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本能寺の変1852 その一因 一、光秀の年齢 第6話 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

その一因 一、光秀の年齢 第6話 

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その一因 
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一、光秀の年齢 第6話

   【参照】テーマ別 光秀の年齢 第6話  ◎P6 ◎第6話

 光秀の後継者問題。
 光秀にとっては、最も重要な問題。
 その様な世代であり、タイミングだった。 

 光秀は、高齢だった。
 嫡男光慶は、若すぎた。
 このことが、光秀を苦しめる。

 光秀は、出来る男。
 信長の心の内を知り尽くしていた。 
 光秀には、先見力があった。
 先が、見えた。

 光秀は、猜疑心が強い。
 
信長を信用していない。

 光秀は、不安だった。
 「危うい」
 明智の将来は、一体、どうなるのだ!!

 この思いが、積もりに、積もっていく。
 そして、やがて、本能寺へ!!



 ⇒ 次へつづく

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 これで、全体像がよくわかる!!
 毎日更新!!
 原因・動機の究明は、この一歩から!!

重要 ◎目次 が更新されました。

 「本能寺の変」
 原因・動機は、この中にあり!!
 ご注目下さい!!

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 視点を変えれば、見える景色も違ってくる!!

見えてきたもの 目次 が更新されました。

 これで、さらに、一歩、近づいた!!
 ご期待ください!!


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