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みなみの徒然花(つれづればな)

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日々、外的要因によって引き出された内包的なそれそのものたちを、言葉というそれそのものたちによって開花させてみよう、という試みです。 モチーフは、吉田兼好先生の「徒然草」。 先生… もっと読む
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記事一覧

第27段 御国ゆづりの節介おこなはれて。

徒然なるままに、日暮らし、齧られたリンゴに向かいて云々。 今の自分を作るのは過去の自分だ…

第26段 風も吹きあへずうつろふ人の心の花に。

徒然なるままに、日暮らし、齧られたリンゴに向かいて云々。 『一人で生きている方が楽だ』と…

第25段 飛鳥川の淵瀬常ならぬ世にしあれば。

徒然なるままに、日暮らし、齧られたリンゴに向かいて云々。 世の中には変わるものと変わらな…

第23段 衰へたる末の世とはいへど。

徒然なるままに、日暮らし、齧られたリンゴに向かいて云々。 信じられないくらい美しい朝陽を…

第24段 斎王の野宮におはしますありさまこそ。

徒然なるままに、日暮らし、齧られたリンゴに向かいて云々。 才能とはなんだろうか。この世に…

第22段 何事も、古き世のみぞしたはしき。

徒然なるままに、日暮らし、齧られたリンゴに向かいて云々。 どうも随筆文というのは気がつけ…

第21段 よろづのことは、月見るにこそ。

徒然なるままに、日暮らし、齧られたリンゴに向かいて云々。 『月が綺麗ですね』と言えば、夏目漱石だ。この言葉は有名すぎるほど有名だが、俺はどちらかというとこちらの俳句の方が好きである。『あるだけの 菊投げ入れよ 棺の中』これは夏目漱石が、当時夢中になっていたというマドンナ、大塚楠緒子さんに捧げた詠として知られている。品があるように見せかけて実はこれは、とんでもなく最高にロックな詠なんじゃないかといつも思う。否、語弊があるかもしれない。ロックというよりも、大人の皮を被った子供が

第20段 なしがしとかや言ひし世捨て人の。

徒然なるままに、日暮らし、齧られたリンゴに向かいて云々。 読者の皆様、お久しゅうございま…

第19段 折節の移り変るこそ、ものごとにあはれなれ。

徒然なるままに、日暮らし、齧られたリンゴに向かいて云々。 季節の変わり目は浮き足立つ、と…

第18段 人は己をつづまやかにし。

徒然なるままに、日暮らし、齧られたリンゴに向かいて云々。 毎年、この季節になると決まって…

第17段 山寺にかきこもりて。

徒然なるままに、日暮らし、齧られたリンゴに向かいて云々。 突然だが、皆さんはインドア派、…

第16段 神楽こそ。

徒然なるままに、日暮らし、齧られたリンゴに向かいて云々。 神楽、とは少し異なるが先日歌舞…

第15段 しばし旅だちたるこそ、目さむる心地すれ。

徒然なるままに、日暮らし、齧られたリンゴに向かいて云々。 最近旅をしていない。ちょっと遠…

第14段 和歌こそ、なほおかしきものなれ。

徒然なるままに、日暮らし、齧られたリンゴに向かいて云々。 昔、予備校で受付嬢をしていた時よく後輩に言っていた言葉がある。『ねえ、聞いて。私はね、病気なんだ。』こう言うと、決まって人はドキッとした、少し白じんだような顔をする。『び、病気なんですか・・・?!』彼女はいつも、期待以上の驚いた表情を見せてくれていた。端正な顔立ち、春雪のように真っ白な肌、まるでロシア人形かなにかのように美しい彼女のことは今でも忘れることがない。そしてそう言う彼女の顔を見るのが私はたまらなく好きだった