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褒めることの暴力と立ち向かう
褒めることは暴力だと思う。
自分の中にある軸で相手をジャッジすること、それを勝手に押しつけること。
その軸は大抵”社会”の軸を勝手に自分が内面化していて、自分が有利な立場にあるときに、軸を相手に押しつけることで、自分が社会の中で相手よりも強い立場にあることを示しつつ、かつ、自分が正しいと考えている社会を広げたい、と行う行為が褒めることだと思っている。
だから、私は褒めることは基本的に何らかの役
『「言葉にできる」は武器になる』梅田悟司|読書記録 06
読書記録6冊目はこちら。
ー「言葉にできる」は武器になる
私がnoteを書き始めたのは、内向きな言葉を外向きの言葉に変えたいと思ったことがきっかけだ。
そんな私にとってはまさにドンピシャな本だった。
”内なる言葉”を知れコピーライターの著者は内なる言葉に目を向けて、思いを磨けと繰り返した。
世にはたくさんの言葉にする方法や伝え方のノウハウ本が溢れているが、そこで見落とされているのは、内なる言葉
ノートに書くべきだ。
卒論を書くために、文献を自分なりに読んでみて、整理してみることをはじめた。
どうやって整理しようか、Notionにきれいにまとめられるかな、ひとまずGoogleドキュメントに殴り書くかな、、、うーん、、
いや、ノートに書いてみるか。
手を動かしてみよう。
そう思い立った22時。
どうしても無印のノートがいいと思って、わざわざローソンに行き、
(満足して一晩寝て、)ノートを開き、書き始めた。
意味のない時間を意味づけること
意味にとらわれている
「特に意味ないけど、なんか話したくて声かけてみたー。
あ、でも気を遣わないでね。意味のない時間を過ごしたいなと思って、声かけているから、この時間に対して責任を感じる必要はないよ。」
「いや、さっきまでの15分間はずっとぼーっとしていたよ。
ぼーっとする時間も時には大切だね。
今日は〇〇して、△△のことを考えて、ずーっと活動していたから、
この15分間で、こういう時間をこう
言葉を得るために本を読まねば
私には言葉が足りない、と感じる。
前にも書いたが、私は本を読みたいし、読まねばならないとなった。
そういったが、なかなか本を読み進められていない。
理由は3点だと思う。
1.活字になれていない。
2.「この言葉をいかに自分に落とし込むか」ではなくて、
「この言葉は自分の内にある言葉にどう結びつけられるか」で読んでしまい、自分の内にない新しいことへ抵抗感がある。
3.興味関心の幅が狭すぎる。
だれかの声を聴くために誰かを排除する
場をつくること、改めて難しいなと思った。
以前から場をつくる人が、だれに声をかけるか、だれとその場をともにするか、それは選ばなければいけない、とおっしゃることにモヤモヤしていた。
「たとえだれかの声を聴くため、だとしても、それは排除ではないか。」
ただ、今日それはやはり排除ではなくて、相性である、と思った。
つくりたい場に対して、どの人とともにあるか、は、
むしろ場に来ることになった人にとっ
わたしはいつも自分に甘すぎる
いつも自分に甘すぎるな、と思った。
できること全部やりきったのか?
そう問うている日々だ。何もできていない。
自分なんかがやっていいのかな、だれかの可能性を奪っていないかな、そんなことを考えいるふりをして、結局わたしはわたしを甘やかしているんだと思う。
考えよ、手を動かせ、そして常に向上せよ。
といつもいつも私は私に言うしかない。