面、謙虚すぎて自分の