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意識的に自分の殻を壊す 私の習慣 その4.03 受験に集中した高校時代の自分を壊ずし自由を取戻した日々 当たり前過ぎて意識しなくなっていること

 大学生になり新しいことに次々とと挑戦して自分の殻を壊していました。 教養課程の体育分野でも大学ならではスキーを選び、しかもスキーが人生の友となったのです。そのスキーの授業に敢えて自動車で行ったのですが…

失敗談2連発。
その2発目です。

 小学生時'代に本格的な勉強のスタートが2年遅れた分を取り戻せず、その2年遅れを最後まで背負って希望の大学に入学しました。そして、弱冠20歳にて4度目の 意識的に自分の殻を壊すです。

 教養課程の体育分野でも大学ならではスキーを選択しました。その辺りまではこちらをお楽しみ下さい。

 自動車免許も取り、祖母の車を譲り受け授業が行われるスキー場に向かうのでした。人工スキー場へ向かっての失敗談はこちらをご覧になって下さい。

 一寸だけで昭和の自動車の世界へ寄り道。

 車は祖母から譲り受けた車はブルーバードU。

 因みに祖父は運転できたそうですが、私が物心がついた時は既に建設会社の役員だったので運転はせず、公私共に社用車。当然セドリックの黒塗り。当時は役員には危機回避で運転させないという文化でした。

 ブルーバードUは、L16という1600ccのエンジンで円盤状のカタツムリが横になった様なエアクリーナーにキャブレター。正に古典的。ですがとても良く走りました。マスキー法前のエンジンなので環境には負荷が高いのですが。

 この日本版マスキー法のお陰で今の日本の大気汚染レベルにまで改善されたと思っています。

 4ドアセダンだったのですが、2ドアのスポーツとデザインが似ていて、今のポルシェの4ドアセダンに似たコンセプト。結構気に入っていたデザインです。この610のデザインから日本車のデザインは現代的になりました。

 因みに私は美しくないと感じしませんでしたが、当時は若い人はホイールキャップを外すのが流行でした。泣き所はエアコンが無かったところです。夏場の渋滞が…

ニッサンの4ドアセダン
ブルーバードU(610) 1600GL

結構気に入っていたしろ基調のデザイン
私は美しくないと感じしませんでしたが
若い人はホイールキャップを外すのが流行
ニッサンの2ドアハードトップ
ブルーバードU 2000GT

所有しなかったけれど
こちらもこの角度からは結構気に入っていたデザイン
セダンを見るとサイドビュー会社似てる
2ドアのフロントデザインは私好みではない感じ

 4ドアセダンだったのですが、2ドアのスポーツとデザインが似ていて、今のポルシェの4ドアセダンPanameraに似たコンセプト。

ポルシェの4ドアセダン
Panamera

おばあちゃんもセンスが光っていました。

 話は戻って…

 自動車での次の大きなチャレンジは東京から長野の山奥のスキー場までの往復。単独での冬季の遠距離ドライブへの挑戦です。

 冬休み期間中に1週間合宿するというカリキュラム。12月初旬で授業は終わり冬休みに入りました。12月ですが関東は暖かく、長野も道路の積雪は予想されていませんでした。金属チェーンは有ったのですか、流石に旅館やスキー場までは除雪されているだろうと軽く考え持っていきませんでした。私が経営者なら都心からのお客様が来やすい様にノーマルタイヤで来られる様に除雪するよなぁ。

 スキーの授業で使う宿は信州 野沢温泉 常盤屋旅館。大学のスキー部の常宿でした。

 当時は関越自動車道は前橋まで開通したばかりでした。そこからからは一般道で夜中の国道を大型トラックの列に並んてひたすら野沢温泉を目指しました。車にエアコンは無くてもエンジンが温まればヒータが効きますので冬のドライブは快適でした。

 国道は片側一車線。それでも舗装はされていましたので走り易かった。当時はまだまだ未舗装路が地方には沢山有りました。制限速度を遥かに超える速度での流れでしたが、制限速度程度では煽られたり、トラックの大音量のクラクションを浴びせられたりと、未知(道?www)の世界。
 最も驚いたのは、市街地でない場所では国道の信号が赤なのにトラックの流れはそれを完全無視。信号で止まっているとパッシングやクラクション。停止している右から強引に信号無視で追い越される始末。

 今でも地方に行くと市街地ではない場所で横断歩道が黄色の点滅となっているところで徐行すると、いちいち徐行するなとやんわり煽られます。と言ってもあおり運転対策の道路交通法改正のお陰でか昭和の様な目には会いませんが(笑)

 流石の図太い私もかえって危険と観念し、兎も角大人しくトラックの車列の中に埋もれて流れに任せて運転しました。今の思うと中々の経験でした。

 夜も白みだした頃、いよいよ野沢温泉への一車線道路に。除雪がだんだん怪しくなっていて、雪のない轍(わだち)に沿っての運転。そして“ようこそ野沢温泉へ”というゲートをくぐると緩やかな広い登り坂に…おっと。早朝なので轍部分の路面が凍結していてアイスバーンになっていました。グリップを確かめながらゆっくり登坂しましたが、坂の途中で登れなくなりました。旅館の玄関は見えていて後20m位。でもどうにもなりませんでした。ここだけはチェーンが必要。

 しかし、ここは運の良さを発揮。

 その場所の脇が常磐屋さんの第2駐車場でした。そっと重力を頼りに道路に垂直になる感じで駐車。そこから荷物を背負って旅館の玄関に到着。
 当然集合時刻には早すぎですが、そこは大学御用達。大広間に通して頂き集合時刻まではのんびりさせて頂きました。

 滞在中には当然雪は降りました。しかし帰り、しかも夕方なので路面凍結無しでしたので、チェーン無用で駐車場から轍のある道路に出て、今度は初めからトラックの流れに素直に乗って、無事帰宅できたのでした。

 運で凌ぎましたが、チェーンを持って行かなかったのは考えが足りていなかった。冬季の遠距離ドライブデビューというチャレンジも苦い経験となりました。

つづく

 

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