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究極のミニマリスト、ピダハン ~神も儀式ももたない民族~

(画像参照元:Una antropóloga en la luna: blog de antropología.: Los Pirahã de lengua extraña y el misionero que se hizo ateo.)


ピダハンという、アマゾンの奥地に住む300人ほどの少数民族の話。

前回から微妙に続いてるので、生真面目な方はこちらを先に読むことをおすすめします。


ピダハンは、あんまり寝ない。気が向いた時にうたた寝をする。

「あんまり寝るなよ、蛇が来るから」が、別れのあいさつで、日本語で「ぐっすり寝なね」「おやすみ」というべきところで真逆の事を言う。が、「気を付けてね」とおなじ意味だと思えば納得もいく。

ピダハンは、あんまり食べない。1日中何も食べなくてもへっちゃらで、しかし目の前に食べ物があればそれがなくなるまで食べ続ける。保存食の塩漬け肉を作る技術はあるのに、作らない。

夜中の3時だろうと気が向けば突然狩りに出て、獲物をしとめた父親が帰ってきたら家族は起きだしてすぐに食べる。朝食、昼食、夕食という概念がない。

ピダハンは先のことを考えない。耐久性のあるかごを作る技術があるのに、使い捨てのかごしか作らない。ブラジル人がくれた大事な農耕具を、交易商とすぐ交換して酒や食料にしてしまう。でもその分、今の味が濃い。

ピダハンは結婚式をしない。男女が一緒に住み始めたらなんとなく夫婦扱いされ、配偶者が数日家を空けてよその男/女とジャングルに消え、帰って来た時にその相手と住みだしたら、それが別れ。

ピダハンは葬式もしない。ただ埋めるだけ。

ピダハンは一切の儀式をしない。ただ、たまに、三日三晩、食べず、酒を飲んで踊りまくりセックスをしまくる。

ピダハン語には、神という語が存在しない。ピダハンは神を信じない。なぜなら、目に見えるものしか信じないから。

ピダハン語で血族に関する言葉はたったの4つしかない。親、同胞、息子、娘。目に見えないものを信じないピダハンは、見たことのある祖父と祖母以上の血縁をさかのぼらない。

というわけで、ピダハンには民族の起源神話は無い。

ピダハンは、語り手が直接見聞きした話以外聞こうとしない。宣教師が直接見たことの無いイエスの話をしても、聞く耳をもたない。

ピダハンは知らない人のうわさ話をしない。

ピダハンは、もてない未来をもとうとしない。ただ、この、この手の平で一瞬握ることのできる「今」「ここ」を生きる。ピダハンは神も過去も未来も噂話も儀式も保存食も時間割も血筋語りも創世神話ももたない。

アマゾンの奥地に、文明の影響をほとんど受けずに生き残っている少数民族がいると聞きつけて訪れた学者たちにとって、ピダハンははなはだ肩透かしな存在だが、次のことが彼らをさらに驚かせた。

ピダハンは、数と色をあらわす語をもたない。今、ここ、で目に見えるものを抽象化する言葉は、極力使わない。

明日に備えないピダハンは、明日を憂えることもしない。紙とか未来とか明日とか、けして存在しない抽象概念に「今」を食わせることはしない。

よって、ピダハンは自殺をしない。宣教師の継母が自殺したことがきっかけで、信仰の道に入ったという話を聞いたピダハンは爆笑した。「自分で自分を殺すだって? ありえない。ピダハンは自分で自分を殺すことはしない」

ピダハンは神も過去も未来も噂話も儀式も保存食も時間割も血筋語りも創世神話ももたない。

でも、ピダハンには、音楽がある。

音程や音の長さに豊かなバリエーションのあるピダハン語は、なんと、母音と子音を捨ててハミングだけでも意思疎通できる。

ちなみに子音は3つしかない。

ものをもたない、過去や未来ももたない、今の濃さだけを追求するピダハンが、耳から耳を通って後には何も残らない音楽の民であることは、学者たちの腑に落ちるところだった。ちなみにピダハンは音楽以外の芸術はほとんど作らない。

私は日本人だから、見たことの無い作者が書いた、見たことの無いピダハンについて書かれた本を読んで、ピダハンに憧れている。



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