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拝啓 遅ればせながら

どうも西尾です。

週末ですが今日明日と雨です。

そして来週からは気温も上がり春の陽気が感じられそうです。

でも、雨は嫌ですね。


拝啓 遅ればせながら

3月も後半、もうすぐ4月になる。

街を歩けば桜が咲き始め。

別れと出会いが多い春の夜は儚い。

ラジオから聞こえてきた。

久しぶりに聞く曲だ。

3月にぴったりの曲だな。

アンジェラ・アキさんの「手紙 〜拝啓 十五の君へ〜」。

私も中学の卒業式の時に歌ったな。

何だろうな。

今聞くとすごく良い曲だ。

もう卒業して13年以上経つのに。

正直、中学生の時は何とも思っていなかった。

卒業式の記憶も既に空覚えだ。

朝、誰と登校したんだったかな。

おそらく、いつも一緒に登校していた近所の友人だと思う。

教室に着いた後のことも覚えていない。

体育館で形式的な卒業式をした。

悲しい、という気分は無かったと思う。

おそらく、腹痛で早くトイレに行きたくて堪らなかった記憶がある。

ああいう卒業式や入学式の類は昔から苦手だ。

緊張でお腹が痛くなる。

悲しいや嬉しいというより、早くトイレに行かせてくれ、早く式を終わらしてくれという気分だ。

式は来賓の方の長い祝辞に始まり、所々で入る歌の合唱。

周りの同級生を見てみると涙を流している人もいてたと思う。

その卒業式でこの曲も歌った。

でも、私の頭の中はトイレに行きたいことでいっぱいだった。

式が終わり教室へ戻る。

安心したのか不思議と腹痛が治る。

その後は担任の先生からの話を聞いて、最後の挨拶をして終わった。

最後に友達と喋って学校を後にする。

そして、帰宅する。

いつものように。

毎日登下校していた道を歩く。

あれから13年、毎日歩いていた道はもう長いこと歩いていない。

今はどうなっているだろうか。

そんなことを考えてしまう。

懐かしさが込み上げてくる。

途中にプラモデルやゲーム、駄菓子を売っているお店があったが、今でも営業しているのだろうか。

朝と午後の登下校の時間帯は学校へ向かう学生服やセーラー服姿の生徒で溢れていた。

今でもそうなのだろうか。

途中に電車の踏切があった。

年に数回、踏切が鳴って、遮断機の棒も降り切っているのに無理にでも渡ろうとする生徒がいた。

そのようなことが起こるのは、たいがい遅刻ギリギリでの時間帯であった。

そして、その度に緊急の全校集会が開かれる。

学校が終わり午後の下校時、雨降りの日には、傘を忘れて猛ダッシュで帰る人が必ず2、3人はいた。

あの人の顔は今でも覚えている。

雨の中を猛ダッシュで走る。

雨に打たれて痛いとか、前が見えないとかではなく、どこか気持ち良さそうな、嬉しそうな、何かが吹っ切れたかのように済々とした良い笑顔をしていた。

雨が主役ではなく、俺が主役だ。

雨は俺の引き立て役でしかない。

俺こそが物語の主人公だ。

とでも言わんばかりに。

制服も、鞄も、靴も、髪もビショビショであるのに。

当時流行っていた白いバッシュは水溜りに浸かって茶色く汚れている。

でも、それがその人にとって青春だったのかもしれない。

青春も人ぞれぞれだ。

近所の仲の良い友人と下校していた時のこと、年上の女子から声を掛けられたこともあった。

私たちが中学1年の時だったと思う。

少し不良っぽい感じの人だった。

制服も着崩して顔には化粧を、髪の毛は若干茶色っぽくも見えた。

タメ口で部活は何部かと聞かれた。

すぐに部活の名前を答えて、その場を後にした。

一緒に歩いていた友人からは感謝された。

俺だったら答えられずにその場で硬直してしまう、とのことだった。

なんだろう。

こういうことは記憶に残っている。

中学生くらいの時期なんて、どこの学校にも不良の少年少女はいてる。

寧ろそれが普通かもしれない。

反抗期の真っ只中で訳の分からない校則という名のルールに縛られるのだから。

ルールが悪いという訳では無いけれど、子供からしたら、一方的に大人から押し付けられるのが嫌だったのかもしれない。

生徒も先生も保護者も、なんなら地域の人も混ざって校則を決めてみるのが良いんじゃないかと思う。

大人になった今ではそんなふうに思う。

久しぶりに聞いた曲で中学時代のことを思い出した。

大切な事というより、どうでもいいような事ばかり覚えていた。

「手紙 〜拝啓 十五の君へ〜」

おそらく、大人になった今だからこそもう一度聞いてみるのが良いのだろう。

今、歌詞を読み返すとあの時の自分とやりとりをしている気分になる。

本当は15歳のあの時に歌詞の意味を噛み締めれば良かったのだが、私は今になって歌詞の意味を認識した。

遅ればせながら。

そう思うとこの曲は本当は大人に向けて書いた曲じゃないだろうか。

大人に向けてというより、今は大人でも、当時は子どもだった全ての人に向けて書かれているのかもしれない。

サン=テグジュペリの『星の王子さま』と一緒だ。

大きくなってからの方が意味がよくわかる。

だから、卒業する中学生が歌うのでは無くて、卒業生を送り出す学校の先生や保護者、来賓の方々が歌ってみてはいかがだろうと思う。

ああ。

何だかしんみりとした気分になってしまった。

もし私が今中学時代に戻るなら何を歌うだろう。

何だったら歌えるだろうか。

卒業ソングランキングじゃないけど。

でも、やはり「手紙 〜拝啓 十五の君へ〜」かもしれない。

あの時に歌ったからこそ、今改めて聞いてみて気付くことがある。

あの時は分からないけど、今なら分かる。

ありがとう。

遅ればせながら、分かりましたよ。

                                敬具



以上になります。

お読みいただきありがとうございました。



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