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カウボーイになりたかった

ビリーザキッド、ワイアットアープ、ドクホリディ、、西部劇小説を夢中になって読み漁っていたちょうどその頃、テレビではローハイドとかララミー牧場をやっていて、私はジェスに夢中だった。(今でも主題歌のイントロなら歌える)

疾走する馬から駅馬車に飛び移ったり、
岩陰に隠れてインディアンを待ち伏せしたり、
縦横無尽にアリゾナの平原を愛馬を股に挟んで駆け巡ったり、(本物のカウボーイは、馬を股ぐらに挟んで動かすのだ)10歳にして立派な脳内カウボーイだった。

インディアンは不当に悪者扱いされていたけれど、私は彼らの名前の付け方に魅了されていた。叫ぶ月、燃える風、片目の狼、などなど。なんと深い。哲学ではないか。

そんな私が20代になりたて、はじめてのアメリカで、はじめてのバックパック旅行、キャンプ生活を体験する。1人5キロ強の荷物を背負い、クロスカントリースキーでカリフォルニアの山中を歩き回り、辿り着いた友人の山小屋に水道は無かった。食事の水も、トイレで用を足した後に流す水も、毎回離れた井戸から雪解け水を汲んで来なければならなかった。水は貴重品で、顔や手を洗う贅沢は許されなかった。

5日間の旅の終わり、山を降りた車が最初に立ち寄ったガソリンスタンドで水道に駆け寄り、蛇口から流れ出る水でむさぼるように顔や手を洗いながら、宣言した。

私はカウボーイにはなれない。
金輪際、未来永劫。

たった数日お風呂に入れないどころか、水で手を洗えないだけで辛抱たまらない私が、牛や馬と泥だらけで荒野の野宿なんかできるわけないと、思い知った。(あの時解せなかったのは、一緒に行ったアメリカ人がコークとハンバーガーに走ったこと。5人の中で一目散に水道を目指したのは私だけだった。日本人にはやはり「水いのち」なのか?)

なりたかったもの、諦めたものは、いくつもある。みんな、やってみて思い知ったものばかりだけど、やってみなければ良かったと悔やんだものは、ひとつも無い。

本当に味気ないのは、やってみる前から「カウボーイになれない」ってわかってしまうことなのかもしれない。

最近、私、カウボーイが足りなくなってきてる。

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