可能なるコモンウェルス〈71〉

 新共和国国家アメリカの設立、その課題の中心には実際さまざまな意味合いにおいて、「大きさ」という一つの事柄が、強い意味合いをもって浮かび上がっていたものであった。
「…共和政体は、それが連邦制の原理にもとづいているばあいには、拡大してゆく大きな領土にも適用できるというモンテスキューがたまたまおこなった指摘を、マディソンが自信をもって確認し、精密なものにしたのは、理論よりは、むしろ、この経験があったからであった。…」(※1)
「…実際、それぞれ別個に独立して構成されている政治体を結合する連邦制の基本原理だけではく、『結合(コンビネイション)』とか『協合(コンソシエーション)』という意味での『連合(コンフェデレイション)』という名前も、植民地時代のもっとも早い時期に、事実上、発見されていたのである。…」(※2)
「…やがてアメリカ合衆国と呼ばれる同盟(ユニオン)の新しい名称でさえ、短命に終ったが『ニューイングランド連邦植民地(ユナイテッド・コロニーズ)という名で呼ばれる』ニューイングランド連合(コンフェデレイション)によって示唆されていた。…」(※3)
 新共和国国家アメリカの、その「拡大=増大」においては、たしかに少なくともそのごく初期について言えば、それはけっして「一つのものの延長」としてではなく、むしろ「多数のものの結合、あるいは増殖」として考えられていたのだということが、ここからは見てとれるものだろう。しかし、このことはあくまでも、「経験的に考えられたことの延長」において成り立っていた考えなのでもあったのだ。そしてそうであるがゆえに、このことを「経験として見出すことにおいて、まさにその経験の『結果』が見出されてしまう」ことについては、けっして誰もがこれを防ぐことができてはいなかったのだ。

 「拡大=増大された、一つの国家」として、新たに創設された新共和国国家、アメリカ合衆国。それに携わった人々は、移住植民開始当初以来のアメリカ社会において、実際にそれぞれ人民の自発性および主体性に根差して形成されていった各政治体の、その創設過程の結果としてあるこの新国家、なかんずくその「より大きな『力』の結合」の中に、彼ら自身が現実において経験してきたさまざまな事共の、その正当性と権威性といったものを、きっと誇らしく見出していたのだろうと思われる。
 国家の「拡大=増大」は、たしかに「現実の経験」であった。しかしそこで実際に見出しうるのは、「拡大=増大した国家」という結果であり、拡大=増大した領土=領域という「一つのものの大きさ」だった。そこで国家は経験的に「一つのもの」として見出されざるをえないもの」となるのだった。そして、「国家という、一つの領域」が考えられることにより、コモンウェルス=権力とは「その中にあるもの」と考えられるところとなる。これはある意味、必然的な帰結なのだと言っていいのだろう。

〈つづく〉

◎引用・参照
※1 アレント「革命について」志水速雄訳
※2 アレント「革命について」志水速雄訳
※3 アレント「革命について」志水速雄訳

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