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vol.28 坂口安吾「桜の森の満開の下」を読んで

僕はどうも昔から桜の満開の姿が好きになれない。誇らしげにあたりの景色を一変させるその咲き方は、「どうだ、美しいでしょ」と言わんばかりの自己主張の強さを感じ、鼻につく。パッと散る潔さを美化する引用にゾッとする。また、桜の花の下は少しジメッっとしていて不気味で、花びらの舞う姿は、孤独で、刹那的で、仕方のない酔っ払いの集いは薄ら寒い。

以前、チェーホフの「桜の園」の読書感想文に、「きっと、貴族の『桜の園』が満開になったとき、そこで働かされていた農奴たちの屍が横たわっていた時代があったに違いない」と書いた。

坂口安吾のエッセイ「桜の花ざかり」では、東京大空襲の死者たちを上野の山に集めて焼いたとき、折しも桜が満開で、人けのない森を風だけが吹き抜け、「逃げだしたくなるような静寂がはりつめて」と記している。

この安吾の「桜の森の満開の下」は人気も評判も高く、今年4月から演劇界のスパースター野田秀樹の「野田版 桜の森の満開の下」が全国上映されるらしい。この春、再び話題になりそうなこの「桜の森の満開の下」。

それにしてもこの安吾の作品、なんなんだ。ヤク中の幻覚かしら。血なまぐさい地獄の花のように謎めいていて、あまりにも不気味で幻惑的。あまりの内容の不気味さが気になり2回読んだ。3回読むと、鬼の首遊びが夢に出てきそうでやめた。安吾の描く女はみんなやばい。

しかし冒頭の記述だけは、ちゃんとしていた。

「桜の花が咲くと人々は酒をぶらさげたり団子をたべて花の下を歩いて絶景だの春ランマンだのと浮かれて陽気になりますが、これは嘘です。なぜ嘘かと申しますと、桜の花の下へ人がより集まって酔っ払ってゲロを吐いて喧嘩して、これは江戸時代からの話で、大昔は桜の花の下は恐ろしいと思っても、絶景だなどとは誰も思いませんでした。・・・桜の花の下から人間を取り去ると恐ろしい景色になりますので、能にも、さる母親が愛児を人さらいにさらわれて・・・桜の林の花の下に人の姿がなければ怖ろしいばかりです。」と、はじまる。(p211)

そして、不気味だけど、なんだか楽しそうな首ごっこの記述。

「女は毎日首遊びをしました。・・・首は家来を連れて散歩にでます。首の家族へ別の首の家族が遊びに来ます。首が恋をします。女の首が男の首をふり、又、男の首が女の首をすてて女の首を泣かせることもありました。ペチャペチャとくッつき二人の顔の形がくずれるたびに女は大喜びで、笑いさざめました。『ほれ、ホッペタを食べてやりなさい。ああおいしい。姫君の喉もたべてやりましょう。ハイ、目の玉もかじりましょう。すすってやりましょうね。ハイ、ペロペロ。アラ、おいしいね。もう、たまらないのよ。ねえ、ほら、ウンとかじりついてやれ』女はカラカラ笑います。綺麗な澄んだ声です。薄い陶器が鳴るような爽やかな声でした」(p229)

この女、鬼だった。最後は桜の森の木の下で、女の屍は桜の花びらに溶けていった。男の体もそこで消えていた。そして、最後の一行は、「あとに花びらと、冷たい空虚が張り詰めているばかりでした」で終わる。

やはり安吾は、桜の木の下に人の姿がなければ、「逃げだしたくなるような静寂がはりつめて」になるのだ。この描写はエッセイ「桜の花ざかり」の「逃げだしたくなるような静寂がはりつめて」と重なる。やはりこの小説の背景には、東京大空襲後の上野公園で見た情景があるのだと思った。梶井基次郎も書いてたように”桜の樹の下には屍体が埋まっている!

もうすぐ、嫌な桜の季節がやってくる。花見の酒は永遠に楽しめそうにない。(おわり)


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