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着る服を選ぶように:自由意志+決定論、相対思考の視点

例えば、人間には自由意志が存在するのか、全ては運命として決まっていて自由意志はないのか、そういう議論があります。

私はこういう答えが無い問題は、自分の役に立つかどうかという視点で見ることにしています。そして、ごく最近まで、自由意志が無いと考えてしまうと深く考える気力が少なくなってしまうため、自由意志があると考えた方が良い、と思っていました。

しかし、ある記事を読んで、自由意志などなく全ては運命として決まっている、と考えた方が楽に生きられる、という考え方をしている人がいることを知りました。

それを読んで、なるほど、と思いました。そう考えた方が生きやすい人がいるのです。そうであれば、ただいたずらに自由意志を否定するものではなく、運命決定論はそうした人を勇気づけるための考え方になります。

私は自由意志があると考えた方がプラスになるタイプですが、世の中には、自由意志がないと考えた方がプラスになるタイプの人もいるということです。そうであれば、自由意志と運命決定論の、どちらが真実かという事を考えるのではなく、ひとりひとりにとって、どちらがフィットするかを考える方が良いということになります。

そこから着想を得て、この記事では、相対思考という視点を提案したいと思います。

人間はどうあるべきか、人生をどう生きるべきか、という問いは昔から考えられてきましたが、普遍的で絶対的な答えは見つかっていません。きっと、その答えはないのだと思います。

それは、着る服と同じで、ひとりひとりが自分に合うものを選べば良い、そういうものではないかと思ったのです。

この考え方を、相対思考と呼ぶことにします。

■服の選び方

派手な服、地味な服。流行りの服、定番の服。大人っぽい服、若々しい服。

特別な環境でない限り、どんな服を着るかはその人の自由ですし、人それぞれです。

人間とはどういう服を着るべきか、どんな服を着るのは間違っているのか、そんなことを真剣に考えている人は、少ないでしょう。

もちろん、びっくりするくらい派手だったり、清潔感が無かったりすると、周りの人を困惑させます。また、似合っているとか、その人らしさが出ているとか、時と場所とシチュエーションに合っているか。そんな風に、周りの人は、その人と服をチェックしているかもしれません。

自分自身でも、周りの人と同じような観点で、自分の着る服を評価します。加えて、気持ちが落ち着くとか、着心地が良いとか、本人にしか感知できない評価の基準もあるでしょう。

自分で熱心にSNSやファッション雑誌や周囲の人の服装をチェックして、頻繁にお店を回って常に研究をしている人もいるでしょう。あまり関心がなくて、いつもの定番の色や形の服を必要最低限買う人もいます。自分では買わずに、家族が買ってきたものを着ている人もいるでしょう。

どれが正しいということはありません。その選択の結果を、本人がどう受け取るかだけです。

■相対思考という視点

自分を犠牲にしても人に親切にすることができる人がいます。夢を一生懸命追いかける人もいます。自分の能力を発揮して大きな仕事を成し遂げる人もいるでしょう。ただ穏やかに生きる人もいれば、周囲の視線が気になって生きづらさを感じている人だって大勢います。

はっきりと自己主張をする人もいれば、控えめにしながら周囲との調和を大切にする人もいます。思慮深くいつも冷静な人もいれば、嫌なことがあったら思い切り気晴らしをして忘れるようにしている人もいます。ポジティブに前向きに考える人もいれば、過去の後悔や将来の不安でため息ばかりの人もいるでしょう。

それで良いのではないでしょうか。着る服と同じで、全ての人に通じる価値観や人生訓なんてないと、そう考えれば良いはずです。

ポジティブな服を着た方がハッピーな人はそれを着ればよいし、それが合わない人が無理して着替えなくても良いのです。

絶対的な考え方、正しさ、価値、やり方があると思い込んでしまうと、社会の多様な個性には、どうしても窮屈になります。

これが、相対思考の考え方です。

■相対思考のあり方

全ての人が着るような絶対的な服が無いからと言って、ファッションデザイナーや、コーディネータ、モデル、インフルエンサーが不要なわけではありません。一緒に服を選んでくれる家族や、アドバイスをくれる友人は、やっぱり大切でしょう。最後は、自分でどうするかを決めればよいのです。自分で買うか、買ってきてもらった物を着るか、いつもの決まった服を選び続けるのかも含めて。

相対思考も同じです。絶対的な正しい生き方が無いからと言って、人生哲学を考えたり、ポジティブシンキングを勧めたり、そうした人はやはり大切です。アドバイスや忠告をくれる家族や友人の存在も、ありがたいものです。最後は、自分で決めればよいのです。自分で考え方や生き方を選ぶなり、信頼する誰かの考え方を真似したり、深く考えずにあるがままでいることも含めて。

ただ、必ずしも研究者やプロが、あなたに合ったものを提案してくれるわけではありません。

全ての人が、ハイブランドの服を楽しく着こなせるわけではないように、高いレベルの自己実現をめざす生き方がフィットするわけではないでしょう。明るいポップな色の服を着ても気分が上がらない人もいるように、ポジティブ思考を無理やり着る必要もないでしょう。

エコでエシカルな服が良い事だと思っても、全ての服を変えられないように、どんな時でも他人に親切にできる人は稀です。服飾の事を改めて勉強していなくても自分なりに楽しめる人がいるように、考え方や人生訓を深く勉強していなくても、生活の中で自分にフィットしたものを見つけている人だって大勢いるでしょう。

自分にフィットして、自分が納得できるものは、本人にしか見つけ出すことはできないのです。

■相対思考の活用法

似合っていない服を着ている人や、自分の気分や生活にマイナスになるような選び方をしてしまっている人がいると思います。それも自由だとは言え、少し工夫したり誰かからアドバイスをもらったりするだけでも、良い方向に変わる事ができるのなら、勿体ないなと思います。

本人が分かっていて、あえて今の服装を選んでいるのなら良いのです。ただ、本人も何とかしたいと思いつつ上手くいかないと悩んでいることも多いでしょう。少しでもベターな服が選べるように、参考になるガイドラインがあると良いでしょう。

シンプルですが、多くの人に適用できそうなガイドラインを考えてみました。以下の服の部分を置き換えれば、自分に合った生き方や考え方の見つけ方のガイドラインとして、理解することができると思います。

◇観察をする

周囲の人がどんな服を着ているか観察してみます。たくさん見ていると、自分の好みに気がつき始めます。自分の好みに近い人を見つけて、その人と自分が似ているタイプなら、自分にも似合うかもしれません。似ていないなら、好みではあっても、着てみたら思っていた印象と異なるかもしれません。

◇アドバイスをもらう

オシャレに興味がありそうな家族や友人、あるいは専門家に相談してアドバイスをもらうのも良いでしょう。自分の良さや本当の好みは、自分では良く分からなかったりもします。詳しい人の客観的な意見には、参考になる部分も多いはずです。

◇お試しやチャレンジ

いったん、思い込みを捨てて、今まで着ていなかった服を試着したり、手ごろな値段なら買ってみたりしましょう。派手過ぎると思っても、着てみると案外に気に入るかもしれません。試してみるだけなら、気軽にできますし、色んなタイプを試してみたら良いのです。

◇とにかく、上手くいくまで継続する

急ぐ必要はありません。納得がいくまで、上記を繰り返せばよいのです。ただ頭で想像するだけでなく、観察、アドバイス、試着という形で地に足のついた取り組みをしていけば、きっとフィットする服を見つけられるはずです。

■社会との兼ね合いと例外的な制限事項

多くの人が共生している社会という観点から見ると、自由に選べるようにすることが大切だからといって、無制限に全てを受け入れることはできません。倫理や社会全体の利益の観点は、どうしても無視できません。

絶対的な価値観や正しさが無いと考え、ひとりひとりが選ぶ事が望ましいとする相対思考の視点からは、できる限り社会的な制限はない方が良いのは確かです。

このため、必要最小限の例外事項を設けるというアプローチが適切でしょう。

なお、心の内側については、思想信条の自由という考え方もありますし、実質的に制限は困難ですので、そこには触れません。

このため、制限するのは、言動になります。

まず、当然ながら犯罪行為はNGです。

次に、他者に考え方を押し付けたり強制することもNGです。そして、他者の考え方を非難する言動もNGです。これらは、多様な考え方を受け入れることを良しとする相対思考の数少ない例外事項です。この例外事項を設けなければ、相対思考自体が成立しなくなるため、この制限は必須です。

また、社会が日常的な状況でなく、極端な状況に陥った場合に何らかの制限を追加するかどうかは、その社会が決める必要があります。

社会全体が大きな損失を受けて存続の危機に至るとしても、この自由を制限することを良しとしないという風に、社会が決意しているのであれば、それも良いでしょう。

一方で、社会全体の存続の危機が迫った場合に、一時的な制限を適用することを可能するという社会的な合意を取っておくという社会も、あり得るでしょう。もちろんその場合、その制限が適用されれば危機を回避できる見込みが高いという前提は必要です。また、差し迫った危機でなくても、日常的にもある程度の制限が必要という社会的な合意を取る社会も、あり得ると思います。

これは、どちらが正しいという話ではなく、それぞれの社会における合意の問題です。社会という集団の合意のレベルでも、相対思考の視点で捉えることができるのです。

■おわりに

何年か前に、あるアパレルブランドが「明日、何着て生きていく」というキャッチコピーを打ち出していましたが、あの響きが好きでした。相対思考を服に例えることを思いついた時、このフレーズを久しぶりに思い出しました。今日と明日では、違うタイプの服を着ても良いのです。

この記事では、服を選ぶこととの類似性を用いて、相対思考という視点を提案しました。

個人の観点で言えば、どういう考え方がフィットするかは人それぞれです。自分に合う考え方を見つけた方が、苦しみが少なく、幸せな人生というものに近づけるかもしれません。

ただしそれすらも考え方次第であり、絶対ではありません。あえて苦しみを受け入れ、幸福を目指さないという考え方もあり得ます。そうした人は別として、今の苦しみや辛さから抜け出したいのであれば、相対思考の視点から、考え方を見つめ直してみると良いかもしれません。

着る服のタイプをガラッと変える事は難しいですが、その気になれば不可能でありません。まずは、変えても良いのだと気がつくところが出発点です。

また、社会的な面から、例外的な制限事項の話もしました。そうした例外を除けば、人は自分の考え方を選んで良いということです。何が正しいかということを考えるのではなく、自分はどう考えるのか、ということに意識を向ける方が適切だという事です。

一つの絶対的な答えが無くても、私たちは共生することができるはずです。違う服を着ていても、一緒に働いたり、笑ったりできているのですから。


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