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書評集

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旧作、新作問わず不定期に書評を投稿しています。 「書評」という言葉の定義は非常に曖昧である。私としては、単なる「紹介」ではなく、本の内容を批評することと考えている。肯定的であれ、… もっと読む
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記事一覧

【書評】E・H・カー『歴史とは何か』(清水幾太郎訳)

 今年、E・H・カー(1892-1982)の『歴史とは何か』(原著は1961年)の新訳が刊行されて話題となっている。60年振りの新訳とのことであるが、筆者はまだその新訳のほうを読んでいない。とはいえ、筆者はかつて歴史学を専攻していた学生であり、新訳の刊行を機に、60年前に刊行された岩波新書版(清水幾太郎訳)のほうを思い出し、手に取り再読し、歴史研究にまつわる事柄をあれこれと考えることとなった。
 

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【書評】カフカ『変身』

 本作は、プラハ(当時はオーストリア=ハンガリー帝国領)の富裕なユダヤ人家庭に生まれた小説家フランツ・カフカ(1883-1924)の最も知られた小説作品である。カフカは、大学で法学を学び、裁判所での実習の後、体調不良ゆえに退職となるまで労働者傷害保険協会に勤め、その傍ら、その多くが未完となる小説を書き続けている。そのなかの一つが『変身』であるが、生前のカフカは無名の小説家であった。注目を浴びるのは

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【書評】マックス・ヴェーバー『職業としての政治』

 本書は、マックス・ヴェーバー(1864-1920)による学生に向けた講演をまとめたものである。この講演が行われたのは、ヴェーバーの死の前年の1919年であると推定されているが、本書は、「政治」という概念を社会学的に定義するところから始まる。あくまで限定的な意味においてである。「今日ここで政治という場合、政治団体――現在でいえば国家――の指導、またはその指導に影響を与えようとする行為、これだけを考

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【書評】松田政男『風景の死滅 増補新版』

 本書は、アナーキストで映画評論家でもある松田政男(1933-2020)の三冊目の評論集であり、1971年刊行本の増補新版となる。革命運動において、「情況」に代わる「風景論」の起点を提示した点で、エポック・メイキングとなる本書であるが、松田について簡単に紹介しておきたい。
 自由な校風で、近年は校則問題で生徒によるドキュメンタリー映画が制作されたことで話題になった東京都立北園高等学校在学中に日本共

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【書評】カミュ『異邦人』

 本書は、「不条理」を主題としたアルジェリア(当時はフランスの植民地)生まれの文学者アルベール・カミュ(1913-60)を一躍文壇の寵児にした小説である。彼は、ジャン=ポール・サルトル(1905-80)と同時代人であり、注目を浴びた時期(カミュの『異邦人』は1942年、サルトルの小説『嘔吐』は1938年)が重なったこともあって、両者共に実存主義者であるかのように扱われた。だが、カミュは自身が実存主

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【書評】米原謙『山川均――マルキシズム臭くないマルキストに――』

 本書はミネルヴァ書房の「ミネルヴァ日本評伝選」シリーズの一冊であり、社会主義者であった山川均(1880-1958)の幼少期から晩年に至るまでを仔細に叙述した伝記である。筆者が山川の名を知ったのは、大杉栄(1885-1923)というアナルコ・サンディカリストを調べていた頃である。山川は大杉と同時代人であり、思想的立場は違えど、ともに日本の社会運動の発展を語る上で欠かせない人物である。山川は共産主義

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【書評】深沢七郎『楢山節考』

 本作は深沢七郎(1914-87)のデビュー作である。深沢は元々ギタリストであり、戦前から職を転々としつつ、各地でリサイタルを開いたりしていた。戦後になると、「桃原青二」という芸名で日劇ミュージックホールに出演し、そのギターの腕前を披露した。その傍ら、小説も書いており、演奏の合間に楽屋で執筆していたようである。そんななか、日劇ミュージックホールのプロデューサーである丸尾長顕(1901-86)の勧め

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【書評】三浦つとむ『日本語はどういう言語か』

 筆者が三浦つとむの名を初めて知ったのは、史学科の学部生の頃に読んだ吉本隆明の『言語にとって美とはなにか』においてであった。その頃の筆者にとって、史学科は非常に場違いな場所のように思えた。もちろん、それは人間関係の悪さを意味しない。むしろ、そこは筆者とは住む世界の異なる人間が集う場所であるに過ぎず、ゆえに、当の筆者は、その世界の住人と関わることをあえて避けていたのである。それでどうしていたのかと言

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【書評】いとうせいこう『想像ラジオ』

 いとうせいこうとは一体何者であろうか? 筆者はそう思わずにはいられない。それだけ多才だということである。寺山修司のように、「本業は?」と問われれば、「いとうせいこう」と返ってきそうなぐらいである。タレント、作詞家、ラッパー、俳優、小説家、ベランダ園芸家、いずれもいとう氏の肩書きである。『夜霧のハウスマヌカン』という謎の曲の歌詞を書きヒットさせたり、日本語ヒップホップの先駆のように扱われたりもする

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【書評】清水多吉『語り継ぐ戦後思想史 体験と対話から』

 筆者がまだ史学科の学部生だった頃のことであるが、筆者は当時通う大学の図書館で毎日のように各社の新聞を読んでいた。すべての記事を読んですべての内容を理解していた訳ではなかったが、毎日の習慣となっていた。そこでいつも見かける人物がいた。それは、総白髪の眼光鋭い小柄な年配の男性で、筆者と同じようにいつも新聞を読んでいた。筆者は、許可を取り入館している一般の方かと思い、話しかけることは一度もなかった。

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【書評】村田沙耶香『コンビニ人間』

 もう五年ぐらい前になるが、たまたま大晦日に紅白歌合戦を見ていると、錚々たる顔ぶれのゲスト審査員のなかに村田氏の姿があった。村田氏の名前は文壇では知られていたが、その場を離れて、一般的にはそれほど知られていなかった。なぜだろうと思っていると、村田氏がこの年に本書で芥川賞を受賞していることに気づいた。ただ、それだけのことでゲスト審査員になれるものかと思っていると、本書が大きな反響を呼び、刊行後数か月

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【書評】時枝誠記『国語学史』

 本書は、日本を代表する国語学者である時枝誠記(1900-67)によって書かれた国語意識の展開の歴史である。それは、元禄期以前から現代にまで及んでいる(と言っても、本書の初版の刊行が1940年であることから、昭和初頭までになる)。しかし、それは単なる歴史叙述ではない。時枝はこの翌年に、『国語学原論』という時枝自身の体系的著書を出版している。実を言うと、『国語学原論』執筆の経緯に、『国語学史』の執筆

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【書評】島田雅彦『カタストロフ・マニア』

 何年か前に何度か、島田雅彦氏がコメンテーターとしてテレビの情報番組に出演しているのを見たことがあるが、某元野球選手が薬物事件で逮捕された際に、キャスターだった下平さやか氏から意見を求められた。詳しい内容までは覚えていないが、ありきたりなテレビ用の紋切り型のコメントに終始していたように思う。この数年前に行なわれた文芸誌での対談における島田氏の発言を引用しておく。

島田 直近の上の団塊は中上(健次

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