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【短編】『計画』(後編)

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計画(後編)


 今度の紙切れには、前の時間より一時間遅く時刻が設定されていた。これを書いたのが以前と同じ人物だとするならば、協力者の他に脱獄を計画している者と、少なくとも二人の人物が関与していることは明白だった。つまり、グループ犯ということになる。私はすぐに所長にその紙を見せ、書いた人物の特定を急ぐことを助言した。

「いや、だめだ」

「なぜですか?これではまた脱獄を許してしまいますよ?」

「だからだ」

「どういうことですか?」

「脱獄を許すんだ。泳がせてから捕らえるんだ」

「なるほど」

所長の策略の意図は十分理解できた。協力者を特定する前にこの時刻に脱獄が行われると知っていれば、それに備えればいいだけのことだった。私は看守たちに警戒の指示を出し、捕獲作戦を伝えた。そして今度は決して撃つことのないように指示を出した。

 囚人への聞き込みから、私は脱獄する者があの若い組員であると踏んでいた。なぜそこまでして脱獄したいのか。刑期はあと20年ほどで済むのに、脱獄をして捕らえられれば刑期が伸びるだけだ。そこまでのリスクを負ってまで逃げられる算段がついているのか。と我々への侮辱を感じた。私はふと、老人から言われた言葉を思い出した。

「彼はそんなことをするような人間じゃない」

私は一瞬老人の意見をまとも受け止めては、ある疑問が頭に浮かんだ。なぜ彼は殺人を犯したのか。私はすぐに事務室へと向かい、再び若い組員の罪状を調べた。たしかに彼は殺人を犯して刑務所に入ったが、彼の動機にどこか引っかかるところがあった。彼が警察に対して残したのが、誰でもいいから殺したかったという供述だった。しかし本当にそれは真実なのだろうか。一端の組員がこうも後先考えずに暴走することがあるだろうか。暴力団絡みの事件であれば、上の者を庇うために下っ端が嘘の供述をつくことはよくあることだが、もし彼がその状況に立たされていたならば誰を庇おうとしたのか。と思慮を巡らせた。もし仮にこの事件が暴力団絡みではなく個人的な計画犯罪だったとしても彼が男を殺した動機が見つからなかった。パソコンで組員にまつわる記事を探っていると一つ妙な記事が検索欄に引っかかった。

殺された男の同居人、嘆き崩れる。「許さない」の一言

記事に載っていたのは殺された男と同居していた女が遺体現場の側で泣き崩れる姿だった。そしてその女の顔がどこか見覚えのある顔だったのだ。よく見ると所長の奥さんに似た顔であった。所長の奥さんとは、以前刑務所のお偉いさん方が集まるパーティーに参加した時に会ったことがあった。彼女はとても上品できれいなお方だったのを覚えている。その時、所長をよそにパーティーの隅で彼女と話をしていると、不意に手を胸元に伸ばしてきたかと思うと、ネクタイを外し始めたのだ。そして彼女自身の首に巻いては再び結び始め、大きな輪っかを作って私に手渡した。彼女はその後こう付け加えた。

「看守長さん、ネクタイの形がおかしかったので代わりに結んで差し上げましたわ。実はうちの主人も自分では結べないんですよ?」

私は突然の出来事に顔を赤らめてしまい、それ以降しばらくは所長と話すのが気まずくなってしまったほどだ。といった恥ずかしい記憶が一瞬にして私の脳裏に蘇った。当時は、なんて美人な奥さんを所長はもらったんだと少し嫉妬さえ覚えていた。しかし、その奥さんがなぜこの記事に載っているのかと不思議に思えた。しばらく記事を眺めていると、私は突然にして恐ろしくなった。もしかすると、実はその奥さんは今刑務所に収監さている若い組員と恋仲であったのではないかと直感的に思ったのだ。そして十分にその推論の辻褄を合わせることは可能だった。もしお互いが恋仲だったとするならば、若い組員の動機は成立するのだ。女と一緒になろうと二人で共謀して男を殺し、その罪を男が被った。すると、女は男が刑期を終えるのに待ちくたびれて所長に見初められ、結婚してしまったということになる。しかし、若い組員は今頃になってそれを知って無理にでも脱獄を試みようとしたということか。しかし、組長を置いて脱獄などできぬという忠誠心から先に組長を逃して自分も後から逃げようという策略だったに違いない。私は、次から次へと浮かぶ推論にまるで自分が刑事にでもなったかのように思え、危機感と自惚れとが一挙に重なり合った。

 いや違う。この脱獄にはもっと大きな裏があるに違いない。と再び自分の推測と記事とを照ら合わせて考えた。すると、信じられない事実が頭をかすめた。そして自ずと、先日の囚人の脱獄方法の手がかりをいくら探しても見つからなかった理由がわかった。この脱獄計画には所長が絡んでいたのだ。その辻褄を合わせるのは至って簡単だった。奥さんは所長と結婚したフリをすることで、うまく所長を利用し若い組員の脱獄を手助けしようと企んでいるのだ。そこで、奥さんは所長に全てを話したのだ。昔自分がしてしまったことを。それは殺人であり、その罪を恋仲だった男が被ったことだった。しかしすでに奥さんは所長と結婚しているため、自分のために刑期をまっとうしている若い組員のことを気の毒に思っているということを包み隠さず伝えたのだ。そして遂には、妻という特権を利用して所長に脱獄を手助けし男を見逃すことを頼んだのだ。先ほど所長が脱獄犯を泳がせろと言ったのはそういう意図があったに違いなかった。

 すると、さらなる不安が頭をよぎった。すでに主犯をあの若い組員と特定しているにもかかわらず自分の配下でその者の脱獄を許したとなると、再び私に責任が降りかかることは必須だった。所長の狙いはそれだったのだ。だからこそ私の管轄下にいる組長の脱獄を促し、私に協力者の捜索を任せたのだ。つまりは、今所長は、若い組員を逃がそうとしている真っ最中ということだ。私はその事実を知って背筋が凍りついた。パソコンを閉じると、時刻はすでに脱獄の決行間際となっており、若い組員のもとへと急いだ。私は若い組員の脱獄を阻止すべく、彼の独房へと向かった。間に合ってくれという強い思いのもと廊下を駆け抜け本館へと足を進める中、大きく警報音が鳴り始めた。脱獄が決行されたようだった。私は脱獄犯が逃げるであろう方向を推測して進路を変えた。もうすでに捕らえられた頃だろうと思いながら現場へと向かっていると、突然大きな発泡音が所内に響いた。刑務所の入り口あたりにたどり着くと、看守たちが何かを囲んで立ち尽くしているのがわかった。私は看守たちを押し除けてその対象を見ると、あの若い組員が目の前に横たわっていた。腑から垂れる血が全身を覆い、ゆっくりと八方へと広がっていく様子を見ながら私は状況の把握に苦しんだ。

「なんてことを。撃つなと言ったはずだ!」

看守たちは私の言葉に反応を見せることなく、ただ独房から逃げた一人の囚人を見つめていた。一週間で二度も囚人が死んだことは自分に落ち度があると認めざるを得なかった。仮にそれを免れる方法があったとしても、それは死体が口を開けばの話だった。私は自分に待ち受けている処罰がいかなるものであっても驚きはしないだろうと思った。

 その後、幸運にも所長から処罰を受けることはなかった。しかし代わりに私は嫌な光景を目にしてしまった。事件の数日後、いつものように看守長として看守への指示や囚人の管理を行なっている最中であった。射殺された組長、そして若い組員の遺体を火葬場へと運ぶために霊柩車が刑務所へとやってくると、その周りには大勢の組員たちが喪服を纏ってぞろぞろと現れたのだ。皆が慎みを持って組長の遺体を迎え入れる中、側には所長と奥さんの姿があった。組長の後ろから若い組員の遺体が運ばれてくるとすぐに奥さんは遺体に飛びついては声を荒げて泣き出した。所長は元の場所に立ったまま物言わぬ様子でじっとそれを見つめていた。


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