見出し画像

強くならなくても幸せに生きて行けるか?



◇”強くならなくて良い”は理想論?




強くならなくとも良い。人はみんな弱い生き物だ
。このような言葉を目にするたびに、合っている部分と間違っている部分があると強く思います。

というのも、人間は傷つきやすさ(ストレス耐性)感じ方に差異が必ずあり、ジェットコースターを楽しいと思う人と、まぁ我慢できるレベルと、超絶トラウマレベルで恐怖を感じる人で分かれるように

脳が何を快楽、ストレスとどちらに感じるか?そして、その事柄をどの程度のストレス、快楽と感じるか?ストレスをどこまで許容できるか?は一人一人違います。

だからこそ、多くの人が楽しく前向きに出来ることだとしても、ストレスと感じ続け潰れてしまう人も中には出て来るのは当然です。

なので、自分が過度にストレスに感じてしまい、そこを伸ばすことよりもデメリットが上回る場合において、無理してそのストレスに強くなろうとしないでも良いです。

世界に幾万幾億とある事柄1つが弱いぐらいで、全てに弱い人間か?というとそうでは無いと私は思います。

仮にあなたが引きこもりで、社会の生産活動や人間関係を断絶して生きていたとしても、家にずっと一人で居て他人とも全く接さないで、もしも全然平気であれば

逆に強いです。 私なら一週間で気が狂います。

精神疾患など病気で致し方無く引きこもりだったとしても、仕事をしている人は8時間働いて後は好きに出来ますが、精神疾患の場合は24時間その病気と向き合っている訳ですから

きっと私たちの想像を超える辛さの中を寛解しようと生きていると考えると決して弱くない。

むしろ仕事をバリバリこなし、趣味に励んでいる人は、必要とされる自己有用感や自分が価値のある人間だと思われたい承認欲求などを補充する為

金銭的不安の解消、趣味をすることでのストレス発散、新しい人間関係の構築など、自分の心を何かしらで潤さないと枯れてしまうからやっていることであり

強いからというよりも、弱いからこそ、それらが大なり小なり必要なのだと私は考えます。

だからといって、ニートを肯定も否定もする気はありませんが、ここで伝えたいのは強さというのはそんなに簡単なものではないという

様々な強さがあり、強く見える人でも弱い部分があるように弱く見える人の中にも強さはしっかりと存在します。

だから、自分が何か目的があって新しい部分を強くしたいなら少しでも強くすれば良い。

そうでないなら、今自分の持っている強さに着目すれば良い。

綺麗ごとのように感じるかもしれませんが、人間大量生産のロボットではないので、一人一人違うのは当然であり、他人と自分は違うことを受け入れ

自分の弱い部分ばかり見ず、強みに気づくことも時には必要です。そして

世の中弱肉強食ではなく、その場所、分野に適した人間が適者生存の法則で存在し続けています。

鶏が海で生き残ることが出来ないように、魚も空で生きること出来ません。

その場所の水に慣れる努力も必要ですが、自分がどこに適した人間であるか?の特性を客観的に分析し、そこに向けて力を注ぎ続ければ

その分野で強くなって行けます。

なので、強くならなくとも良いというのは理想論ではありません。

自分が強くなれない部分は強くならなくとも良く、今持っている強さの種を伸ばして行っても良いのです。



◇逃げても良い?


ストレスを強く感じてしまうこと、苦手なことは回避し続けるべきか?

逃げると逃げ癖がつくか?

確かに逃げることのハードルが下がり過ぎてしまうと、成長機会損失をする可能性も上がりますし、選択肢が限られてしまいます。

なので、基準を設けた方が良いと私は考えます。

ではここで、私なりの逃げても良い基準を紹介していきたいと思います。

☆3つの逃げる基準

・自分の能力を明らかに超える負荷がかかり続け、具体的な心身への悪影響が出ている

・デメリットがメリットを上回ること、割に合わないこと

・更に良い選択肢が出ている場合


筋トレやスポーツでも、自分の能力、力量に応じた負荷を選択しないと、鍛えられる前に潰れてしまいます。

身体を壊す、心を病んでしまえば、回復までに時間がかかってしまうこともあり、その場所の人たちが各個人に合った負荷を選定してくれれば

それに越したことは無いですが、そんな余裕がない会社や学校の人間も往々にしています。

なので、下痢、不眠が続く、常にうつっぽい、ストレスを受けると呼吸が浅い、息苦しい等、様々な心身の症状が出た時点で

かなりのダメージが蓄積されていますので、一秒でも早く逃げた方が良いです。

ただ仕事でもそうですが、家に帰って心身が回復している感覚があれば、多少大変でも、削れて行くより慣れて行く速度の方が早い可能性もあるので踏ん張ります。

そして二つ目、逃げないことでのデメリットががメリットを明らかに上回ることからも逃げます。

これは先に紹介した負荷にも当てはまるのですが…

例えば、倒産秒読みの会社や過度の人手不足の会社、人手が足りない→仕事がきつくなる→更に人が辞める→更にきつくなる…ような悪いスパイラルにはまっている職場は

頑張った所でみんな心に余裕がないが故に、空気も悪くなりやすく、賞賛もされないづらい

立場が上がる、給料が倍になるなど、旨味があるなら良いと想いますが…そうでないのであれば

人手不足のしわ寄せで時間と心身が削れて行くばかりで、自分への損害のが多い、要はデメリットのが大きいので逃げてください。

大きな成長に繋がるや報酬が見合うもので意味があると思えば続ければ良いと想いますが、無理する必要はないです。

そして最後は更に良い選択肢が出現した場合、飛ぶ鳥跡を濁さずなんて言葉がありますが、今居る場所よりも明らかに自分に合っている、又は待遇が良い職場に行けることが確定した場合は

その場所の問題を放置して逃げても良いです。

ただ、上手に逃げるに越したことはないですが、一発目の本格的な逃げならば多少強引でも、次回からもっと上手くやれば良いや位で

勢い任せの方が逃げやすいかもしれません。



■強いからといって幸せになれるとは限らない


人それぞれ強さ弱さを兼ね備えていると書きましたが、では体力、知力、権力、経済力が強い人間が必ずしも幸せになれるのか?と言えば

決してそうではないです。

もちろん体力はあった方が良いです。一日の活動量も増えますし、疲れてメンタルが落ち込むことも体力が無い人よりは少なくて済む。

しかし体力がいくらあっても衝動的でキレやすく、何か欲しいものがあると買ってしまうなど欲求を抑えられない人間であれば

揉め事に巻き込まれたり、散財したり、最悪目先の金の為に犯罪を犯して刑務所で大半を過ごすことになるので幸せにはなれません。

では頭がめちゃめちゃ良ければ良い仕事に就けて幸せか?と言えば、頭の良さの種類にもよりますが、そうとは限りません。

エジソンは3か月で小学校を退学になったり、人工肥料を発明したフリッツハーバーはナチスに利用されたり

特化型の頭のいい人はそこにアジャストしないと、他の世界では適応出来なかったり利用されやすかったりします。(馬鹿でも利用される時はされますが…)

万能型にどれもそこそこ出来る頭の回転の良い人であれば、優位に人生を運べますが、しかし先に書いた体力だけある人のように何かマイナスが大きすぎれば

折角良い部分があっても悪い部分に叩き潰されてしまいます。

お金と権力があれば幸せになれるか?に関しては、お金は年収数千万を境に収入が上がっても幸福度は上がらないという統計がいつくも出されていますし

その収入を稼ぐ為にストレスや今しか出来ない好きなこと、恋人や家族との時間をつくることが出来なければ、むしろ不幸度が上がります。

では権力は?権力を持っている場所にもよりますが、北朝鮮やロシアの権力者は命を狙われたり、政権を維持する為に反体制派を弾圧したり、常に自身の命や他人の命に関わる問題に直面し続けています。

いい生活は出来ると想いますが、まともな神経の持ち主ならばストレスではげ散らかすか、激太りしてしまいそうです。

ここまで大きな権力者でなくとも、自身の持っている物の大きさに応じてのしかかって来る責任や守るべきモノ達など、背中に背負う負荷が増えて行きます。

ただ弱者が強者に虐げられて不幸になるパターンもあるということで、しかし、その強者でさえも盛者必衰の理で衰えた時

今まで虐げた人たちから仕返しされ、酷い最期を迎えたり、更なる強者に打ち負かされたり、精神的安息から程遠い修羅の世界にいるので幸福ではないでしょう。



◆強いとか弱いとかは無視して行った方が良い



自他の強み、弱さを知ることは大切です。

しかし、あまり強弱に囚われる必要性を感じません。自分が社会的弱者だと思って生きた所で何が生まれるか?他人と優劣をつけることに何の意味があるか?

他者比較なんてものはとりあえず無視して生きた方が良いと想います。

人それぞれの自分史があって、その中で自分の人生の歴史的快挙を達成するぐらいの気持ちで取り組んだ方が良い。

他人にとっては矮小なことでも、とある事柄で自分が出来なかったことが少しでも出来るようになるのは、自分にとっては素晴らしい瞬間であり

過去の自分たちが出来なかったことを現在の自分が達成した歴史的快挙

競争社会で自分の記録に集中して自己満に浸っているのは、何ともお気楽に見えるかもしれませんが

他人を打ち負かす、快感というのも存在するように過去の自分を超える快感も存在します。

そして他人を負かすのは相手がいて、尚且つ自分が相手を上回らないと出来ないことであります。

しかし、過去の自分を超えることは自己完結で出来ることであり、過去の自分の様々なことに対して、細かく記録を狙えるという醍醐味があるのが胆です。

小さな成功体験や努力したことで脳が快感を覚えれば、また同じ更に強い成功体験を感じようと繰り返し努力が出来るはずです。

最初は努力と感じてしてたことも、いつしか充実感と楽しみに昇華して行き、物事前向きに取り組んで上達することが好きになって行きます。

そうして行く中で自分の好きなことが見つかり、そこでの学びが他の事柄への相乗効果で良い影響を与えるかもしれませんし

それが仕事に繋がるかもしれません。

要は他人に勝つ負けるよりも、自分の記録更新を楽しんで行く流れで、他人と競うことになるのは良いと想いますが

最初から人と競おうとすると、何かをする動力源が常に他人で、自分が何をしたいのか?分からなくなったり、苦しくなる頻度が上がると考えます。

もちろん人と競うのがめちゃめちゃ好きな人が居るので一概にいえませんが、ほとんどの人は他人に勝つよりも自分の記録を更新することのが容易でいて

充実感を得やすいです。

容易とは言っても、時には壁にぶつかることもあるでしょうが、高い壁も横から見たら薄い壁かもしれない。飛び越すより、ぶち破る方が手っ取り早い場合もあります。

押してもダメなら引いて見ろじゃありませんが、一つの方法に囚われず、自分の人生を有意義にする目的に集中すれば、健康でそれなりの生活さえ出来ていれば幸せを感じるかなと

逆にどんなに他人に勝ち続けた強者でも、常に渇きを感じ続けている場合はそれは幸せか?は疑問です。

そして生きる上で有利不利は確かに存在します。

しかし、他の記事でも良く書く言い回しですが、どんな人間も自分が今持っているカード(手札)を使って、今は生きて行くしかありません。

だからこそ他人の手札を羨む暇があれば、自分の持っている手札を最大限活用することに意識を向けた方が有意義です。


☆まとめ

ここまでのまとめです↓

①強い弱いは単純に比較出来るものではない

②逃げる基準を設けて逃げましょう

③社会的強者が幸せとか限らない

④他者との競争より、自身の記録を更新した方が良い

ここまで読んで頂きありがとうございました。

そんな優しい真面目な皆さんがより豊かになりますように☆またね!(*^^*)


この記事が参加している募集

スキしてみて

最近の学び

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?