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【短編】『三文の徳』

三文の徳


 私は常日頃頭を抱えながら小説を書いているのだが、時にこういう質問をされることがある。あなたはどこから話のネタを集めてくるのかと。そして私はこう答えるのだ。私はネタを集めたことはないが、タネを集めることはあると。すると、その者ははてなという顔をするので、私はこう続けるのだ。タネとは、辞書で調べると出てくるはずだが、植物が発芽するためのものであって、それ以外に仕掛けやからくりといった意味もある。私が言うタネの意味とは後者の方で、話の仕掛けやからくりを指している。まあ、これは質問に対して冗談を返したまでのことだが、根底を探ると共通する部分もなくはないのだ。

 もし仮にネタを探して話を書くとするならば、それではなかなか話がまとまらないのである。なぜかというと、そのネタというのはタネを逆さに呼んだ隠語であり、その言葉には文章の材料や、商いにおける商品、道具といった意味合いがあるが、実際に小説において文章の材料があったとしても、その食材をうまく味付けするための調味料がなくては咀嚼しごたえのある話にはまとまらないからだ。そして、このネタ集めというのはしばしばその材料と睨めっこしてしまうように仕向けられることが多く、調味料を使う前にせっかく揃えたものを腐らせてしまいがちなのだ。似たような話で言うならば、小説家にとってお題というのが薬であるようで、実際にはとても毒なのだ。

 ではネタを集めずにどう小説を書くのか。それはまず加熱することが重要である。ご存知のように食材を加熱すれば味は自ずと変化する。そして一度加熱を試みてみれば、気づくと話は円滑にまとまりやすくなっているのだ。その加熱というのが、人間の想像力あるいは妄想力である。先に述べた材料との睨めっことは、ネタ自体が人間の想像力を制限してしまっている状態のことである。ここで勘違いのないよう説明を加えておくと、加熱するには食材つまりネタ集めが必須ではないかと誰かが申されるが、ここで私の言うネタ集めとは食材を選ぶことである。しかし、小説を書く上で重要なのは、材料を選ぶ前にまず何も見ず手当たり次第一度加熱して香りを嗅いでみることなのだ。ここまで説明してもなお、それでは料理が不味くならないのかと訴える方がいらっしゃるので、最後に一つ付け加えておくと、そもそも私たち小説家は料理人ではないということだ。私たしは材料を選んで、それをうまく調理して完璧な料理を提供できるほど器用な生き物ではなく、そもそも扱っている材料自体も雛形通りに調理してうまくいく代物ではないのだ。私たちはむしろ、実験で何度も失敗を重ねてやっとのことで成果を出すことのできる科学者なのである。そしてその成果を出すために必要なのが実験精神なのだ。

 ネタなしに、想像力や妄想力を膨らませることのみで話をまとめる。これだけを読むと、なんて難易度の高いことだ、もうこれ以上煙に巻くのはやめてくれと思われるかもしれないが、まだ逃げ出すには早い。もう時期あなたの頭に絡まった紐がするすると解けるのでしばしの辛抱を。

 実際に私たちは日々想像力を駆使して生きていると言われて、あなたはそんなことないと言う。今すぐ話の仕掛けやからくりを考えることなんてできやしないと思われる。しかし人間はそれが可能なのだ。確かに即座に話を組み立てる能力を身につけるにはそれなりの鍛錬が必要かもしれないが、手っ取り早い方法が一つだけある。そして、それは私たちが日頃無意識に行っていることなのだ。そう、もうお分かりいただけただろうか。では、三文言はここまでにして皆様お休みなさい。そして三文の徳を。


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