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三浦佑之 『神話と歴史叙述 〔改訂版〕』 : 日本も 〈叙述〉によって産まれた

書評:三浦佑之『神話と歴史叙述〔改訂版〕』(講談社学術文庫)

『初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。』

一一ご存知、聖書は「ヨハネによる福音書」の冒頭部分である。

聖書の描く世界観では、この世界を最初に創った神は、まず「言葉」として登場する。そして、その言葉としての神が、具体的なかたち(肉)をもって私たちのこの地上に降り立った姿が、イエス・キリスト(救世主イエス)だということになっている。
つまりこの世界は、もともと「叙述」されることによって、ひとまとまりの「観念」としての「世界」を形成するのであり、どんな「世界」であろうと、「言葉」に乗らない、「叙述」されない世界というものは、存在しない。
だからこそ、政治的な有力者たちは、「創世神話」を「創造」し、それを自分たちの血筋と結びつけて権威付けすることで、ヘゲモニー(政治的主導権)を握ろうとするのである。

そして、わが国日本において、初めて本格的に「神話的な起源を備えた歴史」を創造しようとしたのが「ヤマト王権」であり、「日本書紀」であったと言えるだろう。

ところで、日本の創世神話とそれに連なる歴代天皇の歴史を描いた書物としては、まず「古事記」があり、すこし遅れて「日本書紀」がある。二つ、あるのだ。
伝承の整理の仕方や叙述形式に多少の違いはあるものの、素人目には、ほとんど同じ内容に見えるのだが、本書著者のような専門家は、それぞれの「叙述」の森に細かく分け入って、それぞれの「基本性格」の違いを掘り起こしていく。素人目には「だいたい同じようなもの」に過ぎなかった、やや退屈な両「文献」が、見事に腑分けされてゆき、その秘められた性格を露にしていく手際と過程は、じつに見事でスリリングですらある。

もちろん、「解釈」とは絶対的なものではないから、著者の意見が「最終的な解答」だということではない。
だが、先行研究への幅広い目配りとその真摯な研究の積重ねによって、説得的かつ面白い「読み」を提示して、「真相」に肉薄していく歴史研究の面白さというものを、存分に味わわせてくれるのだ。

本書は、『日本書紀』と『古事記』という二大歴史書の成立と歴史叙述の方法を考察した第一部と、「笑い」「イケニへ」「青人草」「坂」といった民族学的な題材を扱って「起源神話とは何か」という問題を論じた第二部の、二部構成となっており、内容的にもレパートリーに富んで、退屈させない研究書になっている。
お硬い印象のタイトルだが、歴史学だけではなく、民俗学に興味のある人にも、ぜひ手に取って欲しい好著である。

初出:2020年11月8日「Amazonレビュー」
  (2021年10月15日、管理者により削除)

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