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飲みながら料理をすれば、夕食は同時に〆にもなる
仕事を切り上げる瞬間がたまらなく好きだ。
「今日はもう閉店」と決め、頭のスイッチを一気にオフにする。
閉店の意思決定は、達成感だけでなく、ある種の諦めとともに訪れることもある。まだまだ直近締切の仕事は山積みだけれど、気力も体力も限界を迎え、やむなく閉店する、そんな日も少なくない。
でもそんな日こそ、閉店後の初動がとても肝心だ。いかにスイッチを切り替え、たとえ短い時間でも良質なオフの時間を過ご
「好きな食べ物は何ですか?」という、地獄の質問について
その質問が、昔からひどく苦手だった。
相手は深い意味もなく聞いているのだろう。何なら、会話を無難に運ぶための、潤滑油として口にしているのかもしれない。
でも、僕はそう聞かれると、しどろもどろになり、ついつい考え込んでしまう。結果として、相手のほうを「悪いことをしたかな」という気持ちにさせてしまい、何とも言えない空気が生まれるなんてことも、よくあった。
「好きな食べ物は何ですか?」。
これが
地元に友達がいない──川崎ノーザン・ソウル的リアリティ、サミットという「歴史」について
僕は地元に友達がいない。
親が転勤族だったから地元がそもそもない、というわけではない。保育園から大学生まで、徒歩圏内での小さな引っ越しはしたものの、基本的にはずっと同じ街に住んでいた。
いや、「いない」は言い過ぎか。知り合いはいる。いちおう連絡先も知っている。ほんとうに珍しいケースではあったけれど、小学校の頃の友達と、大人になってから盃を酌み交わしたことはある。
でも、少なくとも、実家に帰る
夢についての三つの断章
誰しも一つや二つ、ほとんど誰とも共有してこなかった「思い出の曲」があるのではないかと思う。
わざわざ僕が繰り返すようなことではないが、音楽を聴くことの楽しみの一つに、その曲をよく聴いていた頃の記憶や感覚を追体験するというものがある。
その多くは、当時の家族や仲間、恋人、そして名前も顔も知らなくても、同時代を生きた人々と共通のものだろう。昭和歌謡バーのようなビジネスが成り立つのは、そうした記憶を
日常と祝祭。その二項対立を解体する、カネコアヤノという示唆について
僕たちの暮らしとドーピングは、切っても切り離せない関係にある。
ドーピングとは字義通りには「スポーツ選手が競技出場前に運動能力を増進させるための刺激剤・興奮剤などを服用すること」だが、ここではもう少し広く捉えることにする。スポーツ選手ではない僕のような一般ピープルが、思考能力やモチベーションといった精神的なパラメータを高めるために、なにか「刺激剤・興奮剤などを服用」することもドーピング、としてお
かつて愛したルノアールのこと
五番街へ行ったならば
マリーの家へ行き
どんなくらししているのか 見て来てほしい
五番街で 住んだ頃は
長い髪をしてた
可愛いマリー今はどうか しらせてほしい
マリーという娘と
遠い昔にくらし
悲しい思いをさせた
それだけが 気がかり
1973年に発売された、日本のバンド・ペドロ&カプリシャスの代表曲「五番街のマリーへ」の一節である。作詞としてクレジットされているのは、日本を代表する作詞家・阿久
クリエイティブではない僕だからこそ考えたい「創造」の話
稀にだが、文章を読んだ後、激しい興奮に襲われて、しばし放心状態になってしまうことがある。
夢中で読み進め、一息で読了し、正直そこまで内容が頭に残っているわけではなかったりもするのだけれど、雷に打たれたような気分になる文章がある。測ってないけれど、たぶんそうした状態になったとき、心拍数はものすごく上がっているだろうし、頭に血がのぼって立ちくらみ寸前になっているだろう。
つい数ヶ月前、僕は久しぶり
「あなたの一票で社会が変わる」とは言うけれども、そもそも「変わる」ってなに?
ここ数日、衆院選の影響もあり、「変わる」「変わらない」といった類の言葉を見かけることが増えた。
「あなたの一票で社会が変わる」「選挙があってもどうせ体制は変わらない」──多くの識者やインフルエンサーが、「変わる」ことについて喧々諤々の議論を交わしていた。
もちろん、社会的に不便益を被っている人たちの状況を改善することはつねに必要であるし、僕は編集者という仕事柄「社会を変える」を仕事にしている人