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仮)2_メンタルヘルスにおける利用者側の視点

仮)1_の続き

加えて個人的にじじが感じるのは、"自分が感じる心地よさ"の感覚も人が生きる上で大事なように思う。頭だけで考えるのではなく、五感や感覚的なものとして、自分が心地よさを得ている瞬間は、自律神経系が安定化しており、その瞬間は"今"を生きているからだ。過去の無意識下に眠る小さなトラウマと、日常生活で起こる些細なネガティブ出来事がリンクしてしまうと、神経系は不安定になる。ネガティブな思考や感情になってしまう。それは"今"を生きていると言うより、過去の小さなトラウマに引っ張られている状態だ。怒り、不安、悲しみ、イライラ等の症状として"今"に表出する。

これがほんとに心地よくない。

こんなときにアディクション(薬物、ギャンブル、お酒など)をしてしまう人は、その行為のときは心地よさがあるから。本人にとって安心安全感があるから、頭でやめた方が良いと分かってても、感覚が心地よくてやめられない。(依存度を増すようなシステムが形成されいることも助長しているのかも)

話が逸れてしまったが、できる限り健全で身近になもので、心地よさを得られるものや習慣を取り入れることは、神経系の安定化にとって良い影響をもたらすと考える。

もちろん無意識下に眠る過去の小さなトラウマたちを処理することが、個人的には一番有効性を感じたのだが、日本ではまだ浸透していない。。


利用者側のあり方について

メンタルヘルス不調に関しては、精神医療や心理等の現場で、"事実"や"正解"を知ることは難しいように感じる。本当にその診断で合っているのかどうか、本当にそのカウンセリングや対応で改善するのかどうか、効果があるのかどうか等。事実は誰も分かり得ないのでは?と思うシーンがあった。
医師の判断すら、医師により異なる。支援者の対応やアプローチも様々。

なので、何が事実で何が正解かは追求しなくて良いのかもしれないと思えてきた。信じるのは、自分にとって何がプラスになったか。または何がプラスになり得そうかで判断して良いのでは?と思う。

支援者側は自分軸や主観から少し離れた視点を持つことが求められるが、そうでない人は、自分が心地よいと感じたり、違和感を得たり、そう言った自分の感覚で選択や判断をして、合うものを試していく事をオススメしたい。輝かしい経歴の先生や有名な病院が必ずしも、自分にとってプラスになるとは限らない。

余談

私は病院や施設で行わているアプローチや対応よりも、海外でも扱われているような身体感覚からアプローチするセラピーや、理論が馴染みやすく、実際に有効性を感じ、変容が難しいと言われている思考のパターンにも効果があったので、それを深めたいと考えるようになった。

日本でも"誰でも気軽に行ける身近なスポット"として根付いたら理想だ。メンタルヘルス不調に悩む人にとって、お試しできる材料(社会資源)の選択肢が増えればいいなと思う。

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