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精神科医、「君の名は。」(前編)

皆様、こんにちは!鹿冶梟介(かやほうすけ)です!

藪から棒で恐縮ですが、”全生活史健忘”という言葉を聞いたことがありますか?

全生活史健忘とは解離性健忘の一種で…、

名前・生育歴など自分に関する記憶を全て失うことであり、その背景に”解離”の心理的機制が存在する健忘

…と定義されます。

よくドラマや映画で、家族・恋人の呼びかけで眠りから覚醒した人物が…、

「ここはどこ?私はだれ…?」

...と困惑するシーンがありますよね?そう、あれです!

全生活史健忘の原因は何らかの強い心理的ストレスであり、その強いストレスを回避するために自分の記憶を無意識に消すと言われています。


今回紹介するエピソードは、小生が某病院に勤務しているときに担当した全生活史健忘(解離性健忘)の患者さんの話です。

尚、プライバシー配慮のため、論旨を変えない程度に脚色しております

そして、本記事は映画「君の名は。」とは…、全く関係がありません(タイトル詐欺で、すみません…)!



【精神科医、目を覚ます】

「ピロピロピロ…、ピロピロピロ…」

間抜けなほど高いトーンのコール音で精神科医は、目を覚ました

「…はい、当直室です」

3コール鳴る前にどうにか電話を取った精神科医は、同時に枕元の目覚まし時計を確認する。

製薬会社のロゴの入った液晶目覚ましは、忌々しくも午前6:10を表示していた。

「(もう少しで当直が明けたのに…)」

『朝早くすみません。実は警察の方から入院依頼の電話があって…。』

同じく当直だったソーシャルワーカーが申し訳なさそうに話す。

「警察?」

『はい…、何でも記憶を無くした女性を診察して欲しいとのことです』

「…、認知症の徘徊女性を保護したのかな?」

『それが年齢不詳…、身元不明の中年女性だそうです…』

ソーシャルワーカーの困惑した様子が電話越しに伝わった。


精神科医が勤務する”鷹山病院(仮名)"は当時は珍しく24時間対応をしている精神科病院、すなわち精神科救急対応をしていた。

"24時間365日まごころ対応”を病院訓としたこの病院には、日夜さまざまな患者が訪れる。

特に休日・夜間に病院を訪れる患者は特殊なケースが多く、警察がらみの相談も珍しくはない。


ところで精神保健福祉法第23条(旧24条通報)においては、

法第二十三条 警察官は、職務を執行するに当たり、異常な挙動その他周囲の事情から判断して、精神障害のために自身を傷つけ又は他人に害を及ぼすおそれがあると認められる者を発見したときは、直ちに、その旨を、最寄りの保健所長を経て都道府県知事に通報しなければならない。


…とあり、不審人物に精神異常の疑いがある場合、警察官はこの法律に基づき行政に通報し、精神保健福祉センターの専門職員の面接を経て、精神科病院での措置診察に至る。

ただしこの場合、行政から連絡が来るため警察から直接依頼を受けることはない。


【精神科医、引き受ける】

精神科医は、診察依頼を引き受けることにした。

電話から30分もしないうちに、件(くだん)の中年女性は体格の良い男性警察官2名に付き添われて来院した。

小太り、癖のある髪を後ろで無造作に結び、服装も白いTシャツの上にグレーのカーディガン、ベージュのショートパンツにサンダル姿…、まるで近くのコンビニにでも行くようなラフな格好

身をすくませ、診察室をキョロキョロと見回し落ち着きはない。

目立った外傷はなく、歩行も正常。

「朝早くありがとうございます。この女性を昨夜スーパーAの駐車場で保護しまして…」

付き添った警察官が経緯を説明し始めた。

昨夜午前1時過ぎ、スーパーAの店員が店の喫煙所のベンチに座る女性を不審に思い声をかける。
店員の話では少なくとも夕方からベンチに座っていたとのこと。
話しかけても無言で、その場を動こうとしないため110番通報。
通報後ただちに警察官は現場に駆けつけ、当該女性に話を聞くが無言。
この為、警察署で保護することとなったが、名前、出身地、深夜に独りでベンチに腰掛けいた理由を尋ねるも…、
「わかりません」
としか答えない。
リュックやカバンなどの手荷物はなく、身分証など本人を確認するものは所持していなかった。
所持品は花柄の白いハンカチ、50円硬貨1枚、10円硬貨2枚、そして最寄駅で購入したと思われる片道切符1枚のみだった。

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医師歴20数年の現役医師の経験をご紹介します。

とある精神科医が経験した症例集。 笑あり、悲しみありの、ちょっと不思議な物語。 尚、プライバシー配慮のため、論旨を変えない程度に脚色してお…

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