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テレビがつまらなくなった件 セクハラの容認、拡散

■ショーケンのつぶやき

▼ショーケンこと俳優の萩原健一氏が亡くなる少し前、具体的には2019年1月のことだ。

すでに癌(がん)の手術はできない状態になっていた。夫婦で沖縄を訪れた際、萩原氏はホテルのソファに横になってテレビを見ながら「テレビの番組ってのはつまんねえなあ」「何見ても」「どうなったんだよこれ。つまんねえの、どこ(どのチャンネルを)見ても」と、呆(あき)れ笑顔になったり、マジメな顔になったりしながら口にしている映像が、NHKの「クローズアップ現代」で流れていた。

■松本人志氏の「枕営業」発言

▼テレビがつまらなくなった理由の一つは、「タレント」と呼ばれる芸人や芸能人が、「ウケるか、ウケないか」を基準にして、さまざまなニュースにコメントを垂れ流すようになったからだ、とこれまでも何度か書いてきた。

2019年の1月に、この基準をテレビで明言した人がいる。芸人の松本人志氏だ。

きっかけは、NGT48というアイドルグループのメンバーが暴行された事件である。この事件については下記の二つのメモが参考になると思う。

▼松本氏の発言については、2019年1月22日付の東京新聞と、1月24日付の毎日新聞がくわしく取り上げていた。毎日新聞の見出しは

〈テレビ局 チェックなし/事前収録セクハラ発言 放送〉

〈松本さん「お得意のからだ使って」〉

〈指原さん「何言ってるんですか?」〉

▼リード文から。適宜改行。

〈芸能人が時事問題を語る13日のフジテレビ系「ワイドナショー」で松本人志さん(55)が指原莉乃さん(26)に「お得意のからだを使って何とかすれば」と発言し、「常軌を逸したセクハラ」と批判を浴びている。松本さんは20日の同番組で「堅苦しくしゃべらなあかん世の中か」とぼやき、発言撤回も謝罪もなし。発言をカットせずに放送した局の姿勢が疑問視されている。【宇田川はるか】〉

要するに松本氏は指原氏に対して、NGT暴行事件について「お前が枕営業で解決したらいい」と言ったのだ。これは「セクハラ」という言葉よりも、「言葉による性暴力」という表現のほうが合っていると思う。

〈番組は事前収録で問題部分をカットすることもできたが、松本さんは20日の番組冒頭で「この番組はできるだけ僕の発言をカットせずに使っていきたいという暗黙の了解がある」と説明。

俺が『カットして』と言ったらカットされる。なんで言わなかったのか。鬼のようにすべってたから」と笑いを誘い、「炎上はこの先もしていく」と語った。〉

この発言のすこし詳しい文字起こしが記事の横に載っていた。「この番組はできるだけ僕の発言をカットせずに使っていきたいという暗黙の了解がある。俺が『カットして』と言ったらカットされる。じゃあなんで言わなかったのか。鬼のようにすべってたからだ。すべったら恥ずかしくて言えない」というものだ。

■「すべったからセクハラ発言を流した」という論理

▼要するに、「すべったら恥ずかしくて(カットしてくれと)言えない」という松本氏の感情が、フジテレビがセクハラ発言を放映した理由だということだ。

この発言を知って筆者は、「笑い」の論理が「報道」の論理を蹂躙(じゅうりん)していると感じた。

〈ワイドナショーでの彼の発言が批判されたのは初めてではない。前財務事務次官の女性記者セクハラ問題では「私としてはセクハラ6、パワハラ3、ハニトラ(色仕掛け)1でどうか」と語った(2018年4月22日放送)。〉

▼これらの発言をみるかぎり、民放は目も当てられない惨状になっていると感じる。芸能文化評論家の比留間正明氏は「時事問題にタレントの感想を使う番組が増え、社会正義も笑いも一緒くたに扱っている。タレント依存主義だ。松本さんのようなベテランで力が強いタレントにひれ伏している」とコメントしている。そのとおりだと思う。

▼最大の問題は、毎日新聞の見出しのとおり、事前収録なのに〈テレビ局 チェックなし〉という点だろう。フジテレビは公共の電波を使ってセクハラを容認し、拡散する役割を果たしたといえる。

■フジテレビと松本氏の力学

▼なぜ松本氏とフジテレビとの間には、松本氏の言うところの「暗黙の了解」ができあがっているのか。東京新聞の記事にそのヒントが書いてあった。見出しは〈根底にフジとの力関係?/過去の打ち切り 局「苦い経験」〉。以下は、コラムニストの小田嶋隆氏による解説だ。榊原崇仁記者。

〈「フジと松本さんの力学を考えれば、番組側は怖くて発言をカットできないだろう」と話し、フジ側の「苦い経験」を指摘する。

 同局はかつて、松本さんと浜田雅功さんのお笑いコンビ「ダウンタウン」がコントなどを披露する番組「ダウンタウンのごっつええ感じ」を放送し、高視聴率を稼ぎ出してきた。

ところが、1997年9月、同番組のスペシャル版が予定されていた日、その番組枠がリーグ優勝を懸けたプロ野球の生中継に急きょ変更され、スペシャル版の放送は一週間延期となった。

これに対し、松本さんが「番組に対するボルテージが下がり、百パーセント意欲的に取り組めない」と反発し、同年11月で突如、打ち切りとなった。

 松本さんはその後もフジの他番組には出演してきたが、「各番組のスタッフは相当、気を使ってきたのではないか」と小田嶋さんは語る。〉

▼この話を通して浮かんでくるイメージは、使い古された言葉だが、撮影現場は「視聴率至上主義」が支配している、というものだ。当時、フジテレビは視聴率を稼ぐために、ダウンタウンよりも一日限りのプロ野球のリーグ優勝決定戦を選んだ。しかし、大物芸人が機嫌を損ねると、常に自局に出演してくれる大物芸人たちのご機嫌取りが重要になる。

もちろんそれだけが原因ではないが、結果的に、日本社会にとって大切な時事ニュースに対する批判や論評について、「ウケるか、すべってしまうか」という判断基準がテレビ各局に蔓延(まんえん)してしまっているわけだ。

それは芸人を使っている時点で避けられない構造だ。しかし、たとえばアメリカで、痛烈な政治批判をかまして爆笑をとるタレントたちのトークショーを見てみれば、日本社会でいま起きていることは避けられない現象だとは決していえないだろう。

▼いつが転換点だったのだろう。筆者の脳裡にパッと思い浮かんだのは、2008年、「筑紫哲也 NEWS23」の終了だが、これももちろん、もっと複雑な社会の変容があるのだろう。

この「テレビとニュース」というテーマでは、逢坂巌氏の力作『日本政治とメディア テレビの登場からネット時代まで 』(中公新書、2014年)が参考になる。

▼テレビが今のようなかたちで時事ニュースを「消費」し続ける構造は、日本社会にとってリスクが高すぎると思う。

(2019年4月6日)

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