いい時間とお酒 神戸港 神戸 当たり前過ぎて意識しなくなっていること
シレッと美しい風景を私達に与えて素敵な時間を演出してくれている神戸港。
リファレンスとしての横浜港。
明治以降に発展したという意味では神戸港は、横浜港に比べれば圧倒的に歴史がある。
私にとって横浜港が身近になったのは社会人になって結婚して横浜に住み始めた1980年代頃、昭和の終わりの頃です。横浜港開港当時からの歴史の流れを思わせる象の鼻、何度もその形を変えてきた象の鼻もその時はもう誰にも見向きもされず、付近には何の銘板も無く放置されていました。私が象の鼻を見つけて、大興奮しているのに吾妹は、余りのインパクトの無さに
何のこと…
といった反応でした。私ですらそれも無理はないと感じた次第。
赤レンガ倉庫は、割れたガラスが散乱し、落書きだらけの荒涼とした景色を放って居ました。
象の鼻地区 歴史
横浜市
唯一、それでも赤レンガ倉庫のある埠頭からの夕景、夜景は見事。夜の帳(とばり)が下りるとライトアップもされていない荒(すさ)んだ光景はかき消してくれて、美しい人工の光が織りなす景色をよそ者の私に与えてくれました。
実際荒れた赤レンガの倉庫の内部は、横浜の怖い一面を印象付ける景色。昭和の末期でも、まだまだ行ってはいけない地域が有りました。刑事物のドラマのロケ地にもなっていました。
理系、物理屋なのでCuriosity(好奇心、野次馬根性かなぁ)の塊で港湾整備が始まる前に、死ぬまでに1度行っておこうと思い立った記憶があります。
そう言えば、まだ新入社員で労働組合の組合員だった頃、鉄鋼会社の労働組合の社内回覧で当て逃げ犯の車の車種とナンバーが回って来たことも、初(うぶ)な私には強く印象に残っています。
出典は以下。
1つ至近の阪神・淡路大震災との対比での横浜の山下公園。
神奈川県横浜市中区山下町にある公園(風致公園)横浜港に面して約750メートルにわたり、約100メートルの幅で設けられており、1923年(大正12年)の関東大震災で発生した瓦礫の捨て場を埋め立てて、1930年(昭和5年)に開園した。
一方、今回訪れた神戸港。
当然、私との関わりは薄く横浜港のような思い出はありません。出張と子どもと一緒に車で通過したことがある程度。ですから訪問したら神戸の歴史に関する博物館等の施設には行きたいと思っていました。しかし、タイミングが合わず観光する先々で読んだ銘板とネットでの情報とインターネット。
それでも既報の様にザックリとした歴史感は持てていました。
詳細な歴史は別報に譲りますが、例えばこちらも阪神・淡路大震災の瓦礫を活用して、計画されていた港湾整備継続を機敏に大所高所から判断したという歴史が…
思いの有る方々の織りなす素敵な歴史。
しつこくも、物理屋はいつも歴史から入るのでした(笑)
私が神戸港の発着ターミナルを初めて訪れた時はコロナ禍で2階にある展望レストランは閉鎖になっていました。それでも1階のロビーには誰でも自由に弾ける街角ピアノが有って、何方か知りませんが、演奏を楽しんで居ました。
その音色に誘われて広々としたロビーの長椅子に腰掛け、港の景色を楽しんで居ました。が、そこから徒歩圏内にある子どものところに帰って寝るだけでしたので
缶ビール
を飲もう…
幸い17時閉店でその10分前。おつまみと500mlのロング缶のビールを買って再び長椅子に。
港に向かって総ガラス張りの建物のからゆっくりと進む日没の光の変化、
スペクトロスコピーを楽しみつつ…
上述の神戸港の歴史に思いを馳せつつ…
隣でビールは寒いと
温かい物を飲んでいる吾妹の気配を感じつつ…
運と勘としつこさの人生なので滞在期間中の晴天の日を狙って…
次回はSunsetにタイミングを合わせて遊覧するぞ
などと思いつつ…穏やかな気持ちでのんびり冷えた缶ビールを頂いたのでした。
いい時間とお酒
出先の売店で缶ビールとおつまみでも充分素敵な時空…
せっかくですのでその時の景色も少しだけ…
そして滞在期間中の晴天の日を狙って、Sunsetにタイミングを合わせての遊覧は既報通り叶ったのでした。
蛇足
神戸ネタはこちらに纏めて有りますので宜しけば…
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