見出し画像

Play the game (2021年の総括)

年末に1年を振り返るたびに「あっという間だった」との所感を述べてきたけれど、今年もまた、いつの間にか大晦日を迎えている。
 
今年の読書量は226冊にとどまり、月平均18冊だから少なくはないんだろうけど、来年はもう少しインプットを増やしたいところ。
そして、毎月の総括をnoteにまとめるつもりでいたのに、途中で止まってしまった。
思うに、自分の中で思考をまとめて、醸成させた上でそれをアウトプットするだけの時間とこころの余裕がきわめて少なくなってしまった1年だったような気がする。
 
さて、仕事の上では、度重なる緊急事態宣言で仕事が滞ったり、計画通りにことが運ばないことは幾つもあったのだけれども、そんな中、愚息が中学受験を無事済ませて、第一志望の学校に入ってくれたのは本当に良かった。
父親としては自分と同じ学校に進んでほしかったけれど、本人にやりたいことがあってその為には別の学校が良いというので、小学6年生にしてそこまで肚が固まっているのならば応援するよりほかなく、中学受験なる、一種異様な世界から無事生還してきた愚息を褒めたいと思う。
 
異様といえば、多くの会場で観客を入れずに開催した東京オリンピック・パラリンピックは前例のないことだらけではあっても、開催にこぎつけられたのは良かったと思う。
 
少し昔のイギリスでは、計画停電が行われる際には町内放送で«Play the game»というフレーズが流れたのだという。すなわち、全員で同じルールを守って歩もうという意味で、このように形容するのだとか。
 
今年、五輪ではコロナによる例年にない制限、制約が多くある中でも、選手たちも国民も見事に«Play the game»した、そしてその果実として我が国は、世界でも稀に見るコロナ感染の減少を得られた、のではあるまいか。
 
オリンピックについては、昨年の開催延期から1年の猶予があったにも関わらず、開閉会式の演出をはじめとする制作や事務手続きなどをめぐって不透明な経緯があったと仄聞する。
これは、我が国を長らく覆ってきた、年上でその世界に長くいるというだけの理由でその人が偉くて発言権があるとされる、様々な組織にはびこる一種病的な構造に限界がある、有り体に言えば表現者の能力や技量とは全く関係のない尺度で勝手に序列を決められて、その上位にのさばる、有能からは程遠いオッサン・オバハン連中こそが、我が国を長く停滞させてきたんだということを多くの国民が目撃し、少なくともそこに«Play the game»がなかったことが明白になったという意味でも、うやむやに開催中止にしなかった意義はあったのではないかと僕は感じている。
 
どんな科学的根拠があってか、
「オリ・パラを東京で«強行»開催すると日本が新変異株の発信源になって世界中にばらまくことになるぞー!」
と、しきりに叫んでいた人たちのご期待(?)に反して、秋になって日本の新規感染者は激減した。
 
その感染減少の頃に海外渡航から帰国した人の中には
「私はPCR検査も陰性でワクチンは2回打っているのに自主隔離させられるのはおかしい」
とか、ちょうどオミクロン株が出来して、自宅ではなくホテルでの隔離になった人の中には
「囚人並みの扱いを受けた」
とSNSで叫んだり(その方は禁錮以上の刑罰を受けた経験があるんだろうか?)、本来無関係のはずの航空会社に
「この私をわざわざ隔離するくらいなら旅客便を飛ばすな」
云々クレイムを入れた事例もあったと聞く。
 
同じアジアの島国であるシンガポールや台湾は日本よりずっと厳しい、事実上の入国禁止措置を取っていて、入国を許可されても3週間の強制隔離が義務付けられている事実に鑑みれば、我が国の施策はむしろ随分と甘くて緩いのではないかと僕は思ってしまうのだけれども、仮に入国時点で自覚がなくても、未知なるウィルスを媒介するのが人間自身である以上、本当にウィルスの保持者でないかどうかを確認する手立ては、隔離のほかに何があるというのだろう。
 
自分がいつ加害者になってしまうかも知れない、という自覚と自戒があれば、不便をかこつことがあっても«Play the game»に賛同するものだろうし、反対に、私だけは特別扱いしなさいよと威張って身の回りに起こることを何が何でも他責にしてみせても、自分の意見、自分の主張を発露なさることはご自由だしご立派なことなのかも知れないが、それは«Play the game»のフェアーな精神からは程遠い、単なる我がまま、思い上がり、ルール違反でしかありはしまい。
 
こんな風に、人間の真贋は思いのほか簡単に割れてしまうものだなと感じることが多かった一方、今年もまた、真贋の真の部分もまた多く感じられたのも事実で、実際に会えなくても友達は友達だし、お互いにせわしない中でも時間を割いて会ってくれたり、話を聞いてくれたりした人たちが周囲にいたことに感謝しないわけにゆかない。本当にありがとう。
 
今年は、中学・高校を通じて僕にフランス語を叩き込んでくれた恩師の一人が他界され、時節柄、ご家族での密葬を済まされたあとで報せを受けたので、お別れを申し上げることもできなかった。
 
亡師の口癖は、
「継続は力なりだ」
「英語もサボるな」
だったけれども、とりわけ後者は、在学中にシカトし続けた結果、社会人になった最初の日から現在に至るまで苦労し続ける羽目になり、人の言うこと、とりわけ、自分にない経験を持った人の発する言葉はそれなりに重く受け止めるべきだということを、今更ながらに思い起こされもした。

年上だから偉いんじゃない。
底しれない知識と知性と愛情を、他者に向けられるから、それを続けられるから偉いんだ。

時々刻々変わってゆく世界で、2022年はどんな«Play the game»をすることになるのか………
 
来年も、皆さまとずっと仲良くできますように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?