気づいたときにはがんじがらめ

2020/02/09スマホPCメモ 思ったことの羅列です。

あとであとでと先延ばしにしているといつか逃げられなくなる。今の状態で新卒一回採用を利用すれば、国立4年制大学卒でうまくいけば1年の留学経験済みとなるから、大手の正規雇用総合職獲得の可能性は大いにあるし、嫌なことには蓋をして一度くらいその恩恵を受けておこう、数年働いた後に次のステップに移行しよう、なんて思ったりするけど、今の時点で、今まで積み上げた学歴や経験を王道手段で使わないのはもったいないという考えが自分の中で存在しているが故に、そう思うわけで、ってことは、入社した数年後にはさらに積み上げたものが増えていて、これまた捨てきれなくなるわけで、そんなこんなで気づいたころには逃げられないほどのがんじがらめ状態になってるんだろな。見切りをつけるならはやくだぞい!

社会容認の関門というものがあるとすれば、「LGBTとかそういった人も受け入れていかないとねぇ~」っていう発言、門を開けるスイッチを押すための椅子にふんぞり返っている知らないうちに門をスルーしていたマジョリティの圧倒的強者発言で、無意識に自分をスイッチを開ける側に置いているのがもうなんのなんの

受け入れるって言葉自体が、無意識に自分をマジョリティの力ある側にカテゴライズしてるからこそ出てくる言葉で気持ち悪い

料理を待つ妹、作る兄。食べるのが好きな女、作るのが好きな男。甘えられたい彼女、あまえたい彼氏。ビールを好む女、カクテルを好む男。こういった広告って、性別役割規範への意義の唱えというよりも、炎上回避のための策略にしか見れなかったりする個人的に。

ジェンダー学者が大衆の無知さを指摘して間違っていると主張することって割と多くTwitterで見かける気がするけど、ジェンダー学者に限らず、アカデミアと大衆って交わらないことが多く、ジェンダーの問題は身近だからこそに、知識人でなくとも誰でも意見しやすく、その分その学者と一般人の乖離数が多く、よってよく目にするのかなぁ(全然知らんけど)

やたらと海外、特に西欧を持ち上げての日本オワコン批判とか、逆に日本への強い愛国発言とか、結局全部全部自分の国は特別発言ってのものに括れるよね。みんな特別視しちゃうんだよ自分たちのことを。そりゃそうだ。

最近メモ量少なくて、きっと思考量が少ないからなんだろうけど、ふと歩いてる時に何か思いつくとかあんまりないんだよな、インプットが少ないんかな。とも思ったけど、最近ある友達と一緒にいることが多く、わざわざメモらなくても、会話で自然と外に流して消化できているからなんじゃないかとも思った。

以前渋谷のスタバで友達と2人でいるときに、さらに違う友達に電話を掛けたことがあって、割と店内うるさかったから、電話相手にも聞こえるように私の友達の声が大きめだったんだろうけど、隣の席に座っていた熟年夫婦が、「こいつら何してるんだ」だの「うるさい」だの「出ていけ」だの、わざと聞こえるように言ってくるもんだから、彼らが帰った後に前に座っている友達に、「わざわざあの年になってあんなこと言ってくる人いるんだねびっくり」と告げたら、「え?なんか言ってたの?全く気付かなかった」と言われて、近距離にいても他人のことが気にならにくらいの鈍化さを私は持ち得てないからこそ、あえて人と距離をとりたがるんだろうな自分と思った。

みんな、結局自分たちの世代だけじゃどうすることもできないから、責任逃れのために次の世代を生み出して、横流しにしてるだけだよ

一日電車に張り込んで時間帯別、年齢別、性別別にスマホ触ってる割合調べてみたら面白そう。今となっては誰も30年前は電車で人々が何してたんかどんくらいの人が本読んでたんか、新聞読んでたんか、わからんから、2020年版の記録残したい。まぁそもそも移動手段自体に大きな変化が起こるかもしれない、そもそも自分は移動しなくなるかもしれないけど。

HIV抗体検査の結果を載せた写真がTwitterではセンシティブ写真に区分されててちょっとびっくりした

私なんぞにご支援いただける方がこの地球上におりましたら、もう控えめに言ってあげみざわエクスプローションします。