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自分だけ仲間外れになったとき-人間関係における永遠の課題-


誰しも人間関係のつまずきや悲しみは一定以上に存在する。
多かれ少なかれ強弱がどうであれ人は経験する。

そこにどう解決して、どう乗り越えて、どう対処して、何を学び、何を得たのか・・・etc.

でも、それってとても正直難しい。

人間関係が落ち着くまでは、いくつもの段階があって、そこに辿り着くまでは苦難の連続になる。自分がどの段階かなんて見極めるのは難しいし、気が合う人や不快な思いをさせない人に出会うまでには、長い長い道のりを超えていかなくてはならない。

そもそも不快なことをしないひとはいないから、そこをお互いに調整できる人というのが正確かもしれない。そして、自分をちゃんと認識してくれているかというものあるが、これはこれで難しい。

結局は、お互いにメリットがあるという「複雑な問題」を常に共有し、提示し続けなくてはならない。

厄介なのは、メリット自体が大きな大きなスペクトラムであり、場面場面や時間などで大きく変化することである。だから、自分がコントロールできないことも多分に含まれているため「努力を続ける」というシンプルでいやらしいものしか解決の糸口はないのである。

今更になって、人間関係の中の「仲間外れ」について記載しようと思ったのかには、僕の最近の失敗とそれについて得た結果と今後の対策を忘れないために備忘録として残したいからである。


ー出来事ー


この問題が起きる前の自分は
人間関係に組み込まれないことにずっと悩んでいた。

友達という存在がいないということに。もちろんそれは大きな間違いで、厳密には大切にしてくれる友達も親友もいた。

しかし、それは「僕のことが心配過ぎて」の名目が少し強くあるのかなと思い、僕の力で作れる友達やそれ以上の関係がいないことに不完全感があった。もっと説明を加えないといけないところなんだけれど、ここは割愛する。

しかしそんな出来事を境に、少しずつだけど状況が変わってきた。

最大の出来事は「30歳」という節目を超えたこと。

もう後には引けないし、頑張らないいけないこと、大切にしなければならないことに気が付いたところにある。

少ないお金の中で、最大のコスパを考えて、一番よいものを探し出して自己投資を始めた。自分からさらに積極的に行動するということを増やした。

成功したかは分からないけれど、とにかくできることを始めた。

その途中で自分となんとなく波長の合う人に出会った。自分と近しい特性を持っているし、そこまで顔の広くない、そして少し強気な二人に出会った。

それぞれ別々で出会い、二人を引き合わせ、仲良くなった。自分はもっと頑張って色々な関係性を構築して、二人を新しい友達と引き合わせ、イベントに連れていった。

僕自身、その当時は「純粋に彼らにも友達が増えてほしい」という気持ちが強かった。

多くの場所に誘ううちに、純粋な気持ちが変わっていたことも正直な気持ちとしてはある。「僕にも紹介してほしいな」という気持ちが。

今となれば、機会や出会いの数が少なかったかただけで“僕と似ていた”というわけではなかった。だって普通に友達いただろうし、愛してくれる人もいたし、学校もいけていて、家族中も良好であったし。

ただ、そういう場所へ先導してくれる人がいなかっただけで、僕とは全くもって違っていた。

だから、遅かれ早かれ僕という存在はハブかれる運命だったんだろう。
そして、自分が繋いで集団内で適応すれば、僕は彼らからも集団からもないものにされる。

結果として、自分だけ全ての情報がなく、別の人の情報から彼らが僕の抜きでより適応している状況を見せつけれることになる(つまりイベントに自分だけ誘われていなかった)。

僕はそこで、彼らとイベントの発起人にたちに、事の顛末についての回答を求めてしまった。言い訳になるが、関係性があった、仲良かった人に外される経験が初めてで(それはそもそもいれてもらえなかったから)自分が継いだ彼らが自分を抜きにして何も思わなかったということが悲しくて仕方なかったのだ。

結果的に、一人は「そういうことを求められたから関わりたくない。君が繋いでくれたことにはまあ感謝するけど、この関係性をフルに活用させてもらう、そして君はもういない」と言われてしまい、もう一人からは連絡さえなかった(この人が発起人の一人であったからという理由もある。)。

ー自分だけが傷つくことになってもー


この場合、どんなに自分という存在がいなくても、自分だけが誘われていなくても何事もないようにするべきであった。ただ、巣立っていたと自分は苦しくても席を立てばよかったのである。

それができなかった。仲良くしていたと勘違いしたから。僕はそれができなかった。だからきっと今頃裏では悪口のオンパレードだと思うし、

「やっぱり外して正解、でもいい思いさせてくれてからそこで感謝wwwwww」ぐらいになっているだろう。

大人の人間関係の基本は、自分という存在がなくなった、自分という存在だけがないものにされ始めたら「とにかく知らない間に、自分から消える」というところに正解があるらしい。

自分だけの中でモヤモヤし、それをどこにも発散せずに、とにかく「そういう人だった」と疎遠にするしかない。

それだけではない。自分が紹介するということは、確実に自分という存在がいつか消えて、他へと移り変わるものであることを受け入れてからしなければならない。

だから今回のように、僕が結果的に適合してない集団に彼らだけは適合して、僕は排除されるということになった。

仲間外れには、たくさんの原因がある。

自分の原因、相手の原因、流れ的なものの原因、上辺だけが合致してとか、書ききれないほどに原因がある。

ただ、そうなったとき自分が人を傷つけた壊した消したとかではない限り

仲間外れにされた時点で「理由は聞かない、知らない間に立ち去る」ということで終わらせなくてならない。ここで終わらせれば、相手に罪悪感を残したり、自分たちがやったという事実だけが残る。

そもそも、仲が良ければ外すこともしないし、自分を仲介してくれて人が外されていたらおかしいとなるはずではあるけれどね

これからある程度全てを完全に消去しなければ、今後自分が繋いで関係性を自分がいない状態で見せつけれることになる。勘違いをしていた自分が仲良しだと思っていた人が、自分がいた場所で、自分抜きで楽しんでいること見せつけられる。

これは致し方ないことであるし、自分もしてしまう可能性があるものらしい。故意にせよ。だから自分が絶対にしないのは無理があるから、自分は絶対しないとはいえない。ただ、極力しないようにはしたい。


今日でこの子のたちと僕の関係性を終了した、思い出も全て消した。
集団の方に関しても関与しているだろう人は全員さようならした。


時間の無駄であったし、お金も無駄だったかもしれない。
でも、成長し乗り越えて、新しい自分になるためには必要な道だった。

これからは、極力自分だけで関わる、そして集団は「特定の人を排除することを是としない」ところを選んで紹介すること、ある程度になれば巣立って行ってしまうこと、自分がより魅力的になって自分が排除されない人になること。されてしまったら何もせずに消えること、自分は自分で大事にすること、自分は極力しないこと・・・・

次はうまくやらなくては。失敗しないように。

楽しい時間をありがとう、でも自分は自分だけがいないことに気が付いて欲しかった。そういう集団なら避けるということはしてほかったかな。でもそれは僕のエゴ。

1週間、僕は悩もうと思う。そうしたらこの問題はもうおしまい。


ありがとう。少しでも仲良くしてくれて、ありがとうね。
ただそのあとの行動を見ていると、遅かれ早かれ僕らは違う道だったのかな。

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