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【怪談】「追悼・豊田有恒」 追悼文執筆中に起こった怪異

*この文章は、先月亡くなった豊田有恒さんへのつたない追悼文だが、同時に、追悼文を書くあいだに起こったオカルト的怪異についても報告するものである。


最近は訃報ばかりで本当にまいる。

5日には、作家の豊田有恒さんの訃報が流れた。


テレビアニメの黎明(れいめい)期にシナリオライターとして活躍したSF作家の豊田有恒(とよた・ありつね)さんが11月28日、食道がんのため東京都内の自宅で死去した。85歳だった。
(朝日新聞12月5日)


私は豊田さんと親しかったわけではない。

でも、伊集院静さんや、豊田有恒さんは、私の現役時代の終わりまで、出版業界のパーティーでふつうに挨拶していた人たちだった。

そういう人たちが、この世から相次いでいなくなるのは実に淋しい。


豊田さんは、SFのいわゆる第一世代で、私のような60代には、物心ついて以来「いて当然」のような作家だった。

小松左京や星新一などとともに、読めば必ず面白い「定番」の作家だった。

西村京太郎、内田康夫、森村誠一・・

私が子供のころ、書店の平台にたくさん並んでいた本の著者たちが、この数年でいなくなってしまった。

豊田さんが亡くなり、健在なのは筒井康隆さん、赤川次郎さん・・。あんなに若々しかった赤川さんも後期高齢者になったと聞くと、時の流れの速さに愕然となる。


豊田さんのようなSF畑の人は、不幸なところがあったと思う。

筒井康隆が小説化しているように、直木賞のような文壇主流の賞から遠ざけられていた。

私は1980年代、日本SF作家クラブの会長が、筒井さんから豊田さんに交代したあたりの時期に、出版業界に入った。

それは、ちょうどSFの退潮期で、代わりに「冒険小説」が台頭していた時期だった。

編集者たちは、SF作家から、旬の冒険小説作家に移動した、ということは、以前書いたことがある。


その後、冒険小説作家たちは、順番に直木賞をとっていった。逢坂剛、西木正明、佐々木譲、船戸与一、大沢在昌、馳星周・・

それに比べて、ひと世代前の小松左京、星新一、筒井康隆などSF畑の人が直木賞をとらないままだったのは、いかにも不公平で不運だと感じる。山田正紀や堀晃だってとっておかしくなかった。(半村良は直木賞をとったが、受賞作は時代小説だった)

豊田さんも、「モンゴルの残光」や「長屋王横死事件」でとっておかしくなかったのに、候補にすらならず、無冠だった。

訃報では、「鉄腕アトム」「エイトマン」「戦艦ヤマト」のライターとして紹介されるのがもっぱらだった。

すっかり「アニメの人」みたいに言われるのが、活字の世界で豊田さんに接してきた私には不満だ。


豊田さんと最後にお会いしたのは、推理作家協会のパーティーだっただろうか。

そのころ読んだ『韓国が漢字を復活できない理由』(祥伝社新書)について、ご本人に感想を伝えることができたが、すぐに邪魔が入って長く話せなかったのは残念だ。

豊田さんは原発推進派だったし、晩年は韓国通として「嫌韓ブーム」に乗ったような本を出していたので、保守派のように思われていたかもしれない。

しかし、もちろん豊田さんは右でも左でもなく、現実派、合理主義者で、科学や人間の進歩に基本的に楽観的な人だった。それは小松左京と同様だ。

歴史観ふくめ、イデオロギーに染まらず、ものごとを公平に見る知性がずば抜けていた。


訃報に接して、懐かしくなり、私は『長屋王横死事件』(1992、講談社)をまた図書館から借りて、読み始めた。

天武天皇の孫でありながら、藤原氏の陰謀で自殺に追い込まれたとされる長屋王。その悲劇と意外な真相を、役小角の跳梁などをからめながら、描いていく。

豊田さんは言うまでもなく、SF的発想と手法を歴史の分野に適用したパイオニアだった。戦国以降の時代小説は数多いが、そのころまで古代史をエンタメ小説にしたのは黒岩重吾くらいしかおらず、その点でもパイオニアだ。

また、古代の複雑な政治情勢を、エンターテイメント性を保ちながら説明していく手法は、小松左京と同じ、「情報小説」である。

情報小説は、「人間が描けてない」とかケチをつけやすく、賞をとりにくいのだろう。そういえば堺屋太一もとっていない。

しかし、それはこの人気があるジャンルへの過小評価だ。「情報小説」というジャンルは、いまでは池井戸潤あたりに引き継がれたのかもしれないが、豊田はその有力な書き手として記憶されなければならない。



ーーと昨日、ここまで書いて、私は『長屋王横死事件』の本を机に置き、お茶を淹れた。

そして、何の気なしにテレビを点け、YouTubeを見始めたのだ。

とくに何を見るつもりもなく、お茶をすすりながら、グーグルがリコメンドしていた動画を見始めた。

それは、前日にアップされたばかりの以下の動画だ。

【バブル遺産】最上階は床が回るレストランだった…850億円もかけて建てられた元そごう百貨店「ミ・ナーラ」(だいまつのDEEP探検隊 12月9日)


奈良県にある商業施設「ミ・ナーラ」をのんびり紹介している動画だった。

私は聞いたことがない施設だ。

1989年、バブル絶頂期に作られたので、必要以上に豪華な建物になったという。その施設の内部を紹介している。

「へー」と思いながら、ぼんやり見ていた。

驚いたのは、動画の終わりかけのナレーションだった。


さて、最後にこのミ・ナーラが建っている場所について。
この地には長屋王という奈良時代の皇族の邸宅がありました。
(動画16:10あたり)


「え!」

と思わず私は座り直し、目の前にある『長屋王横死事件』の表紙を凝視してしまった。

ナレーションは以下のように続く。


このミ・ナーラが建っている場所について。
この地には長屋王という奈良時代の皇族の邸宅がありました。
そごうの出店計画時点では判明しておらず、
実際に邸宅跡とわかったのは開業前の発掘調査の際です。
発掘調査の際、約5万点の木簡が出土したようです。
ミ・ナーラの入口前には、
ここが長屋王邸跡ということを示すオブジェが置かれています。
歴史的に価値があるものとして保存を求める声があったようですが、
反対を押し切ってそごうが開店。
その後オープンしたイトーヨーカドーもあわせて、
業績不振で閉店に至っていることから、
地元の方を中心に長屋王の呪いと言われることもあるようです。
ちなみに検索でミ・ナーラと調べると予測変換に「呪い」と出てきます。


長屋王の呪いーー。

「長屋王」について書いているとき、偶然「長屋王」の動画が流れる。

そもそも私が「長屋王」について考えるなんて、年に何度もない、というか、ふうつはまったくないのに。

不気味な偶然の一致、シンクロニシティだ。


この偶然の一致によって、霊界の長屋王が、何かを私に告げようとしているのか。

あるいは、霊界の豊田有恒が、長屋王の事跡を通じ、「SF作家の呪い」を知らしめようとしているのか・・。


ーーなんて思ったが、豊田有恒が生きていたら、豊富な事例を引用しつつ、私が体験したシンクロニシティを見事に合理的に説明してくれ、なんなら、「長屋王の呪い」という一篇の小説に仕上げてくれただろう。

と思った。



<参考>


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