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ヤンバルの村言葉(しまくとぅば)でも語れない沖縄戦の記憶 ――目取真俊の最新短編集『魂魄(こんぱく)の道』を読む
待望の新作短編集である。二〇一四年三月から二〇二二年五月までに商業誌に載った短編五つが収録されている。どれひとつを取ってみても、何度も推敲を繰り返したことがうかがわれる、エドガー・アラン・ポーの心理ミステリーばりの無駄のないハイブリッド(日本語と沖縄語)の文章で描かれた目取真ワールドが展開する。
共通するテーマは、沖縄戦の記憶だ。
北部ヤンバルの少年少女がかつて経験した沖縄戦を、目取真俊はどの
"Aunque ahora se desconoce"
"Aunque ahora se desconoce" por Yoshiaki Koshiakawa, awo ni Orunmila Ifá Ashé
“Aunque ahora se desconoce, es parte de lo que sabremos a partir de ahora” es una de las máximas que aparece en la adivin
幹が曲がって生まれた木
「幹が曲がって生まれた木、それを真っ直ぐにすることはできない」とは、アフロキューバの占いの中に出てくることわざである。
日本語でも「なくて七癖」ということわざがある。どんな人でも「癖」はある。人それぞれに「癖」はちがう。それは他人がどうこういって変えられるものではない。
だから、この運勢(ことわざ)が出たら、わたしは他人や自分の「癖」を変えようなどと思ってはいけない、と伝えるだろう。
あると
「いま未知のことでも」
「いま未知のことでも、これから知ることの一部」とは、アフロキューバ信仰の占いに出てくる格言の一つだ。
いまはわからないことでも、いずれはわかるようになるという、占いの神・オルーラのお告げである。わたしは、この格言を含む運勢が出てくれることを願っている。
すでに前回に書いたが、2000年の初めに、わたしはロサンジェルスのエコパーク地区のセルヒオのアトリエを訪れていた。
だいたい夕方から夜にかけ
「見ているだけでは」
「見ているだけでは、鳥は殺せない」とは、アフロキューバの占いの中に出てくる格言だ。
じっと見ているだけでは鳥(獲物)は捕まえられない。矢を放つとか罠を仕掛けるとか、なんらかの行動を起こす必要がある。
いま、懸案(けんあん)事項になっているプロジェクトがあり、皆であれこれ意見を交わしたり、メリットやデメリットをめぐって議論を重ねているとしよう。
あるいは、あなたが恋愛中の相手と結婚するかどうか
「吠える犬は噛まない」
「吠える犬は噛まない」とは、アフロキューバ信仰の占いにでてくる格言である。
吠える犬は、怖いが、実際には人間を噛んだりしない。本当に怖いのは、吠えずにいきなり襲ってくる犬のほうだ。
人間だって、同じかもしれない。うるさいと思うかもしれないが、あれこれ忠告してくれる人が、案外、あなたのことを思ってくれていることだってある。
あるとき、キューバの東部の町サンティアゴで、私の守護霊のためのベンベを
「倒れている樹は」(2)
前回、「倒れている木は道端の占い師」という、アフロキューバ宗教の格言について触れたが、今回はその続きである。
1917年にジョゼフ・ロックという生物学者によってインドネシアのモロッカ諸島からカウアイ島に植えられたアルビジアという木が、嵐や風などで簡単に倒れて、ハワイ諸島の民家や自治体に甚大な被害をもらしている。
前回はそういう話をした。確かに、人間から見ると、厄介な木である。
だが、物事を人