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#22 台湾に残る日本帝国時代の史跡(神社編)
台湾にはじめて上陸。
残念ながら2泊3日、台北市のみの旅行になってしまいましたが、日本帝国統治時代の遺構に興味があり、日程的に無理のない範囲でまわりました。
はじめは神社についてみていこうと思います。
もちろん神社は日本社会固有の宗教的施設です。なぜそれが台湾にあるのかと言うと、下関条約発効からアジア太平洋戦争終結の約50年間の日帝統治期間に「日本人」たちがつくったからです。
台北市内で見
#30 ウィーンの夜の町並み
ウィーンの夜に町へ繰り出しその姿を眺めて周った。その様子を記録しておく。
ウィーンは夜でもクラクラするほど眩しかった。そしてどこでも音楽の香りがする。とてもステキなまち。
#29 ホーフブルクとベルヴェデーレ(ウィーン)
ハプスブルク家の王宮・離宮として建築され、現在まで残り続ける宮殿はウィーンに多いです。ウィーン滞在中に宮殿は3つまわりました。最初はシェーンブルン、次にホーフブルク、最後はべルヴェデーレです。今回はホーフブルクとべルヴェデーレの記録をつけたいと思います。
ホーフブルク ホーフブルクは建築されて以来、ハプスブルク家及び神聖ローマ帝国皇帝の王宮として利用されてきました。中は見学可能で、シシィ博物館
#28 ウィーンの教会
ウィーン旅行初日。シュテファン大聖堂とカールス教会に行きました。
シュテファン大聖堂はウィーンのカトリック教会のシンボルと言うべき存在で、かなりの人混みでした。塔がそびえ立ち、中も広くスケールの大きな教会です。初日に行ったので圧倒されました。
ちょうどニューイヤーということもあり、コンサート会場が特設されてました。会場をもの珍しそうに見ていると日本語で「こんにちは!ありがとう!」とデカい
#27 シェーンブルン宮殿
はじめてのウィーン。記念すべき最初の地はシェーンブルン宮殿。ナポレオンがヨーロッパを席巻したあと、戦後処理としてウィーン会議が開かれましたが、その舞台がここでした。
「会議は踊る。されど進まず」で有名ですね。
はじめ、ウィーン空港からウィーン中央駅に向かい、長い移動の休憩がてらカフェに寄りました。
しかし、ウィーン中央駅からシェーンブルン宮殿まで行くための電車の乗り方がわからず、右往左
#25 野柳地質公園
野柳は台湾北部の港町です。
英語表記だとYeliou、カタカナ表記だとイェーリュウが読み方です。地質公園というだけあって、世界的にも珍しい地質が多数見られます。とても面白いところだったので写真をたくさん残しました。
野柳といえばこれです。「クイーンズヘッド」と呼ばれる岩。これは砂岩が海蝕によって長い時間をかけて削られていった結果、首が細く髪を上に束ねた女王様のような形になったそう。
も
#24 台湾と日本の経済的・文化的結びつきについて
台湾企業の日本進出は話題性がありますよね。最近だと台湾の世界的な半導体メーカー「TSMC」が、熊本にやってきたことが話題になりました。また、少し古いですが、「鴻海精密工業」が「シャープ」を買収したことには衝撃を受けた人が多かったのではないでしょうか。もっと身近な存在だと「Gong chaha(ゴンチャ)」は東京のショッピングモールだったらどこでも出店しているような印象があります。上記の例は特に台
もっとみる#23 台北-植民地主義の爪痕-
周知のように日本帝国は1895年の下関条約から1945年のアジア太平洋戦争における敗戦まで約50年にわたり台湾を支配してきました。台北はその植民地行政の中心地でした。
今回は台北に限って植民地行政の跡地を見ていきます。
旧台湾総督府(現総統府) MRTの「西門站(駅)」を降りて徒歩5分ほどのところにあります。
台湾総督府は台湾植民地行政のまさに中心でした。この機関が様々な政策を企画立案及び
#21 桑の都・八王子の史跡
八王子は地方出身者の私でも名前を知っていた町です。
大学進学をきっかけに東京へ引っ越したのですが、八王子は何度も訪れました。
今回は八王子におけるいくつかの史跡について書きたいと思います。
八王子は江戸時代の街道や町割りを使い続けている。 八王子には甲州街道が通っていました。
いまでもこの道を進んでいけば日本橋に着きます。
JR中央線の前身である甲武鉄道(甲府〜新宿)はまさに甲州街
#20 秩父路-秩父で良い休日を-
土屋太鳳さんのCMでお馴染みの秩父。
CMをYouTubeで見たせいで行きたくなってしまいました。
まずは三峯神社。
三峯神社はかなり山深いところにありました。
西武秩父駅からは少し離れています。
御覧のように、高い木々が社殿を取り囲んでいます。
現地の展示によると、三峯神社の由緒は「景行天皇」にまでさかのぼるようです。なお、「景行天皇」については『日本書紀』や『古事記』に記載があり
#19 多摩ニュータウンの風景
多摩ニュータウンは多摩丘陵の山々を切り拓いてできた町を指しますが、高度経済成長期以降に住宅不足から開発が始まりました。
ジブリの『平成狸合戦ぽんぽこ』で描かれたように環境破壊の側面があったり、一方で『耳をすませば』のように、そこにノスタルジーを見出したりと様々な見方ができる地域です。
そんな多摩ニュータウンの風景をカメラにおさめました。
高幡不動周辺
多摩センター唐木田長池
南大沢
#18 尾道になぜか心を惹かれる
尾道にはなぜか心を惹かれます。
積極的に行きたいとは思っていなかったのですが、いざ行ってみると多くの人の心を掴む理由がなんとなくわかりました。
細道 まず、尾道は瀬戸内海の港町ですが、平地は少ないです。
なので、町の拡大にともなって山の斜面にも住居地が立ち並びます。
そして、このような光景をいたるところで見られます。
この町の斜面に縫うように張り巡らされた細道が魅力の一つだと
#17 大宰府の史跡
私の九州島初上陸は福岡からでした。
まずは博多でラーメンを食べてから太宰府天満宮へ向かいます!
太宰府駅に到着!
豪華な駅ですね!
参道を歩きます。
すでに雰囲気がいい!
雨でしたが、参拝客が大勢!
太宰府天満宮の本殿です。
ところで、天満宮とは天神様を祀る神社でしたよね。
東京から電車で行ったのですが、それでもかなり遠く感じました。
でも、菅原道真は
#16 冬の山形を巡る-雪に覆われた羽黒山と立石寺-
冬の山形。
ほとんどが白と黒の世界。
道路を車で走っても見えるのは空との境目がわからなくなる雪の壁ばかり
一種の不安を覚えさえしました。
そんな中、羽黒山に到着。
いざ山中へ。
お堂も雪に隠れそう!
木が高くなり、曇りのせいもあってか、まだお昼なのにかなり薄暗いです。
積もった雪も深く、道が見えないので常に不安感を抱きながら進みます。
しばらく進むと建造物が