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本能寺の変1582 重要 ◎第50話① 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

重要 ◎第50話① 

8光秀の苦悩 2光秀と長宗我部元親 

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その一因 
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 50 ◎ 
*以下は、重要ヶ所◎のみ抜粋したものです。 
*加筆修正 
【シリーズ】信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 

光秀の悩みは、尽きず。

 否、そればかりではなかった。
 正に、多事多難。
 他にも、難題を抱えていた。

四国、長宗我部元親の問題。

 天正三年1575。
 元親は、土佐を統一した。
 次いで、阿波侵攻に着手。
 三好氏との戦いが始まった。

「信」を遣はし候。

 天正六年1578。
 
元親は、信長と誼を通じた。
 信長は、元親の嫡男弥三郎に「信」の一字を与えた。

  惟任日向守に対する書状披見せしめ候、
  仍(よ)って、阿州面(おもて)に在陣、尤(もっと)もに候、
  弥(いよいよ)、忠節を抽んでらるべきの事、簡要に候、
  次に、字(あざな)の儀、信を遣はし候、 
  即ち、信親、然るべく候、

  猶(なお)、惟任申すべく候也、
  謹言

  十月廿六日           信長
   長宗我部弥三郎(信親)殿
             (「土佐国蠧簡集」「織田信長文書の研究」)

阿波の三好は、共通の敵。

 当時、信長は、大坂石山本願寺を攻めていた。
 阿波の三好氏は、その本願寺に与す。
 これすなわち、共通の敵。

光秀は、長宗我部を味方にした。

 信長は、機嫌がいい。
 「三好の足元を脅かす」
 満足していた。
 光秀の手柄である。

光秀は、元親の取次となった。

「猶、惟任申すべく候也」

 信長は、光秀を長宗我部氏の取次に任じた。
 すなわち、仲介者・仲立ち・窓口・担当。 

本願寺の勢力が最強だった時期である。

 戦いは、先行きが見えず。
 長期戦なると思われた。
 信長にとっては、「渡りに船」。
 好都合である。 

長宗我部元親は、四国制覇を目指していた。

 阿波のみならず、伊予・讃岐にも触手を伸ばしていた。
 「易々とは、終わらぬ」
 信長と本願寺の戦いは、長引くものと思っていた。
 「ならば、その間に・・・・・」
 おそらく、そう、思っていただろう。 

両者の利害は、完全に一致した。

 これ以後、暫しの間、良好な関係がつづく。


「明智の将来は、明るい」、はず、だった・・・・・。




 ⇒ 次へつづく

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