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人を許せないのならば、自身が許されることはありえない

~他人とは俯瞰した自分自身である~

 皆さんは生きてきた過程で「こいつは許せない」と思う人はいるだろうか。わたしは片手で数える程度ではあったが、いた。
 ① 母を、家族を、自身を維持するために利用する父
 ② 中学生のとき、わたしを集中的にいじめた同級生
 ③ 経緯で語ったパワハラをわたしに行った会社の上司2名と先輩1名
 ④ 現場で部下をつぶして遊ぶ主任

 そして、、、
 ⑤ 今現在務めている会社の前部署の価値観の合わない人たち
 しかし、今のわたしは、思うところがないと言えば嘘になるかもしれないが、これらの人物たちに恨みの感情は持っていない。拘ってもいない、振り回されてもいないのだ。最近まで、現在進行形でトラブルになっている同僚たちについては、少し時間がかかった。例えるなら、殴られている最中に感情的な部分を整理することは出来るだろうか。正直難しいと思う。わたしはそんなに出来た人間ではない。わたし自身、なぜ自分がこういった経験をしてきたのか結論が出ている。すべては学びであり、今のわたしになるために必要な経験だったのだと感じている。わたしが許せないと感じていた人たちにどういった考え方をしているのか、以下に具体的に紹介していく。

 ① 父
 人の気持ちがわからない人だ。常に一番つらいのは自分であるため、家族のためにつらい思いをして働いているのだから、家でどんな振る舞いも許されると考えていたようだ。家族のためと口では言いながら、そのために家族に負担を強いることに疑問や矛盾を感じていなかった。人の在り方として破綻している。
 わたしが父から学んだことは、わたし自身が思い描く理想の形だ。父がいなければ、自身が求めることを実感として思い描くことは出来なかっただろう。一応、この場を借りて言っておくが、感謝は出来るが尊敬は出来ない。人としてあまりにも稚拙であると今のわたしは断言出来るからだ。
 ② 同級生
 この同級生については、過去思い出す度に、「悲惨な人生を送っているといい」と考えていた。しかし、自分の人生で行ってきたことを思い返したとき、わたしも似たようなことをしてきたと考えなおした。なにを隠そうわたしも人をいじめた経験があるのだ。同級生を許さないということはわたし自身も許さないことになる。人は許さないが、自分は許されるといった都合のいい理屈で自分を騙すことは出来ない。自分を愛し、常に前向きに生きていきたいのであれば、筋を通し、自身を納得させなければならない。
 わたしが同級生から学んだことは、皆、お互い様、ということだ。傷付けることもあれば、傷付けられることもある。いじめは悪意の塊だが、悪意がなくとも人を傷付けることは往々にしてあることだ。傷付けられた側にしてみれば、故意か故意ではないかはさほど重要ではない。傷付けられた事実があるかないか。あれば、それは罪となり、罰に返る。悪気はなかった、ですべてが片付けられるはずがない。
 ③ パワハラに関わった上司、先輩
 これについてはなにがあったのかは過去の経緯を見て欲しい。一言で言うと常軌を逸していた。今ならば、立ち向かうことが出来ただろうが、当時の自分は自身を責めるばかりだった。どこまでが自分の責任で、どこまでが相手の責任なのかよく整理したいところだ。
 わたしが彼らから学んだことは、彼ら自身から学ぶことはないが、あれらのつらい経験をしたことで、こうして似た経験をしてきている多くの人たちと触れ合うことが出来る。わたしたち障害に苦しむものにとって、経験をしていないのに、わかったような顔をしてくる人は受け入れがたいだろう。ほんの数年前までは、過去のつらい経験があってよかったとは思えなかったが、今は違う。これがなければ、今のわたしはありえないのだ。そういった意味で、彼らにはお礼を言いたい。わたしの踏み台になってくれてありがとうと。
 ④ 現場での上司
 この上司については、あまり大きな声では言えないが、それなりに酷い目にあっており、罰を受けているため、特に言うことはない。詳細は省くが、わたしも関わっている。正直当時はざまあみろと思ったが、今はそこまでする必要はなかったと思っている。その人の行いは、必ず何らかの形で本人に返る。わざわざ故意に自身が手を汚し、因果を背負うことはない。天に任せておけば、勝手に罰が下るだろう。人の痛みがわからない人間には「不運」という形で災いが降る。本当にそういったケースをたくさん見てきた。だから、安心(?)して天に任せておくのが良いと思う。
 ⑤ 現職場の方々について
 自分たちの意に沿わない人間は辞めさせればいいと考えているため、業界未経験で入り、人よりも仕事に慣れるのに時間がかかるわたしはそうそうに見限られた。辞めさせようと圧力をかけてきた。しかし、この会社の上層部は、この体質を問題視しており、改善しようと現場に働きかけていることをわたしはよく知っていた。あるきっかけがあり、わたしはわたしの現状の一部を上層部に報告した。荒れるに荒れた。今現在、わたしは職場で村八分状態であり、小さな嫌がらせが続いている。が、今は部署異動があり、直属の上司先輩は人格者が多いため、気分良く仕事をさせてもらっている。周辺にいる人たちから圧や嫌がらせはあるが。
 わたしは、世間的に許されないことをしているということがわかっていない人たちばかりであるため、盛大に明るみに出して報復をしようか悩んでいた。障害についても開示しているため、わたしの体調が崩れることがあれば傷害罪にもなりえる。自分たちのしていることが、どれほどのリスクを伴っているのか、知らしめてやろうと。しかし、わたしは直近ではあるが、起きたことを過去として扱い、許していくことにした。どうして?と思った方は少なくないはず。わたしは、今に至るまで様々な学びを得てきた。自身のトラウマや執着に決着をつけることが出来た。では、それを今に活かせているのか?学んだだけで満足していないか?きっとうまく経験を活かせるか試されているのだ考えた。わたしが前向きになったことで、周囲がどう変わっていくか様子を見ようと思う。どう舞台が変わっていくのか楽しみでもある。


 もし、あなたが許せないと感じている人がいたならば、許すことが出来ないが考えを巡らせてみて欲しい。許すことが出来れば、一歩自身を許すことが出来る。そして、自分のことを好きになれる。そして、すべてを許せたとき、自分を愛することが出来る。自分を愛することが出来れば、自分を大切に出来る。自分を大切に出来て初めて周囲を大切に出来る。順序を間違ってはいけない。自分を後回しにして周囲を大切にしようするから、わたしたちは壊れてしまったのです。どうかあなた自身を大切に。そこからすべてが始まるはずです。

 最後になりますが、「そんなの許せるはずがない」と思われた方は少なくないのではないかと感じています。無理に許そうとしなくてもいいと思います。許すことが出来ない、そう感じるのであればそうなのでしょう。ですが、いつか、許せるタイミングが来た時に、許してあげて欲しい。わたしも、障害を負ってから13年以上経ち、きっかけもあり、やっと許せるようになりました。許せるようになるきっかけはあると思ってます。その機会をどうか逃さないで欲しいです。あなたが、自身を好きになり、あなたらしい人生を歩めるきっかけになるかもしれない。

ではまた
あなたの行き先に明るい未来がありますように。

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