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Tokyo Undergroundよもヤバ話●’70-’80/地下にうごめくロックンロールバンドたち 第4話『ウィスキーズって知ってるかぃ?』

取材・文◎カスヤトシアキ

話/ジョージ(野月譲治)

協力◎佐藤ケンジ(ID Japan代表/ミュージシャン)

協力◎古岩井公啓(Good Lovin’)

協力◎カブト(Kabuto Love Mania)

協力◎村上“ヤッチャン”雅保(※1BOBOBO LTD,THE FOOLS).

協力◎Hocky(Doctors Bar/代表)

V T R◎青山/月見ル君想フ

 

『HockyのROOTS ROCK OF AGE』


 “ラジオの収録があるから付き合ってくれ”

 唐突なラインがジョージから届いた。ジョージはたいていの場合、何の説明もなく核心だけを伝えるのを得意とする。ラインに関しても同様である。

“了解”

 そう返信してから“待てよ?”と思った。こればっかりは内容を聞かなければ意味不明なのだ。何の話か問うてみると、本人も “出演依頼だけは受けた”格好らしい。この状態を頭の中で思い描くと、霧の中でラジオのマイクに向かって寡黙になっているジョージの姿が思い浮かぶ。当たり前の話だが、“これじゃいかん!”と思った。少なくとも目の前にある霧を晴らして、どんな景色なのか確かめてみなければ。

 そう思い、ジョージを霧の中に誘ってくれた相手を聞き出した。

 その相手は、村上“ヤッチャン”雅保(※1BOBOBO LTD,THE FOOLS).であった。

 ご存知、フールズのドラマーである。実を言うと僕は、今のフールズのメンバーとは縁がない。しいていえば、この、村上“ヤッチャン”だけは顔見知りの気分になれる、って感じなのだ。彼が『藻の月』のLIVEにひょっこりと顔を出してくれるからなのだが、初対面にもかかわらず妙な気やすさは、彼の性分によるものなのかも知れない。その彼がDJをやっているFMラジオに出演するというのだから、そこらにある霧がパァッと晴れて、ジョージの立ち位置が見えるような景色が浮かび上がった。

09 ジャングルメン(2023.6.25 【Groove Message vol.19】BOBOBO LTD@高円寺 ジロキチ)

※村上“ヤッチャン”雅保がドラムする(BOBOBO LTD)のLIVE風景


村上“ヤッチャン”から改めて受けたメールの内容はこうだ▼

■収録日は6/22(木)の昼12時頃から15時頃まで。■収録場所は荻窪Doctor's BARです。■酒呑みながらタバコ吸いながら気楽に出来ます。■ライブハウスClub Doctorがあるビルの4Fです。
『ライブハウスClub Doctor』

 指定された『Club Doctor』の4階に行くと、すでにジョージはカブト(※2)さんと連れ立って到着していた。実は僕らは前日にこのメンバーにコイワイくん(GoodLovin)を混ぜた4人で高円寺で呑んでいたのだ。(名目は“ウィスキーズ”についての聞き取り調査だったのだが)単なる呑み会になってしまっていた。古くからこの界隈のインディーズ・ロックに詳しいカブト先生に聞いたところ、

「ウィスキーズは1回しか観てないんだ」

 と言う残念な発言だったからである。しかし、代わりに翌日のラジオ収録は、どうやらカブト先生も出演したことがあったらしい、という事が判明した。偶然にもジョージよりも前に、彼がこのFMラジオに出演していたのである。

●Kabuto Love Mania 「邪魔をスルナヨ」

 
 この『FMかわさき/HockyのROOTS ROCK OF AGE』は、一気に7月の4週分を収録するということで(30分番組)、僕らは、先に放送される3週分の収録、1時間半を待つことになった。(収録だが、ほとんど生録りである)

 村上“ヤッチャン”が持ってきてくれたビールで乾杯をしながら思ったのだが、僕は数年前の夏にここに来ている。というより、4階のBarスペースの横にある屋上の様なところで、風にあたりながら日光浴をしていたことがあるのだ。当時はまだ『藻の月』にも関わっていなくて、『シクスシクス(※3)』という男女のデュオをひいきにしていた。時間があればLIVEに出向き、彼らの音源を聴いては別なる次元を夢想していたのである。あれから流れ行く時間の中で、何度目の夏を迎えるのだろうか?

 少しほろ苦い生ビールを喉に流し込みながら、もう一度、『シクスシクス』の甘い夜を味わってみたいと、フッと想ってみたのだ。

●シクスシクス/スイィト

 
 そんなことを夢想していたら、ジョージの出番はあっという間に訪れた。それでもジョージのスタンスは変わらない。ラジオでも核心的な語りをするだけである。まぁ、それが個性というものだし、それで良いと思うのだ。7/12に発売される『ウィスキーズ』から2曲、『藻の月』から2曲を収録した。

 放送されるのは7月25日の夜9時である。その頃は梅雨も上がり、夏真っ盛りになっていることだろう。それにしても村上“ヤッチャン”のDJは巧みであった。普段の調子のよさがそのまま電波に乗って淀みなく流れていく。相方でパーソナリティーを務める女性『エミィ松澤』さんがその流れを作っているのだが、お喋りと音楽をミックスして時間をぴたりと合わせるところなんざ、長年の匠の技なんだな、とつくづく思った次第なのです。

 ということで、下記が番組の内容になります『▼ジョージ出演/7月25日の夜9時』

『HockyのROOTS ROCK OF AGE』
■DJ / Hocky & 村上“ヤッチャン”雅保■パーソナリティー / エミィ松澤
■かわさきFM79.1MHz■毎週火曜日21:00~21:30(完全収録放送)
■スマホアプリ/ Listen Radio

全国どこからでも聴けますよ/リクエスト、ご意見は↓までrootsrockofage@gmail.com

BlackKite/藻の月/月見ル君想フ/2023/05/02

 

『ウィスキーズ』の言い出しっぺは誰か? って話


  さて、それでは、かわさきFMでも流した『ウィスキーズ』の話に入ろうと思う。

 1986年のいつだったのか明確には覚えてないのだが、その初冬に冨士夫(山口富士夫)が遠くに出掛けたまま戻って来なかったので、やり場のない青ちゃん(青木眞一)が“フラフラ”と寄って来て耳元で意外なことを囁いた。

「俺、バンドを作ったから」

 それを聞いた僕は、唖然とした。思ってもみなかったことだったからだ。青ちゃんと言ったら“着流し浪人”のようなところがあって、横のものを縦にもしない横着な男である。寝転がりながら、やりたいこと以外は何もやらないゼ!と言い切るところがあり、ワガママではないのだが、何がしたいのか実に読めない勝手さがあったのだ。

 その点、冨士夫はわかりやすい。「寄らば切る!」とばかりに息巻いている“辻斬り浪人”ようなところがある。取り敢えず何がやりたいのか、朝、味噌汁を飲む時点から主張するのだ。機嫌が良い時には近所にまで、その味噌汁を「美味しいから飲んでみなよ」とお裾分けをするのだが、最悪な気分の時は容赦なく切り捨てるのである。そのわかりやすい冨士夫が遠くにお出掛けになったので、当然のごとく、それを受けた青ちゃんは、ゴロンと横になってお休みになると思っていたのだ。それが、意外なことに新しいバンドを作ったと言う。

「そうか、わかった。それじゃLIVEに呼んでよ、観に行くから」

 取り敢えず、僕は何も考えずにそう答えたら、

「何言ってるんだよ、トシ!お前は(そのバンドの)マネージャーなんだよ!」

 って、いきなり上段から切り付けて来たのである。コレには参った。僕は真っ二つに切り裂かれた気分のまま吉祥寺の『曼荼羅』に向かい、打ち合わせに臨んだ。店に着くなり、近くの茶店に呼び出され、グラサンをクールにキメた青ちゃんに、「紹介するよ」って、ケンちゃん(※4佐藤ケンジ)を紹介されたので、「何をする人?」って問いかけると、

「何言ってるんだよ、トシ!俺たちはこの人のレーベルからレコードを出すんだよ!」

 って、いきなりの発売予告をされたのだ。コレにはさすがに驚いた。禁じ手の突きを食らい、よろめきながら考えた。“あれだけ何もしない人の代表・青ちゃん”が、コレだけ素早くコトを進めるとは、一体、何があったのだろう?

 と、最近まで約35年もの間、ずぅ〜っと不思議に思っていたのである。

 ところが、である。

「実は、アレは俺が言い出しっぺなんだぜ」

 去年の暮れのことだったか、高円寺の“なんとかBar”で白ワインなんぞを空けながら、実に楽しそうにジョージがのたまった。

「ウィスキーズのメンバーも俺が決めたんだ」とダメを押した。

「フラフラしていた青ちゃんに声をかけたのも俺。一緒にウィスキーを飲みながら、バンド名を“ウィスキーズにしようぜ”って決めたってワケさ、へへへ」

 っと、意地悪く笑うである。

LAMES / Whiskies (ウィスキーズ、7インチシングルリマスター復刻&未発表ライブ2CDより)


 

ジョージ/談『ウィスキーズ』の話


ウィスキーズの頃のジョージ/1987年稲生座にて

●ジョージ「ウィスキーズは青ちゃんが作ったってことになっているけど、言い出しっぺは俺さ。何てったって、あのタイミングはそれぞれのバンドの中心人物がみんな、アッチへ持って行かれたときだったからさ。残ったメンバーで何かをやる必要があったんだよ。

 俺のバンド(コックサッカーズ)では、俺と宮岡が暇していたから、青ちゃん(タンブリングス)とマーチン(フールズ)を誘ったってわけ。だから、ハナっから(時間的に)限定的なバンドだったんだよね」

山口冨士夫&タンブリングス ロック・ミー

THE FOOLS - 空を見上げて

 
 タイミング的に大変なときだった。冨士夫は半年以上も『シーナ&ロケッツ』のゲストとして活動していて、『タンブリングス』を気にかけながらも、高円寺に借りていたプライベート・スタジオで『ライベート・カセット』を制作したりしていた。

 フールズは波に乗ったまま、どこまでも、どこまでも、果てしなくイッチまうんじゃないかという時期。LIVEはどこも満杯で、半分以上が可愛い女性客であった。

 カウンター・カルチャーからサブ・カルチャーへと移行する音の世界の中で、少し古臭いと思われていたロックンロールが、再び元気になってきたときだったと思う。『タンブリングス』は法政大学の学館ホールで『シーナ&ロケッツ』とのジョイントが決まっていた。ノリに乗っている『フールズ』には、イベントへの出演依頼が次々と舞い込んでいたのだ。

 あの頃の僕らは、調子に乗って少し浮かれ過ぎていたのかも知れない。当たり前だと思っていた自由な日常が、実は大きな地引き網をスッポリと被せられ、強引なチカラによって引き寄せられていることに気づいていなかったのである。

シーナ&ザ・ロケッツ - キャプテン・ギターとベイビー・ロック(1986)

ジョージ 「確か1年くらいしかやってないだろ?!『ウィスキーズ』って。インディーズ・レーベルが流行り出して、それが定着してきた頃だったからさ、そのタイミングで『S・E・X(エスイーエックス)レーベル』から4曲入りのアナログ盤を出したんだ。新宿のJAMスタジオで録音してな。

(そのやり方は1年後のTEARDROPSのRec.にも使われることになる)

 思い返せばさ、俺はその時まで歌ったことがなかったんだよ。ジャスト、ギタリストだからさ。ヴォーカルは性に合わないと思っていたんだ。青ちゃんだって俺と同じだよね、ろくに歌ったことがなかった。だから、シャイな2人がカッコつけて思い切ってフロントに立ったってわけだ。そういった意味じゃ貴重なシーンだと思うよ、『ウィスキーズ』も。

 面白いのはさ、『フラフラ』を歌うときの青ちゃんがさ、歌入れの寸前にサングラスをかけるわけ。“あれっ!?”って思うんだよ。この人、恥ずかしがっているんじゃないだろうか? ってね。俺と青ちゃんとはちょうど10歳違うんだけどね。青ちゃんみたいに『村八分』とか『フールズ』とかを通って来ても、初めての歌入れは恥ずかしいもんなんだなって、微笑ましかったのを覚えているよ」

フラフラ / Whiskies (ウィスキーズ、7インチシングルリマスター復刻&未発表ライブ2CDより)

 
ジョージ 「初のライブは吉祥寺の曼荼羅。客は意外なほど入っていたね。『ウィスキーズ』はどこでやっても客が来た。どうしてなのか、いまだにわかんねぇんだけどな。『コックサッカーズ』でギターだった宮岡は『ウィスキーズ』ではベースになった。マーチンのドラムはさ、スネアを叩く時のグリップの持ち方を『ウィスキーズ』で変えたんだ。レギュラーグリップっていうやつ? マーチングバンドでよく見るアレさ。そうしたら、リズムが微妙に変化したり、スネアの音量が一定じゃなくなったりした。だから、コッチはそのリズムを感じるのに苦労したよ。『どうして変えたんだよ』ってマーチンに訊いてみたらさ、『これまでの俺は、とにかく思いっきり叩いていただけなんだってことがわかったんだ』って言っていたよ。“その方がいいんじゃねぇの?”って思ったりもしたんだけど、それはさすがに言えなかったな(笑)。だけどそのおかげで、ただのロックンロール・バンドじゃなくなった気がする。リズムやサウンドが揺れて、思わずスイングしちゃったりしてね、それはそれで気持ちいいんだよ」

 ジョージが言うように、『ウィスキーズ』が演るライブハウスはどこも満杯であった。それは、『タンブリングス』や『フールズ』とはまた違った活気に満ちたシーンだった。『ウィスキーズ』のレコードを発売し、結果的に仕掛け人のような格好になった佐藤ケンジ氏(S・E・Xレーベル・ID JAPAN代表)は当時を思い出す。

●佐藤 「もともと僕はバンドをやっていたんだけど、途中からファッションに切り替えて、『ラフォーレ原宿』の地下に店を構えていたんだ。時代的に、パンクTシャツやグッズ関係が売れていたから、原宿駅前のテント村にも出店したりしていた」

 1980年代の日本のファッション業界は、小売業が大流行りしていた。佐藤氏が店を構えていた『ラフォーレ原宿』のバーゲンなどは、数千人の行列が原宿駅まで届き、徹夜組も出たという。

1986年当時の原宿駅とテント村あたり

●佐藤 「レーベルをやり始めたのも、もともと自分も(バンドを)やっていたし、ロックが好きだったから。だけど、『S・E・Xレーベル』は、『スペルマ』や『リップスティック』のようなパンクやハードコア系バンドのアンテナ的な意味合いが強かった。その方がファッションと連動して売れたからなんだけど。そういう意味では、『ウィスキーズ』のようなロック系はイレギュラーだったんだよね」

若き日の『THE BEGGARS』センターがケンちゃん(佐藤ケンジ)

 ●佐藤 「ジョージとは知り合いだったし、マーチンのことも知っていた。でも、逆に青ちゃんとは初対面だったんだ。もちろん、存在自体は知っていたし、冨士夫と一緒にやっていることも分かっていたけど、繋がる線がなかったんだよね。『ウィスキーズ』は、当時、スタッフだったAが持ってきた話だったんだ。だから、何となく流れの中で録った形になるんだけど、そうしたら驚いたよ。2000枚プレスしたんだけど、あっという間に完売になった。LIVEはどこも満杯だし、大阪、京都、名古屋の3カ所も客で溢れていたんだ。東京のハコがいっぱいになるのはわかるよ。冨士夫やコウが居なくなって、行き場のない客たちが『ウィスキーズ』に集まったんだからさ。だけど、他の地域は何で客が来たのか今でも謎だね。今みたいに情報が行き届かないアナログの時代だから、風の噂で集まったにしては、少しばかり出来過ぎた話だったんだよね」

 関西ツアーは、スペルマの蘭子さんの功績が大きいと聞いている。彼女と仲がよかった青ちゃんが『大阪・ファンタンゴ』『京都・拾得』のブッキングを頼んだのだ。

SPERMA(Midnight Summer Dream).mp4


●佐藤 「冨士夫が現れて、『ウィスキーズ』が終了するタイミングで、青ちゃんがわざわざ挨拶をしに来たんだ。『短かったけど、ありがとう』ってね。すぐにそのまま『TEARDROPS』が始まるんだけどさ(笑)。一つのケジメだよね」

Sympathy For The Devil  The Beggars / Rolling Stones Tribute

※The Beggars/Rolling Stones Tribute LIVE

 その時は気がついてなかったのだが、時代はまさにバブルに入っていた。日本中の猫も杓子もフライパンの上で“熱い、熱い!”って、飛び跳ねているようなさなか、『ウィスキーズ』はそっと幕を閉じたのである。

ジョージ 「とどのつまり、青ちゃんと呑んでいてウマが合ったったのがバンドを作るきっかけだったってわけだ。だから『ウィスキーズ』なんだよ。お気軽に始まってお気軽に終わったバンド。ロックしてスイングして、最後は1年後に戻ってきた冨士夫がステージに上がって来て、『Don’t Let Me Down』なんかを歌ってお開きさ。青ちゃんにとっても良いきっかけになったんだろうね。その後の『TEARDROPS』では、ガンガンに歌っているんだからさ。

 俺はまだ若かったから、あんまりこだわりを持っていなかった。だけどいいかい、コレだけは譲れねぇな、言わしてくれよ。『ウィスキーズ』の言い出しっぺは俺なのさ!

 確かに乾杯の音頭を世間と交わしたのは青ちゃんかも知れねぇけどな(笑)」

LAMES/藻の月/月見ル君想フ/2023/05/02

(第4話『ウィスキーズって知ってるかぃ?』終わり▶︎第5話に続く)

 

■INFORMATION 【WHISKIES/CD】 2023年7月12日発売!

※青木眞一(TEARDROPS)、ジョージ(自殺)、マーチン(フールズ)、宮岡(コックサッカーズ)による、ウィスキーズ唯一の音源であるシングルリマスターを初復刻!山口冨士夫のカバーを含む未発表ライブを2CDに収録!


■初回限定特典CDR/予約■


ジョージ(野月譲治)プロフィール


■藻の月/Vo・Gu
1959年生まれ。青森県三沢の出身。ドイツ人の父と青森県人の母を持つ。1979年頃、ヴォーカリスト川上浄と出会い、メンバーが流動的だった後期の『自殺』に参加。その後『コックサッカーズ』に改名してからは、ジョージのオリジナル作品でファンの心を掴んだ。そこで得た人脈とメンバーは、青木眞一(村八分・TEARDROPS)と組んだ『ウィスキーズ』、尾塩雅一(ルージュ)との『Canon』へと発展し、ロックンロールの伝説を生んだ。以前からのメンバーに加え、新たなメンバーと『藻の月』を結成。新メンバーの“若い魂”を注入し、過去と未来を繋ぐ“月の夜“を描いている。


 ●カスヤトシアキ(粕谷利昭)プロフィール

1955年東京生まれ。桑沢デザイン研究所卒業。イラストレーターとして社会に出たとたんに子供が生まれ、就職して広告デザイナーになる。デザイナーとして頑張ろうとした矢先に、山口冨士夫と知り合いマネージャーとなった。なりふり構わず出版も経験し、友人と出版会社を設立したが、デジタルの津波にのみこまれ、流れ着いた島で再び冨士夫と再会した。冨士夫亡き後、小さくクリエイティブしているところにジョージとの縁ができる。『藻の月』を眺めると落ち着く自分を知ったのが最近のこと。一緒に眺めてはどうかと世間に問いかけているところである。

 ※1 “村上ヤッチャン”雅保

かわさきFM『HockyのROOTS ROCK OF AGE』DJ/『BOBOBO LTD』『THE FOOLS』  のドラマー。

 ※2カブト(Kabuto Love Mania)

ロック/シンガーソングライター、Kabuto Love Maniaは、カブトを軸に、ベースギターのレイチェル、ドラムスの岩田敦司の三人で編成されたパワーロックトリオ。

 ※3 シクスシクス

時空を超えたコズミックブルースを操る謎のユニット、シクスシクス。俳優業と並行してankariseと名乗り音楽活動を行っていた大嶺美香a.k.a.アンカが、ギタリストでありソングライター、そして自身のバンド「グツドバイ」のフロントマンとして活動している村瀬統也と組んだデュオ。残念ながら解散している。

 ※4佐藤ケンジ(通称・けんちゃん)

ローリングストーンズ・トリュビュートバンド『THE BEGGARS』のヴォーカルである。ミック・ジャガリコとも呼ばれている。普段は衣装制作会社『 I D  J A P A N』の代表でもある。


■藻の月 LIVE INFORMATION■


●7月8日(土曜) 東高円寺UFO club

【青いジャングル】

出演:●藻の月●K.SHARPS BAND●高田拓実(Vo/Ag)+ケイジロンソン(Eg)…& mores

OPEN 18:30~START 19:00~

ADV.¥2500(D別) DOOR.¥3000(D別)

 

●7月28日(金曜) 高円寺ShowBoat

【ウィスキーズCD発売記念】

出演:●藻の月●The Ding-A-Lings●まのけばJET

OPEN 18:30 START 19:00

ADV.¥2300  DOOR.¥2800



 

 

 

 

 

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