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ラフに遊ぶやつの一人だった、私は。
よくチカーノソウルの話をした。
DJブースに届かなくて、ビールケースを置いてくれた。
足の臭いの話、犬は飼いたいよねって話、山登りして頂上で一服したいなって話。だいたいいつも、くだらない話をした。
まだ会って日は浅いけど、本当にいつも気にかけて頂いて、優しさの塊だった。
Rest in peace,小宮さん。なんて、そんなこと悲しい。いつかまた話したい。
これからもずっと聴き続ける。
オフビートで踊る、考える、行動する
先日、渋谷のイメージフォーラムで「ルード・ボーイ トロージャンレコーズの物語」を観てきた。
この映画は、夏の公開中に何人もから同時多発的に勧められ、誰しも「バビロンが好きなのであれば、絶対これも観た方が良いよ」という文脈で語ってくれた。
その度に、「絶対観ます!」と答える反面で、いま諸々抱えてるものたちがあと2週間程度で片付くから、それが終わったらだな…と心の中で思っていた。
とうとう約束の
The Diary of I & my grandpa
昨日の文学フリマで「The Diary of I & my grandpa」を多くの方に手に取って頂き、本当にありがとうございました。
そして、ブースを間借りさせて頂いたRRCとinch magazineには感謝しかありません…
ワイワイとても楽しかったです。
今回、zineの形を見て「どうしてこの形にしたんですか?」という質問を多く頂きました。
この形状にした理由は、片手で持てて、片手でペ
Boy meets world in NY.
土曜日のBUSHBASHは、ここ最近の全ての答え合わせだった。
大袈裟に聞こえるかもしれないが、驚くほどに「全て」だった。
inch magazine issue2を購入したのは年明けだった。
それまでの私は、ドアの穴からNYの社会を覗いていたようだった。
対岸であると同時に、市民活動における憧れの地であるNY。常に思考のすぐそばにはあるが、見える世界は断片的だった。
ドアの穴から見えてい
人生は映画、映画は人生、サグなライフ
記録映画の存在意義のひとつに、人生そのものが創作物であり、人生自体が映画なのかもしれないと気付かせてくれるところがあると思う。
2015年に公開された三宅唱監督によるドキュメンタリー映画「THE COCKPIT」はまさに上記の要素に溢れていた。
約1時間の作品の中では、一秒の隙もなく何かが作り続けられていた。
映画が始まった瞬間から、創作が封切られてた。レコードをワイワイ聴いているように見
ジャズで体を揺らしてヒップホップで踊る私が良い本と出会った時
本は出会うもの、あるいは誰かが引き合わせてくれるもの。
4月上旬のその日、私は大学の第二外国語が同じクラスだった友人と10年ぶりに顔を合わせてお酒を飲んでいた。
Twitterでしか繋がっていなかった彼女とは驚くほど気が合って、お互い大学を卒業してからのことを遅くまで語り合った。
「今まで何でか会わなかったけど、二人とも色々あったよね」と語っていたら、さっぱりした上にしみじみとした。もう32
チカーノソウル、私にとってのLAという街
5月21日「チカーノ・ソウル~アメリカ文化に秘められたもうひとつの音楽史」の著者ルーベン・モリーナ氏のトークセッションとDJを聴きに、代官山の晴れ豆へ行った。
約一年前、「とにかく、チカーノソウルは絶対聴いたほうがいいよ」
トラスムンドに長居をした帰り際、今日の音楽談義のすべてをまとめるように言われた。私はこの日初めて、チカーノソウルというジャンルを知った。
まだ6月上旬だったとは思うが、湿気
「ハンセン病文学の新生面」に行って
私たちはどんな時だって想像しなければならない、そう強く思った。
「ハンセン病文学の新生面」という企画展を見に、去年の8月以来の国立ハンセン病資料館に行った。
ときに社会は、徹底した隔離環境を作る。
ハンセン病も含めた医療的施設や障害者施設、乳児院も含めた児童養護施設。また、この括りに賛否があるかもしれないが懲罰施設もそれにあたるかもしれない。もちろん入管だってそうだ。
なぜ隔離をするのか?な
それは日常の、ユナイトするカルチャー
石田昌隆さんの写真展、とても良かった。
写真の舞台は、ロンドン・ブリクストン。
まさに映画「バビロン」の舞台である南ロンドンだ。
「バビロン」は去年一番食らった映画だった。
同様の、音楽・社会・街を描いた映画のなかでは、NYを舞台にした「アザーミュージック」や「All the streets are silent」などのドキュメンタリー映画たちも去年観た中では印象深かった。
どちらの映画も「
おじいさんと笑いながら踊る
私は大爆笑をするとき、顔を少し上向きにして、手を叩き、今にも跪きそうな勢いで膝を曲げる。そして「アハハハッ」といった感じの大きめの声もあげる。
三日前、京都出身の赤染晶子のエッセイ本「じゃむパンの日」を電車の中で読んでいて、ついこのように爆笑してしまった。
この社会で生きていると、他人のちょっとおかしげな点を知ることもあるし、同時に自分自身のおかしげな点にも気付くことがある。
「じゃむパンの
「オフィーリアはクソだよ」
走り抜けるように読み終わり、スパイクリーの映画版を観たくなった。
ナチュレルとメアリーに会ってみたくて。
主人公・元麻薬密売人のモンティの恋人である、プエルトリコルーツのナチュレル・ロザリオ。
立ち居振る舞いがとにかく美しく、ユーモアももあって、強い。
私は、彼女の身体的な描写が多かったからかもしれないが、途中からナチュレルがロザリオ・ドーソンにしか見えなくなっていた。
「(ニューヨークの)